東野君の特別

藤谷 郁

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熱風

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 バスから降りると、熱い風が吹いた。
 冷房の効いた車内から出てきたので、こと更熱く感じたのかもしれないが、そこはまさしく真夏の世界だった。

「おおー、見ろよ佐奈、もうあんなに泳いでるぞ」
 防波堤の上から浜を覗くと、カラフルなパラソルが既にいくつも咲いていた。波に戯れる人々の歓声が風に乗り聞こえてくる。
「俺達も早く行こうぜ」
 わくわくした様子の東野君に刺激され、私も楽しくなってきた。普段は落ち着いた彼も、こんなところは少年っぽくて、男の人って男の子なんだなあと思ってしまう。

「え~と、着替えるところは……ここにするか」
 駐車場と海の家を営むお店が防波堤沿いに並んでいる。浜の様子と軒先を見比べながら歩いて行き、その中の一軒を選んで入った。

「いらっしゃいませ。女性の方はどうぞ、こちらに」
 お店の人に案内されて、温泉の脱衣所的な部屋に入ると、急いで水着に着替える。
 比較的大きくて造りのしっかりした建物で、利用するお客さんの数も多いようだ。私の他にも若い女性や親子連れが数組着替えていた。

 着替え終わると、全身を姿見でチェックした。
 ショートパンツを穿いたグリーンのタンキニは、水着というより、露出多めの普段着といった恰好で、白い肌が頼りない感じで晒されている。
 地味なほうだと思った水着だが、いざこうしていよいよ海を目の前に着てみると、意外にあちこち気になるものだと知った。胸元や太腿が特に、恥ずかしい気がした。

 海というより、いよいよ東野君の目の前に出るかと思うと――

「でも、ビーチではこれが普通だから、大丈夫」
 ひとりで納得すると、肩を少し過ぎるくらいに伸びた髪を強めに編んでから、しっかりとゴムで結んだ。化粧は日焼け止めの効果があるというファンデーションのみ。
 荷物をまとめると、パラソルや敷物をレンタルしているであろう東野君のもとに急ごうと部屋を出かけた。

「痛っ!」

 急ぐあまり前のめりになっていた私は、入れ違いで入ってきた女性が勢いよく開けたドアに、おでこをぶつけてしまった。けっこう強めに当たったので、ゴンッと大きな音がして、居合わせた人たちに一斉に注目されてしまった。
「キャッ、ごめんなさい! 大丈夫ですか」
 ドアを開けた女性はびっくりして叫び、その友達と見られる女性二人も部屋に入ると、私を囲むようにして覗きこんだ。

「も~、なにやってんのよ」
「張り切りすぎなんだよ、ミノリってば」
 口々に責められている女性はしどろもどろに謝っている。
 私は反対に恐縮し、手を振って大丈夫ですと言い、彼女たちの脇を横歩きでドアへと体を進ませた。

「ホントにホントに、ごめんね」
 人のよさそうなその女性は少し年上の感じで、どこかで見覚えのある気がした。そんな筈は無いのだが、それは一瞬のひらめきのような、不思議な感覚だった。

 ドアを閉める間際、彼女の友達二人の、かん高い声が漏れ聞こえた。
「しっかりしなよ、ミノリィ」
「ショーヤくんが来るからって……」
 ぱたんと閉じて、それからはスピーカーから浜に流れる夏の曲が賑やかで、今耳にしたことをたちまちのうちに忘れてしまった。




 建物を出て海側への階段を下りてゆく途中で、既に着替え終わり、 レンタルしたパラソルを抱えて待っている東野君を見つけた。
 海のほうを向いて立ち、どの辺りに基地を設けるか思案しているようだ。

 階段を下りきった私だが、声を掛けようとして、なんとなくためらった。
 無地の青いサーフパンツを穿き、上にはパーカーを羽織っている。確かにこの人は東野君のはずなのに、いつもと違う雰囲気に感じる。

 ビーチサンダルで砂を踏み、彼に近付いて行く。何だかどきどきして声が出ない。
 異様に照れくさくて、恥ずかしくて、いたたまれなくて……
 ここまで来て、何をしているのか。
「あれっ、なんだ佐奈、そこにいたのか」
 急に振り向いた彼に、体が固まる。表情も強張ったかもしれない。

「う、うん。遅くなっちゃった」
 でも何とか笑った。普通の態度の東野君に、こんな自分を悟られるのは絶対に嫌だった。
「借りておいたよ、パラソル。残り少なくてさ、危なかった」
 普通に言って、普通に笑いかける。
 拍子抜けするくらい、普通の反応だった。

 私は自分を見下ろした。
 考えてみれば、それほど……というか、全然胸も大きくないし、足だって太目で、カッコいいとかキレイとか程遠いスタイルである。
 東野君が平常心なのも、当然といえば当然であり、自分の意識過剰には、隠れたくなるほど恥ずかしい思いがした。

「どうした?」
 俯き加減でいる私に、心配そうな声をかける。
 私は慌てて顔を上げ、彼に駆け寄った。せっかくの二人だけの海。明るい太陽の下で、こんな気持ちでいるのは勿体ない!
「行こう、東野君。あの辺りが、空いてるよ」
 元気良く指差す私に、彼はちょっと驚いて、だけどすぐに笑ってくれる。
「よーし、思いっ切り遊ぼうぜ」

 真夏の中へ、一緒に駆け出した。



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