琥珀色の花嫁

藤谷 郁

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魔物の狙い

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 自分の手すら見ることが出来ない闇の中、魔物の飢えた息づかいだけが不気味に響いている。
 木も草も死んだように動かない。すべての生命が、己の存在を知られないよう、息を潜めるかのように。
 森の主が屋敷の周りに現れるのは初めてのことだ。

 ラルフは豆の木を伝って地面に降りると、口の中で呪文を唱え、小さな火の玉を作った。
 視覚に頼らずとも、感覚だけで渡り合うことはできる。
 しかし今夜は特別に暗く、ただの妖魔が相手でも油断はできない。ましてや、その妖魔が恐れる魔王の登場に、さしもの番人も慎重になっていた。

 ゆっくり歩き出すと、何かがざわざわと彼の上に集まり、渦を巻き始めた。
「珍しいことがあるものだ。お前から私に会いにくるとは」
 ラルフは闇に向かって話しかけた。火の玉が彼の背後を守るように付いてくる。

 渦の中心が真上に来た辺りで、ラルフは立ち止まった。
「何が狙いだ。随分と苛立っているようだが」
 笑みを浮かべて訊くと、頭上の渦巻きは怒気を含んだように大きく膨らみ、普通の人間なら失神してしまいそうな、恐ろしい声で唸り始めた。

 渦巻きは降下し、今度は黒い霧になってラルフを取り巻く。どす黒い気配が四方八方から彼に纏わり付き、暴風が巻き起こった。

 よこせ おれに あいつを のませろ あいつが ほしい のませろ

「あいつ?」
 暴風をものともせず、ラルフは静かに立っている。霧は激しく吠え、竜巻の形になって上空へ巻き上がった。
「何をする気だ」
 急に上昇した魔物を、ラルフは驚いて見上げる。

 くるしい はやく のませろ あいつを 

 竜巻は闇の中に一瞬溶け込み、ぱっと分散したかと思うと、たちまちのうちに巨大な魔獣の貌(かお)へと変化した。一目見ただけで地獄へ落ちるような、凄まじく残忍な貌。
 魔物が覗いた寝室の窓から、ミアの悲鳴が聞こえた。

「バラン・ドア・エル・エノ!!」

 ラルフが叫ぶと同時に、彼の背を守っていた火の玉が、猛烈な勢いで魔物へと飛んだ。

 お お おおおおおーーー!!!

 貌を苦しげに歪ませ、魔物は咆哮した。火の玉の爆発とともに、一気に分散する。

「魔物よ、そこを離れろ。こっちへ来い!」
 分散した貌は再び黒い霧となり、ラルフのもとへ降りた。
 しばらくラルフの周りを恨めしそうに回っていたが、やがて大人しくなり、さっきまでの激しさが嘘のように静かになる。

「『あいつ』とは誰のことだ?」
 穏やかな口調で訊いてみる。火の玉はもう要らない。目を閉じて、闇の中で魔物と対峙する。
 魔物は返事をためらっているのか、無言のまま彼の周りをウロウロ回るばかり。
「……あの部屋にいる娘か」
 霧の動きが緩やかになる。ラルフの中に、声が聞こえてきた。

 あれ は ちがう 

「違う?」
 では誰のことだと質問を重ねるが、魔物は先ほどの答えをすぐに撤回した。

 いいや そうだ やはり あれだ あれが のみたい はやく のみたい

「一体、どういうことだ。あれが、そんなに美味そうに見えるのか?」

 のみたい のみたい

 わけが分からないが、とりあえずラルフは魔物に言い聞かせた。
「まあ、落ち着け。なぜあれを欲するのか知らないが、今は駄目だ。まだくれてやるわけにはいかない」
 ミアはまだゴアの持ち主である。首尾よく石をいただき、次の妻が見つかるまでは手元に置くつもりだ。
「用済みになったらお前に呑ませてやる。それまでは煩くするな」

 いま のみたい

「私はお前をこの場で、跡形なく消すこともできるのだぞ!」
 ラルフは冷たい瞳を見開くと、闇に向かって恫喝した。

 魔物は沈黙し、そのかわり地鳴りがした。いかにも恨めしそうな響きである。
 黒い霧は大きく広がると、屋敷を取り囲むようにぐるりと周って、名残惜しそうに跡を引いて森の奥へと立ち去った。

 風が吹き、草木がさわさわと音を立て始める。

 ラルフはふっと息をつくと、寝室で気絶しているであろうミアを思い浮かべた。
「本当に、あれがほしいのか? 何のへんてつもないただの娘ではないか」
 魔物の意図は不明だが、何にせよ、用心はしておく。ミアは現在彼の妻であり、守るべき存在である。

 ラルフは呪文を唱え、これまでよりさらに強力な結界を屋敷の周りに張り巡らせた。
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