フローライト

藤谷 郁

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始まりの旅

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時は過ぎて――

彩子と良樹は5月の連休を利用して、鉱物採集と温泉の旅に出かけた。

採石地は高速道路を1時間、県道を50分走った山の中。一泊する予定の温泉地は、そこからさらに北へ2時間のみちのりだ。

山への旅は、初めて会った日に交わした約束である。あれから4か月と少し。季節は初夏にうつっていた。


1970年ごろ閉山した蛍石鉱山の跡地が隣県にある。そこには鉱山ズリが残り、蛍石をはじめ何種類かの鉱物が採集できるらしい。

旅行計画を立てる際、良樹が地元の博物館や鉱物サークルに聞き合わせ、詳細を教えてもらった。


「白、紫、緑の石……楽しみだな」


良樹は子どものようにウキウキして、車を走らせている。

彼が身に着けるベストのポケットには、採石の必需品であるルーペなどの小物が入っている。地図、メジャー、ハンマーといった道具もザックにまとめ、後部席に積んであった。

彩子は何を用意すればいいのかわからないので、すべて彼にお任せだ。

それほど山奥ではないので、地形図やコンパスは必要ないと良樹は言った。山奥の場合は入山届けを地元の警察に出してから採集に行く。そんな時は高度計も持参すると言う。

良樹が嬉しそうなので、彩子もよく分からないながらも楽しい。ここのところ仕事が忙しくてデートできなかったので、旅行が待ち遠しかった。

新緑に包まれた道が清々しい。二人は爽やかな気分でドライブした。


午前10時ちょうどに、目的地に近い場所まで来た。

道は舗装されているが、幅が狭く左右から木々が覆いかぶさっている。

良樹は道路脇の空地に車をとめた。


「着いたぞ」


二人は車を降りて周りを見回す。車も人も見当たらない。樹木の生気が胸の奥まで染み渡る、山らしい空気だ。


「さて、行こうか」


良樹はリュックを肩に出発した。彩子もあとに続き、林道を歩いて行く。林道とはいえ、舗装道路は歩きやすく、左右を見る余裕もある。久々の自然を堪能した。

途中、小川を見つけた。彩子は好奇心が湧いて、川の水に手を浸してみる。


「わっ、冷たい!」

「そりゃそうだ」


大げさに驚く彩子を見て、良樹は可笑しそうに笑った。



「お、見えてきた」


良樹が指をさす方向に、砂利と石ころの堤みたいな場所があった。


「あれが鉱山ズリだ」


早足の彼に釣られ、彩子も小走りする。


「あるね」


良樹は腰を屈め、緩やかな斜面に顔を近付ける。何かを拾って、彩子を手招きした。


「蛍石だよ」


彼の指先で、透明なかけらが光っている。

彩子は手渡されたそれを、ルーペで観察した。


「これが、蛍石……」

「まだまだあるぞ。探そうか」


二人は堤を丹念に見て回った。


「滑りやすいから足元に気を付けて」

「はい」


研磨された石などない。ごつごつとして無愛想な、それでいて素朴な美しさを持つかけらが、あちこちで光を反射する。


「宝探しみたいだね」

「だろ?」


良樹はズリのてっぺんに移動した。そして1時間後。


「彩子!」


良樹が大きな声で呼んだ。慎重に斜面を登って近付くと、彼は安全眼鏡を寄越した。


「破片が飛び散るから、これをつけて」


良樹はゴルフボールほどの岩を手に持っている。

手袋をはめた左手で岩を固定し、ハンマーでコツコツと叩いた。岩はひび割れ、良樹はそっとそれを開く。


「ほら」


彩子が覗くと、岩の内側に青色の蛍石がくっついている。周囲の白い部分は石英だ。コントラストがとても美しい。


「石の卵みたい」

「そのとおりだ」


良樹は満足そうに微笑み、さらに探し始めた。

鉱山ズリは自分の庭ではない。

許可を得ているとはいえ、やたらと荒らすことはできない。良樹はこれと決めた石のみ採集した。


「俺はもう少し探すけど、彩子は休んでもいいぞ」


彩子は木陰で休むことにした。

風がひんやりとして気持ちいい。良樹を見ながら、来て良かったと思う。仕事のストレスも、少しは解消できるだろう。


「ん?」


木の根元にきらりと光るものがあった。目を凝らすと、それは淡い緑色の石。彩子のチョーカーに付いていた蛍石とそっくりの色だ。


「きれい……」



彩子は戻ってきた良樹に、拾った石を見せた。良樹はルーペを使って観察すると、


「蛍石だな。自形結晶を成している」

「じけいけっしょう?」

「蛍石は立方体や八面体が自然な結晶形なんだけど、この石はそれに近い」


なるほど、確かにそう見える。


「こんな木の根元にあった?」

「うん」

「ラッキーだな」


良樹は彩子の手に石を握らせ、荷物を片付け始める。

宝物を手に入れた二人は、蛍石鉱山の探検を終えた。


次は温泉旅行に出発である。

良樹はアクセルを踏み、県道を北へと走った。



彩子は窓の景色を見ながらぼんやり考える。


(去年の秋、私は一人だった。智子が結婚すると聞いて、孤独を感じたっけ。野暮な自分がやりきれなくて、結婚どころか恋愛も無理じゃないかと不安になって……)


それがどうだろう。伯母に良樹を紹介されてから、日々は一変した。

イブのお見合いで初めて良樹に会った時、人として好感を持った。そして、会えば会うほど彼に惹かれ、好きになっていった。

初めてキスした日は、あのまま消えてしまってもいいとすら思えた。

美那子や佐伯のこと、いろいろあったけれど、好きな気持ちが揺らぐことはなかった。どうしてこんなに好きになってしまったんだろう。


(優しいだけじゃない。私を甘やかそうとしない良樹なのに、絶対に離れたくないと思う)


彩子は、いつものように穏やかな運転をする彼をそっと見つめた。


「早く一緒に暮らしたいね」


ずっと胸に抱いている願いを口にする。良樹はちらりとこちらを見て、


「そうだな。でも、ほんとに夢みたいだな」

「夢みたい?」

「ああ」

「私と暮らすことが?」

「うん、どう言えばいいのか……参るな」


彩子と同じく、良樹も気持ちの説明は苦手分野のようだ。


「じゃあ、今夜ゆっくり聞かせてもらおうかな」


彩子がいたずらっぽく言うと、良樹はただ頷いていた。

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