一億円の花嫁

藤谷 郁

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強引なお誘い

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(そ、そんなわけない。夢見すぎだよ、私ったら)

 そっと顔を上げると、由比さんが優しく微笑みかけた。
 体の芯が蕩けそうになるのを感じる。
 こんなに素敵な夢があるだろうか。

「さてと、まずは乾杯しましょう。シャンパンで良いかな?」
「は、はい」

 いつの間にか関根さんがいなくなり、代わりに給仕の人がワゴンを押して入室した。
 レストランのスタッフだろうか。所作に無駄がなく、食前酒を注いだあとは滑らかな動作で退室する。
 ドアを開けてあるので出入りがスムーズだ。
 
 グラスを合わせると、シャンパンの泡がキラキラと光った。
 
「きれい……」

 思わずつぶやく私に、由比さんが嬉しそうに笑いかける。

「そうそう、リラックスしてください。お酒も食事も楽しんで」

 私のぎこちなさを緊張と受け止めたようだ。ドキドキしたり、あらぬ考えに戸惑う心を見抜かれないよう、素直に「はい」と返事した。

 シャンパンを飲むと、少し気分が落ち着いた。お酒は好きでも嫌いでもないが、アルコールのリラックス作用が今はありがたい。

「体調が戻られて良かった。大変な目に遭いましたね」
「え?」

 一瞬、なんのことかと思った。

(あっ、そうだった)

 猿のマスクが頭に浮かび、私は食事に誘われた理由を思い出す。由比さんのオーラに圧倒されて、変質者の一件を完全に忘れていた。

「もう大丈夫です。少し眠ったら、すっかり元気になりました」

 気を遣われないよう明るく言ったのだが、由比さんは神妙な顔つきになり、頭を下げた。

「すべて当ホテルの不手際と管理不足が原因です。お許しください」
「そ、そんな。違います。ホテルのせいじゃありません」

 そこのところは本当に、ハッキリしておきたかった。
 ホテルの管理不足など、あり得ない。遊歩道の隅々まで雪かきがされているのを、私は知っている。

「大月さんがホテルの敷地内で不愉快な思いをされたのは事実です。私としては、お詫びをしなければ気が済まない」
「由比さん……」

 彼の真摯な態度に、私は胸を打たれた。

 セレブリティを顧客に抱える高級ホテルは、ブランドイメージをなにより大切にしている。変態男の出没は、それを傷つけるとんでもない事件なのだ。

 とはいえ、私はセレブどころか会員ですらない一見の客。しかも迷惑をかけたのはこちらなのに、トップ自ら全面的に責任を認め謝罪するとは、やはり三保コンフォートは一流の中の一流である。
 ますます憧れてしまう。

「変質者については、きっちりと処理したのでご安心ください。ただ……」

 由比さんがふと、まつ毛を伏せた。

「ど、どうかされましたか?」

 変態男の件でなにか問題があったのかと不安になるが……

「いえ、今は食事を楽しみましょう」

 彼の合図で、前菜が運ばれてきた。
 飲み物はワインの他に、名産の林檎酒をすすめられる。グラスに注いでもらうと、爽やかな香りがした。

 さっき、何を言いかけたのだろう。気になるけれど、由比さんが料理について話し始めたので、それに合わせた。
 重要なことなら後で教えてくれるだろう、きっと。

「おすすめは林檎酒だけじゃありません。特別なお客様である貴女に、ホテル自慢の料理を存分に味わってもらいたいな」
「えっ?」

 特別なお客様。
 意味深な言葉にドキッとするが、すぐに気のせいだと理解する。
 今夜のディナーは『お詫び』なのだ。
 私という客に対して、彼は責任を感じているだけ。
 
「コース以外にも豊富なメニューが揃っています。お好みでアレンジも可能なので、遠慮なくリクエストしてくださいね」
「はい。ありがとうございます」

 紳士で優しいCEO。
 強引なお誘いに戸惑ったけれど、今となってはそれすら魅力に感じるのだから不思議だ。

(そうよね。今は食事と、王子様との時間を楽しもう)
 
 予想外のできごとから、予想外の出会いに繋がる。奇跡的とも言える神様からのプレゼントを、素直に受け取る私だった。
 
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