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一生分の哀しみ
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階段を下りたその時、玄関のドアを開けて入ってきた人物がいた。ミアはそれが誰か分かったとたん、足が竦んで動けなくなる。
「当家の主、プラドー伯爵ですわ」
シンシアが耳打ちをした。
プラドーはミアに目を留め、一瞬驚いた顔になる。
ミアは卒倒しそうになるが、その驚きはミアにではなく、美しい貴婦人に対してのものだった。彼は愛想よく笑い、近付いてくる。
「お帰りなさいませ、ご主人様。こちらは今朝がた海岸でお倒れになっていたのを、当家の使用人がお助けし、手当てしておりました。お体が回復されたので、今からお帰りになるところです……ええと」
シンシアは名前を聞いていなかった迂闊をごまかすように、ミアを見る。
「私は……ミア。ミア・オルバと申します。このたびは、お世話をおかけしました」
ミアが思い切って自己紹介すると、プラドーは、
「そうでしたか。満足なおもてなしもできず申し訳ありませんね、ミアさん……いや、それにしてもお美しいお方だ」
両手を大仰に広げたプラド―の袖口から、包帯を巻いた腕が覗く。思わずじっと見てしまったミアに、プラドーは気まずそうに言いわけした。
「いや、これはその、先日災難に見舞われましてな。泥酔して……ゴホン、何者かに誘拐されて火傷を……ハハッ、お恥ずかしい」
適当なことを言うプラド―に、ミアも適当に相槌を打つ。包帯の理由は、ミアのほうがよく知っていた。
「それでは、道中お気をつけて。ご縁がありましたらまたお会いしましょう」
プラド―はそそくさと立ち去り、奥へ入ってしまった。
ミアは心中で息をついた。
ここはトーマであり、プラドーの屋敷である。そして、鳥籠の塔で火傷したプラドーは、もうディエゴではない。
そして、不思議な現象が二つあった。一つは、ベルが生きていること。もう一つは、ミアという家政婦が存在しないことだ。
ミアは、プラドー家というしがらみから解放されたのを実感する。
ベルがなぜ生きているのかは、よく分からない。だけど今は深く考えられない。現状を把握するだけで、せいいっぱいだった。
「ええっ、ゴアドアですか。ずいぶん遠いですなあ」
表で馬車を用意していた使用人に行き先を告げると、困った顔をされた。シンシアがベルに相談すると言って屋敷に戻りかけた時、懐かしい雄たけびが聞こえた。
空を見ると、紅い鳥が飛翔している。それはみるみるうちに降下して、プラドー家の広い庭に着地した。
「ルズ!」
ミアは叫ぶと、妖獣に駆け寄った。
「やあ、ミア。帰りが遅いから捜しに来たんだ。見つかって良かったー」
ルズは首を回し、プラドー家の庭と屋敷を眺め回した。
「それにしても、おかしなところに居たもんだねえ」
ミアはルズに抱き付き、羽毛に顔を埋めた。堰を切ったように、涙が溢れてくる。
「よしよし、ミア。分かっているよ。一緒に帰ろうね」
ミアはプラドー家の使用人に礼を言うと、ルズの背に乗り、空へと舞い上がった。
「さあ、行くよお~っ!」
ルズは元気よく羽ばたき、スピードを上げた。
プラドーの屋敷が遠ざかる。
トーマの海岸が遠ざかる。
ミアは涙を止められなかった。
これから帰る屋敷には、もうラルフは居ないのだから。
一生分の哀しみを胸に、ミアは泣き続けた。
「当家の主、プラドー伯爵ですわ」
シンシアが耳打ちをした。
プラドーはミアに目を留め、一瞬驚いた顔になる。
ミアは卒倒しそうになるが、その驚きはミアにではなく、美しい貴婦人に対してのものだった。彼は愛想よく笑い、近付いてくる。
「お帰りなさいませ、ご主人様。こちらは今朝がた海岸でお倒れになっていたのを、当家の使用人がお助けし、手当てしておりました。お体が回復されたので、今からお帰りになるところです……ええと」
シンシアは名前を聞いていなかった迂闊をごまかすように、ミアを見る。
「私は……ミア。ミア・オルバと申します。このたびは、お世話をおかけしました」
ミアが思い切って自己紹介すると、プラドーは、
「そうでしたか。満足なおもてなしもできず申し訳ありませんね、ミアさん……いや、それにしてもお美しいお方だ」
両手を大仰に広げたプラド―の袖口から、包帯を巻いた腕が覗く。思わずじっと見てしまったミアに、プラドーは気まずそうに言いわけした。
「いや、これはその、先日災難に見舞われましてな。泥酔して……ゴホン、何者かに誘拐されて火傷を……ハハッ、お恥ずかしい」
適当なことを言うプラド―に、ミアも適当に相槌を打つ。包帯の理由は、ミアのほうがよく知っていた。
「それでは、道中お気をつけて。ご縁がありましたらまたお会いしましょう」
プラド―はそそくさと立ち去り、奥へ入ってしまった。
ミアは心中で息をついた。
ここはトーマであり、プラドーの屋敷である。そして、鳥籠の塔で火傷したプラドーは、もうディエゴではない。
そして、不思議な現象が二つあった。一つは、ベルが生きていること。もう一つは、ミアという家政婦が存在しないことだ。
ミアは、プラドー家というしがらみから解放されたのを実感する。
ベルがなぜ生きているのかは、よく分からない。だけど今は深く考えられない。現状を把握するだけで、せいいっぱいだった。
「ええっ、ゴアドアですか。ずいぶん遠いですなあ」
表で馬車を用意していた使用人に行き先を告げると、困った顔をされた。シンシアがベルに相談すると言って屋敷に戻りかけた時、懐かしい雄たけびが聞こえた。
空を見ると、紅い鳥が飛翔している。それはみるみるうちに降下して、プラドー家の広い庭に着地した。
「ルズ!」
ミアは叫ぶと、妖獣に駆け寄った。
「やあ、ミア。帰りが遅いから捜しに来たんだ。見つかって良かったー」
ルズは首を回し、プラドー家の庭と屋敷を眺め回した。
「それにしても、おかしなところに居たもんだねえ」
ミアはルズに抱き付き、羽毛に顔を埋めた。堰を切ったように、涙が溢れてくる。
「よしよし、ミア。分かっているよ。一緒に帰ろうね」
ミアはプラドー家の使用人に礼を言うと、ルズの背に乗り、空へと舞い上がった。
「さあ、行くよお~っ!」
ルズは元気よく羽ばたき、スピードを上げた。
プラドーの屋敷が遠ざかる。
トーマの海岸が遠ざかる。
ミアは涙を止められなかった。
これから帰る屋敷には、もうラルフは居ないのだから。
一生分の哀しみを胸に、ミアは泣き続けた。
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