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マイホームタウン
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8月12日からの一週間、長野に帰省した。
両親も兄も久しぶりに会った私を、珍しいものでも見るように眺め回した。
「やっぱ、彼氏が出来ると違うな」
「だ、大学生になったからだよ」
兄が冗談めかすので内心ドキッとするが、適当に誤魔化して話を逸らした。
家族全員、東野君のことは叔母からよく聞いているらしい。田内さんの事件については心配したようだが、叔母の東野君への信頼の厚さが、それを払拭していた。
「今時の若者にしてはしっかりしてるそうじゃないの。佐奈もいい影響を受けてるのかね」
私の友人関係には普段手厳しいことを言う母が、随分と好意的だった。
「高校生だったあんたは頼りなかったけど……ふうん」
私は、変わったらしい。
変わったと言うか、少しは成長したのかしらと思い、ついこの間まで高校生の自分を映していた、洗面台の鏡を覗いてみる。
大学生の山室佐奈が、そこにいた。
髪も伸びて、ふっくらとしていた頬も引き締まっている。
私を変えたのは、大学生になったこと、街での生活、それらであるのは間違いではない。
だけど最も大きいのは兄の言うとおり、やはり東野君の存在だ。
私の身体も心も、それを知っている。
「東野君の影響。私を成長させてくれたのは……」
ほんのりと染まる頬に、自分で照れた。
そして、今すぐにでも名古屋に戻り、一刻でも早く東野君に会いたくて堪らなくなってしまった。
もう、東野君無しの生活なんて、人生なんて考えられない。大袈裟かもしれないけれど、細胞レベルで彼を求めている、そんな感覚だった。
故郷の空を見上げ、まっ白に湧き立つ入道雲に彼を想う日々を過ごした。
そして、もうひとつの故郷を懐かしんでもいた。
名古屋に戻れば、いつも通りの生活が始まるだろう。そんな毎日が、既に自分のリズムなのだと実感している。私が大人になる、大人に育ててくれる、あの街も故郷だと思う。第二の故郷、大切な人達が住んでいる、大切な場所。そんなふうに感じる心が、自分でも嬉しかった。
生まれ育った長野に帰ったことで、それを知ることができた。
私の、もうひとつの故郷のことを――
「お帰り、佐奈」
夏祭りの夜、迎えに来てくれた東野君は、久しぶりに会う私に少し照れた様子で、そんな挨拶をした。
もちろん私も、同じように返す。
「ただいま、東野君」
照れてしまうが、それが一番しっくりきて、とても自然な再会の挨拶だった。
叔母が着付けてくれた浴衣姿で、祭が行われている神社へと向かった。緑地に桔梗柄が鮮やかな、大人っぽい雰囲気の浴衣だった。
「真里ちゃんのを借りたの」
「そうか、うん」
何だかぎこちない返事をする東野君。
似合ってるとも似合わないとも言わず、でもそわそわと落ち着かない視線を感じている。
(もしかしてさっき照れたのは、この恰好のせいでもあるのかな、なんて)
都合よく考えてみた。
浴衣は帯の辺りが意外に暑く、履きなれない下駄も鼻緒の部分が痛かったけれど、彼の反応をいいように解釈して、着てよかったと一人で喜んだ。
屋台が並び、人の流れが途切れない通りに出ると、はぐれてはいけないからと言って、東野君が私の手を握った。いつも優しい彼だけれど、今夜は感じの違う優しさだと思った。
混みあう通りを抜けても、東野君は私の手を離さず、そのままゆっくりと歩いた。
神社に着き、手水舎で手指を清め本殿でお参りをする間は離していたが、鳥居をくぐり帰る頃には、いつの間にかまた繋いでいた。
東野君は、私の手を引いて屋台の通りを歩く途中で、りんご飴を買ってくれた。
子供の頃に食べてみたかったけれど、こういったお祭りでは、母親がなぜか焼きトウモロコシしか買ってくれなかったと話したからだろう。
憧れても、叶わなかった未知の味である。
りんご飴にじいっと見入る私に、彼は楽しげに微笑んでいる。
「食べないの?」
紅くつやつやと美味しそうなりんご飴をためつすがめつする私を覗き込み、面白そうに訊いた。私は頷くと、今度は自分から彼の手を取り、ぎゅっと握った。
東野君は目をぱちくりとさせて、驚いた顔になる。
「佐奈?」
「勿体ないもの」
二人は黙ったまま、人も車もまだ眠らない夏休みの街に戻った。歩調は緩やかで、名残惜しげに一歩一歩進んでいる。互いの手の平で、ゆっくり行こうねと合図を送りながら。
「一週間ぶりだな、佐奈に会うのも」
「うん」
「随分、長い時間に思えた」
どこかで花火の上がる音が聞こえた。
はっきりと耳に残る、それでいて寂しいような響きだった。
「夏が、終わるんだな」
「夏が……」
「そう、終わる」
私を見つめるのは、純粋に澄んだ眼差し。
祭囃子も人込みの賑やかさも、遠く小さくなっていた。
「この夏を、一生忘れない」
何もかも、すべての感動を湛えた瞳はどこまでも深く、心の底まで鮮やかに映し出す。
東野君と私の、二人の夏だった。
「……私も」
「うん」
忘れない。
一生の宝物。
このかけがえのない記憶は、ずっと未来まで生き続けるだろう。
叔母の家の前まで、あっという間だった。
東野君といると、どうしてこんなにも速く時間が経ってしまうのだろう。離れていた一週間は、とてつもなく長く感じられたのに。
東野君は、別れ難く俯いている私を引き寄せると、りんご飴を取り上げ、代わりに甘い口付けをくれた。
一瞬だったけれど、この頃の彼は大胆だと思う。
でも、今夜は焦るよりも嬉しかった。
「はい、お姫様」
手渡されたりんご飴に負けないくらい、私の頬も紅くなっているだろう。
「お姫……さま?」
「お姫様を連れてる気分だったよ」
東野君は、私の浴衣姿をあらためてしげしげと見回した。
だから、今夜の彼はいつもと少し違っていたのだ。
私はちょっぴり照れながら、シンデレラのドレスのように変身させてくれた浴衣を、感謝をこめて眺め下ろした。
「でも、明後日からはマネージャーの山室佐奈だ。頑張ろうな」
「あ、はいっ」
明後日から5日間、サッカークラブの夏合宿が行われる。大学の保有する合宿施設に泊り込み、猛練習をするのだ。もちろんマネージャーである遼子さんと私も参加する。
「よし、良い返事だ!」
にこっと笑う顔は、既に先輩だった。夏休みの、夏の東野君とは別の顔になっている。
だけど私はどきどきしてる。
いつも、どんな東野君でも、やっぱり大好きだから。
両親も兄も久しぶりに会った私を、珍しいものでも見るように眺め回した。
「やっぱ、彼氏が出来ると違うな」
「だ、大学生になったからだよ」
兄が冗談めかすので内心ドキッとするが、適当に誤魔化して話を逸らした。
家族全員、東野君のことは叔母からよく聞いているらしい。田内さんの事件については心配したようだが、叔母の東野君への信頼の厚さが、それを払拭していた。
「今時の若者にしてはしっかりしてるそうじゃないの。佐奈もいい影響を受けてるのかね」
私の友人関係には普段手厳しいことを言う母が、随分と好意的だった。
「高校生だったあんたは頼りなかったけど……ふうん」
私は、変わったらしい。
変わったと言うか、少しは成長したのかしらと思い、ついこの間まで高校生の自分を映していた、洗面台の鏡を覗いてみる。
大学生の山室佐奈が、そこにいた。
髪も伸びて、ふっくらとしていた頬も引き締まっている。
私を変えたのは、大学生になったこと、街での生活、それらであるのは間違いではない。
だけど最も大きいのは兄の言うとおり、やはり東野君の存在だ。
私の身体も心も、それを知っている。
「東野君の影響。私を成長させてくれたのは……」
ほんのりと染まる頬に、自分で照れた。
そして、今すぐにでも名古屋に戻り、一刻でも早く東野君に会いたくて堪らなくなってしまった。
もう、東野君無しの生活なんて、人生なんて考えられない。大袈裟かもしれないけれど、細胞レベルで彼を求めている、そんな感覚だった。
故郷の空を見上げ、まっ白に湧き立つ入道雲に彼を想う日々を過ごした。
そして、もうひとつの故郷を懐かしんでもいた。
名古屋に戻れば、いつも通りの生活が始まるだろう。そんな毎日が、既に自分のリズムなのだと実感している。私が大人になる、大人に育ててくれる、あの街も故郷だと思う。第二の故郷、大切な人達が住んでいる、大切な場所。そんなふうに感じる心が、自分でも嬉しかった。
生まれ育った長野に帰ったことで、それを知ることができた。
私の、もうひとつの故郷のことを――
「お帰り、佐奈」
夏祭りの夜、迎えに来てくれた東野君は、久しぶりに会う私に少し照れた様子で、そんな挨拶をした。
もちろん私も、同じように返す。
「ただいま、東野君」
照れてしまうが、それが一番しっくりきて、とても自然な再会の挨拶だった。
叔母が着付けてくれた浴衣姿で、祭が行われている神社へと向かった。緑地に桔梗柄が鮮やかな、大人っぽい雰囲気の浴衣だった。
「真里ちゃんのを借りたの」
「そうか、うん」
何だかぎこちない返事をする東野君。
似合ってるとも似合わないとも言わず、でもそわそわと落ち着かない視線を感じている。
(もしかしてさっき照れたのは、この恰好のせいでもあるのかな、なんて)
都合よく考えてみた。
浴衣は帯の辺りが意外に暑く、履きなれない下駄も鼻緒の部分が痛かったけれど、彼の反応をいいように解釈して、着てよかったと一人で喜んだ。
屋台が並び、人の流れが途切れない通りに出ると、はぐれてはいけないからと言って、東野君が私の手を握った。いつも優しい彼だけれど、今夜は感じの違う優しさだと思った。
混みあう通りを抜けても、東野君は私の手を離さず、そのままゆっくりと歩いた。
神社に着き、手水舎で手指を清め本殿でお参りをする間は離していたが、鳥居をくぐり帰る頃には、いつの間にかまた繋いでいた。
東野君は、私の手を引いて屋台の通りを歩く途中で、りんご飴を買ってくれた。
子供の頃に食べてみたかったけれど、こういったお祭りでは、母親がなぜか焼きトウモロコシしか買ってくれなかったと話したからだろう。
憧れても、叶わなかった未知の味である。
りんご飴にじいっと見入る私に、彼は楽しげに微笑んでいる。
「食べないの?」
紅くつやつやと美味しそうなりんご飴をためつすがめつする私を覗き込み、面白そうに訊いた。私は頷くと、今度は自分から彼の手を取り、ぎゅっと握った。
東野君は目をぱちくりとさせて、驚いた顔になる。
「佐奈?」
「勿体ないもの」
二人は黙ったまま、人も車もまだ眠らない夏休みの街に戻った。歩調は緩やかで、名残惜しげに一歩一歩進んでいる。互いの手の平で、ゆっくり行こうねと合図を送りながら。
「一週間ぶりだな、佐奈に会うのも」
「うん」
「随分、長い時間に思えた」
どこかで花火の上がる音が聞こえた。
はっきりと耳に残る、それでいて寂しいような響きだった。
「夏が、終わるんだな」
「夏が……」
「そう、終わる」
私を見つめるのは、純粋に澄んだ眼差し。
祭囃子も人込みの賑やかさも、遠く小さくなっていた。
「この夏を、一生忘れない」
何もかも、すべての感動を湛えた瞳はどこまでも深く、心の底まで鮮やかに映し出す。
東野君と私の、二人の夏だった。
「……私も」
「うん」
忘れない。
一生の宝物。
このかけがえのない記憶は、ずっと未来まで生き続けるだろう。
叔母の家の前まで、あっという間だった。
東野君といると、どうしてこんなにも速く時間が経ってしまうのだろう。離れていた一週間は、とてつもなく長く感じられたのに。
東野君は、別れ難く俯いている私を引き寄せると、りんご飴を取り上げ、代わりに甘い口付けをくれた。
一瞬だったけれど、この頃の彼は大胆だと思う。
でも、今夜は焦るよりも嬉しかった。
「はい、お姫様」
手渡されたりんご飴に負けないくらい、私の頬も紅くなっているだろう。
「お姫……さま?」
「お姫様を連れてる気分だったよ」
東野君は、私の浴衣姿をあらためてしげしげと見回した。
だから、今夜の彼はいつもと少し違っていたのだ。
私はちょっぴり照れながら、シンデレラのドレスのように変身させてくれた浴衣を、感謝をこめて眺め下ろした。
「でも、明後日からはマネージャーの山室佐奈だ。頑張ろうな」
「あ、はいっ」
明後日から5日間、サッカークラブの夏合宿が行われる。大学の保有する合宿施設に泊り込み、猛練習をするのだ。もちろんマネージャーである遼子さんと私も参加する。
「よし、良い返事だ!」
にこっと笑う顔は、既に先輩だった。夏休みの、夏の東野君とは別の顔になっている。
だけど私はどきどきしてる。
いつも、どんな東野君でも、やっぱり大好きだから。
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