東野君の特別

藤谷 郁

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恋の花々

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 こんなふうに始まるんだ。

 東野君と並んで歩きながら、初めての経験にそわそわしている。
 片思いしか恋を知らない私は、お互いに好きで、そして付き合うという感覚がわからなかった。何だかすごく恥ずかしくて、照れくさいものなのだと今日知ってしまった。

 グラウンドの近辺を離れると学生の姿がちらほらと見えはじめ、私達は繋いだ手を解いて、来た時と同じように普通に並んで歩いた。
 キャンパスじゅうの建物も何もかもが、輝いて見える。こんなに、明るかっただろうか。

「渉!」
 バス停に戻ろうとする途中で、背中から大きな声が飛んだ。振り返ると、門の脇にいる学生がこちらに手を振っている。
「おう!」
 どうやら知り合いのようで、東野君も大きく手を振り返した。私達は立ち止まり、声を掛けた学生が走り寄ってくるのを待った。

「珍しいな、どうしたんだ」
 目の前に来た学生に東野君が訊くと、「ちょっと忘れ物してさ……」と、彼は言いかけたが、私を興味深そうに見回してきた。
「こら、そんなにじろじろ見るんじゃない」
 東野君の腕が、彼の視線を遮る。大げさかもしれないけれど、庇われたみたいで、どきっとした。

「ハハハ、すまん。あ~、そういえば君、この前東野の店にいたっけ」
 よく見ると、彼の被っているキャップに見覚えがあった。東野珈琲店のカウンターに並んでいたサッカークラブの人達の中で、一人だけ帽子を被った人がいた。鮮やかな赤の野球帽が印象的だったので、覚えている。
「はい、私は……」
 慌てて自己紹介をしようとするのを東野君が「ちょっと待て」と、止めた。あまりに素早く止められたので、いけなかったのかと思い口を押さえる。

「何だ、渉。隠すつもりか~?」
 東野君の背中に回された私を覗き込むふりをして、彼はからかうように言った。
「違うだろ。まずは俺の許可が必要なんだ」
「許可?」
 私も彼も、どういうこと? と、首を傾げた。
 注目を受け、東野君はニヤリとする。嬉しげで、いたずらっぽい表情でもある。
「えっ、嘘!  お前まさかっ」
 彼は分かったようだが私は分からない。二人を見比べキョロキョロしていると、東野君が楽しそうに笑って、それからはっきりと答えた。
「お・れ・の、彼女だから」

 彼女……
 彼女???

「ひょえ~っ、やっぱりか」
 叫びたいように恥ずかしかった。おれの、俺の、オレの彼女。
 がくがくする私を前に出すと、東野君は紹介した。
「山室佐奈。今年入学したばかりの新一年生で、学部は文学。店の常連さんの姪っ子で、長野から来たんだ」
「へえ~、常連さんのねえ、ほお~」
 両肩に置かれた東野君の手を意識した。そんなつもりは毛頭ないだろうけれど、あまりにしっかりと重みを感じるから、彼の所有物になった気がした。

「で、こっちのヒトは矢野やの幸平こうへいサッカークラブの友人で、同じく3年。高校から一緒の腐れ縁だよ」
「そういうこと。大塚高校出身……っと言っても地元民じゃないとわかんないよな。ともかく、よろしく、佐奈ちゃん」
 フレンドリーな笑顔と挨拶に、気持ちがほぐれた。いきなりちゃん付けで呼ばれても、ちっとも違和感が無くて、人当たりの良い人だと思った。

「ごめんな、馴れ馴れしくて。こいつ、誰にでもこうなんだよ」
 代わりに東野君が詫びている。
 とても親しい雰囲気であり、もしかしたら親友なのかもと感じた。
「なるほどね。だからプレゼントか何か渡してたわけだ。まあ、そうなんじゃないかって、予測してた奴もいるけど」
 合格と入学祝いのポロシャツのことだ。そういえば、彼らも見ていたのだ。

「お前が女の子にプレゼントするなんて、初めてじゃないの。長い付き合いだけどさ、だって……」
「ま、そんなことはいいよ」
 矢野さんが続けようとするのを止めると、東野君はバスが通りに見えてきたのを指差し、さり気なく私を彼から引き離した。
「ほら、あれに乗るんだ。じゃあな、幸平」
「おいおい、もっと聞かせてくれよ」
「今度な!」

 バスに乗り込み窓の外を見ると、矢野さんが手を振っている。
 キャップを目深に被り、だけど笑顔なのがわかる。全身から「今度また会おうね」と、メッセージが伝わってくる。
「面白い奴なんだ。明るくて、チームのムードメーカー」
 バスが動き出し、東野君も手を上げて合図した。私も一緒に手を振る。
「仲が良いんですね」
「わりとね。いい仲間達だよ」
 楽しそうに言う。クラブとかサークルの仲間は、特別なのかもしれない。

 特別――

 不意に、現状を思い出した。
 私も、東野君の特別になったばかりなのだ。
(そうだった)
 私と東野君は、告白を交わしたのだ。お互いを好きだと。
 そっと彼を見上げる。
 これから、どうするのだろう。好き同士なのがわかって、これから先は……

「何?」
 ついじっと見てしまった私に、東野君が訊ねた。
「あっ、ううん。別に」
 優しい眼差しはいつもどおりで、告白の前と同じ。
 だけど、何かが違っている。その何かが未知であり、私を硬くさせている。

「佐奈」
「はいっ」
 膝の上のバッグを握った。どうにも力が入ってしまう。
「あのさ」
「はいっ」
 ガチガチな私を変に思ったのかどうか、少し間をおいてから彼は言った。
「デートしようか」
「えっ?」

 これからどうするのだろうと考えていたばかりであり、いきなりの提案だった。
 何の準備も出来ておらず、思考は停止する。
「どうかな」
 返事を促す彼に、私は戸惑った。
 この人はどんどん進んでゆく。私の心を先読みするみたいに、速いスピードで。
 もちろん、夢みたいに嬉しいけれど、現実が追いつかず、固まってしまうのだ。これからどこへ行くのだろうと、動けなくなって、返事が、できない。

「ごめん」
 真面目な声が遠くに聞こえた。
 窓のほうを向き、彼は小さく詫びていた。
「東野君……」
「俺、舞い上がってる」
 バスは空いており、乗降する人も少ない。信号待ちでエンジン音が消えると、二人の間もシンとなった。

「君に出会ってからずっと、早くこんなふうになりたいって考えてて、それが叶ったもんだから嬉しくて、どんどん前に進んでしまう」
 表情が見えず、どう応えればいいのか分からなかった。だけど多分、この人は今、声のとおり真面目な顔でいる。少し、自信なさげに。
「幸平の言ったのは本当だよ。女の子にひと目で惚れて、プレゼントして、付き合ってくれなんて言ったの初めてだ。だから、加減がわからない」

 私だってそうです。
 言いたかったけれど、バスが動き始めて機を外し、言葉を呑み込んだ。

「こんな俺だけど」
 こちらを見た。唇を引き結び、やはり真面目な顔でいる。

 好き同士なのが分かったら、次はどうするのだろう?

 未知の世界は、誰だって手探りだ。彼は舵を取り、リードしてくれている。はじめから加減が掴めるわけじゃない。
「私だって、そうです」
 告白と同じ。追いつけなくても、伝えなければ。

(好き同士なのが分かったら、どうするのだろう?)

(好き同士になったら、まずはデートするのだ)

「私、海が見たい」
 目をぱちくりとさせている。
 私もびっくりしている。
 だって加減が分からないから、突然スピードが増したりする。

「海か」
「はいっ」
 東野君は笑顔になる。
 私も一緒に、微笑んだ。
「いいね。計画を立てようぜ」
「うん!」

 初めての二人で舵を取り、未知の世界へと漕ぎ出していた。

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