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熱風
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翌朝、名古屋から6時50分発の特急電車に乗り、海に出発した。鳥羽駅には8時24分に到着し、そこからバスに乗ってビーチへと向かう予定である。
「バスに乗るのは45分くらい……てことは、9時15分には浜に着くよ」
通路側に座る東野君が、時計を確認しながら教えてくれた。およそ2時間25分の道のりは、思ったほど遠くではない。
「ま、一日かけて遊ぶんだから、のんびり行けばいいさ」
今日の東野君は、カットソーにシャツ生地ジャケット、下はチノパンという、シンプルな出で立ちだ。飾り気のないシルエットには、清涼感がある。
「何?」
じっと見てしまった私に、明るい笑顔を向ける。何だか照れてしまうほど、今日も爽やかな空気感。自然に振舞っているだろう仕草のひとつひとつに、私はどきどきしてしまう。
「うん、あの……その服、センスが良いなって」
「これ?」
自分を見下ろすと、首を傾げた。
「そうかな。その辺の店で適当に選んだやつだよ」
「でも、似合ってる」
「ハハ……動きやすい服なら俺は何でもいいけど」
足を組み、パンツの穿き心地を示した。なるほど確かに動きやすそうだ。
「服に拘りはないな。見てくれよりも、実用一点張り」
「そうなんだ」
それはそれで、東野君らしいと思う。意識しなくても自分に似合うものが分かっているわけで、むしろ好感が持てるかもしれない。
「その点、翔也なんかはお洒落だね」
「あ、早乙女さん?」
東野君は座りなおすと、背もたれにゆったりと身体を預けた。これからおよそ1時間半を、この座席で過ごすのだ。私も真似て、リラックスする。
「あいつ、大学ではユニフォームとかジャージとかラフな恰好だけど、普段は流行りのブランドで固めてるらしい。確かに外で会う時はいつも良い物を身につけてるし、それがまた似合ってるんだな」
その姿を想像し、すぐに納得する。早乙女さんの外見ならば、スタイリッシュな服装が決まりそうである。
「拘りがあるんですね」
「うん。それに、あいつの彼女もモデルみたいにきれいで……」
ふと眉を曇らせ、言葉を途切れさせた。
彼女というのはつまり、早乙女さんの最近別れたという恋人。
「きれいな人、だったな」
呟くと、飛ぶように行き過ぎる窓の景色に寂しげな目を投げた。
幸平さんの話では、凄く可愛いくて才媛でもあるという女性を、東野君は知っているのだ。
「高校からの付き合いだって言うから、結構続いてたのに。仲も良さそうだったし」
「……」
好き同士だったのに、離れてしまうことがある。よく分からないけれど、それはとても悲しくて、辛いことだと思う。
東野君の肩に、寄り添った。
考えられない。絶対に、考えたくない。何があっても、この人の傍に居たいと思う。この先ずっと、いつまでも。
「佐奈」
手の平を重ねてくれた。私の気持ちを理解し、安心させるみたいに。
(東野君)
優しい人。優しい眼差しで、私を見ているだろう。目を伏せたまま、彼の愛情を受け止めている。彼にはすべて、分かっている。
じっとして、温もりに甘えた。
こうしていると、時を忘れてしまいそうに幸せで、不安も頼りなさも、どこかに消えてしまう。大切にされているのを実感し、全て委ね、すっかり預けてしまう。
「喉、渇いたな」
「えっ」
東野君は座席を立つと、ポケットに手を入れ小銭の音をさせた。
「飲み物を買ってくるよ。佐奈は何がいい?」
「あ……じゃあ、コーラを」
「了解」
すたすたと、自販機のある車両に歩いて行った。
残された私は、さっきまで彼に包まれていた左手をさすった。急に離され、行き場をなくしたように心もとなくて。
(どうしたのかな)
少し不自然に感じたけれど、鉄橋に差し掛かった電車の振動に気を取られ、窓の外へと意識が移る。朝の光を反射して、川面がきらきらと輝いている。
「わあ、きれい」
故郷の千曲川を思い出した私は思わず見惚れ、それからしばらくは窓の景色にへばりついていた。
東野君がなかなか戻って来ないのに、気付かなかった。
鳥羽駅は観光の拠点であり、周囲には水族館や、有名な真珠島、観光船乗り場などが徒歩で行ける場所に集まっている。
と、これは東野君が教えてくれたこと。何度か訪れたことがあると言う遼子さんからも聞いていた。夏休みとあって観光客も多く、駅前はかなりの賑やかさだ。
「水族館も船も、楽しそうだね」
海風を感じながら、道路のほうを見回してみる。観光バスが何台か通り過ぎるのを見て、ここは行楽地なんだなあと実感し、わくわくしてきた。
「佐奈、小学生みたいだ」
東野君が、可笑しそうに言って口を押さえた。笑いを堪えようとしている。
「あは……ついつい、雰囲気が楽しくて」
ちょっぴり恥ずかしいが仕方ない。本当に、コドモになっているから。
「そうだな。まだ18だもんな」
東野君はキャップを被ると口元で笑う。強い日差しが表情を隠しているが、きっと微笑ましく見ているのだろう。子供を見守るように。
(はい。まだ、じゅうはちですから)
東野君はハタチで、二つしか違わないけれど、成人は成人。大人なんだと思う。
直に出発するというバスに急いで乗り込んでから、いつか聞いた彼の誕生日を確認した。なんとなく、確認したくなったのだ。
「10月10日だったよね」
「誕生日? うん、もと体育の日ね」
そう、もと体育の日。東野君らしい誕生日だなと、印象に残っていた。
「そっか。なら、秋には21歳だね」
12月生まれの私とは、三つも年が離れてしまうのだ。
彼には分からない角度で、ため息をついた。
「佐奈は12月だよな」
「うん。12月20日」
「クリスマスに近いね」
「そう、子供の頃からプレゼントもケーキも、クリスマスにまとめられちゃって。お兄は4月生まれで、きっちり両方もらってたから、贔屓だって抗議するんだけど」
父はともかく、母は聞こえない振りで通し、兄と平等にしてくれなかった。母は兄に甘く、他のことでも差を付けられていたので納得できなかった。
兄妹格差への不満を思い出し拗ねた顔でいると、東野君が覗きこんできた。
「じゃあ、今年からは俺がサービスしよう」
「……えっ」
キャップを取ると、きょとんとする私に笑ってみせる。
「東野君、私はそんな」
そんなつもりじゃないのにと、慌てた。彼はそれこそ、父親のような、保護者のような、微笑ましい眼差しで私を見ている。やっぱり、子供扱いで。
「何でも聞いてやるよ。佐奈の望むこと」
口調も、まるで父親だった。
いつか遼子さんが言っていた。東野君は、意外に父性本能が強いと。
『君を守る 必ず守って、幸せにする』
繰り返し、胸にこだまする彼の囁き。
あれは、そういうことなのかな。親が子に与える愛情と、同じ?
『佐奈の清純な感じが、あいつのツボなのかも』
遼子さんの言葉は、真実だろうか。
優しい見守りに包まれながら、私はしかし否定する。
(それは違う。私は、清純なんかじゃない……)
唇に残る感触を繰り返し思い出す。あれは確かに、男の人の愛情だった。
(あなたにとって私は、子供じゃないですよね)
訊きたくて、でも絶対に言えない言葉を呑み込んでいた。
「バスに乗るのは45分くらい……てことは、9時15分には浜に着くよ」
通路側に座る東野君が、時計を確認しながら教えてくれた。およそ2時間25分の道のりは、思ったほど遠くではない。
「ま、一日かけて遊ぶんだから、のんびり行けばいいさ」
今日の東野君は、カットソーにシャツ生地ジャケット、下はチノパンという、シンプルな出で立ちだ。飾り気のないシルエットには、清涼感がある。
「何?」
じっと見てしまった私に、明るい笑顔を向ける。何だか照れてしまうほど、今日も爽やかな空気感。自然に振舞っているだろう仕草のひとつひとつに、私はどきどきしてしまう。
「うん、あの……その服、センスが良いなって」
「これ?」
自分を見下ろすと、首を傾げた。
「そうかな。その辺の店で適当に選んだやつだよ」
「でも、似合ってる」
「ハハ……動きやすい服なら俺は何でもいいけど」
足を組み、パンツの穿き心地を示した。なるほど確かに動きやすそうだ。
「服に拘りはないな。見てくれよりも、実用一点張り」
「そうなんだ」
それはそれで、東野君らしいと思う。意識しなくても自分に似合うものが分かっているわけで、むしろ好感が持てるかもしれない。
「その点、翔也なんかはお洒落だね」
「あ、早乙女さん?」
東野君は座りなおすと、背もたれにゆったりと身体を預けた。これからおよそ1時間半を、この座席で過ごすのだ。私も真似て、リラックスする。
「あいつ、大学ではユニフォームとかジャージとかラフな恰好だけど、普段は流行りのブランドで固めてるらしい。確かに外で会う時はいつも良い物を身につけてるし、それがまた似合ってるんだな」
その姿を想像し、すぐに納得する。早乙女さんの外見ならば、スタイリッシュな服装が決まりそうである。
「拘りがあるんですね」
「うん。それに、あいつの彼女もモデルみたいにきれいで……」
ふと眉を曇らせ、言葉を途切れさせた。
彼女というのはつまり、早乙女さんの最近別れたという恋人。
「きれいな人、だったな」
呟くと、飛ぶように行き過ぎる窓の景色に寂しげな目を投げた。
幸平さんの話では、凄く可愛いくて才媛でもあるという女性を、東野君は知っているのだ。
「高校からの付き合いだって言うから、結構続いてたのに。仲も良さそうだったし」
「……」
好き同士だったのに、離れてしまうことがある。よく分からないけれど、それはとても悲しくて、辛いことだと思う。
東野君の肩に、寄り添った。
考えられない。絶対に、考えたくない。何があっても、この人の傍に居たいと思う。この先ずっと、いつまでも。
「佐奈」
手の平を重ねてくれた。私の気持ちを理解し、安心させるみたいに。
(東野君)
優しい人。優しい眼差しで、私を見ているだろう。目を伏せたまま、彼の愛情を受け止めている。彼にはすべて、分かっている。
じっとして、温もりに甘えた。
こうしていると、時を忘れてしまいそうに幸せで、不安も頼りなさも、どこかに消えてしまう。大切にされているのを実感し、全て委ね、すっかり預けてしまう。
「喉、渇いたな」
「えっ」
東野君は座席を立つと、ポケットに手を入れ小銭の音をさせた。
「飲み物を買ってくるよ。佐奈は何がいい?」
「あ……じゃあ、コーラを」
「了解」
すたすたと、自販機のある車両に歩いて行った。
残された私は、さっきまで彼に包まれていた左手をさすった。急に離され、行き場をなくしたように心もとなくて。
(どうしたのかな)
少し不自然に感じたけれど、鉄橋に差し掛かった電車の振動に気を取られ、窓の外へと意識が移る。朝の光を反射して、川面がきらきらと輝いている。
「わあ、きれい」
故郷の千曲川を思い出した私は思わず見惚れ、それからしばらくは窓の景色にへばりついていた。
東野君がなかなか戻って来ないのに、気付かなかった。
鳥羽駅は観光の拠点であり、周囲には水族館や、有名な真珠島、観光船乗り場などが徒歩で行ける場所に集まっている。
と、これは東野君が教えてくれたこと。何度か訪れたことがあると言う遼子さんからも聞いていた。夏休みとあって観光客も多く、駅前はかなりの賑やかさだ。
「水族館も船も、楽しそうだね」
海風を感じながら、道路のほうを見回してみる。観光バスが何台か通り過ぎるのを見て、ここは行楽地なんだなあと実感し、わくわくしてきた。
「佐奈、小学生みたいだ」
東野君が、可笑しそうに言って口を押さえた。笑いを堪えようとしている。
「あは……ついつい、雰囲気が楽しくて」
ちょっぴり恥ずかしいが仕方ない。本当に、コドモになっているから。
「そうだな。まだ18だもんな」
東野君はキャップを被ると口元で笑う。強い日差しが表情を隠しているが、きっと微笑ましく見ているのだろう。子供を見守るように。
(はい。まだ、じゅうはちですから)
東野君はハタチで、二つしか違わないけれど、成人は成人。大人なんだと思う。
直に出発するというバスに急いで乗り込んでから、いつか聞いた彼の誕生日を確認した。なんとなく、確認したくなったのだ。
「10月10日だったよね」
「誕生日? うん、もと体育の日ね」
そう、もと体育の日。東野君らしい誕生日だなと、印象に残っていた。
「そっか。なら、秋には21歳だね」
12月生まれの私とは、三つも年が離れてしまうのだ。
彼には分からない角度で、ため息をついた。
「佐奈は12月だよな」
「うん。12月20日」
「クリスマスに近いね」
「そう、子供の頃からプレゼントもケーキも、クリスマスにまとめられちゃって。お兄は4月生まれで、きっちり両方もらってたから、贔屓だって抗議するんだけど」
父はともかく、母は聞こえない振りで通し、兄と平等にしてくれなかった。母は兄に甘く、他のことでも差を付けられていたので納得できなかった。
兄妹格差への不満を思い出し拗ねた顔でいると、東野君が覗きこんできた。
「じゃあ、今年からは俺がサービスしよう」
「……えっ」
キャップを取ると、きょとんとする私に笑ってみせる。
「東野君、私はそんな」
そんなつもりじゃないのにと、慌てた。彼はそれこそ、父親のような、保護者のような、微笑ましい眼差しで私を見ている。やっぱり、子供扱いで。
「何でも聞いてやるよ。佐奈の望むこと」
口調も、まるで父親だった。
いつか遼子さんが言っていた。東野君は、意外に父性本能が強いと。
『君を守る 必ず守って、幸せにする』
繰り返し、胸にこだまする彼の囁き。
あれは、そういうことなのかな。親が子に与える愛情と、同じ?
『佐奈の清純な感じが、あいつのツボなのかも』
遼子さんの言葉は、真実だろうか。
優しい見守りに包まれながら、私はしかし否定する。
(それは違う。私は、清純なんかじゃない……)
唇に残る感触を繰り返し思い出す。あれは確かに、男の人の愛情だった。
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