フローライト

藤谷 郁

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彼の世界。私の世界。

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木曜日――

彩子は空手の稽古を見学するため、原田に教えてもらった道場にやって来た。稽古は中学校の武道場を借りて行われる。


「着いたら中に入るよう言われたけど、ほんとにいいのかな」


彩子はまず、中の様子を窺うことにする。

武道場の換気用の小窓から覗くと、中は明るく、白い空手着の子ども達が見えた。次に原田の姿を探すが……


「おいっ、何をしている!」


突然、強い力で肩を掴まれる。

ドキッとして振り向くと、見覚えのある顔が笑っていた。原田の大学時代の後輩、平田ひらたかおるだ。


「ひ、平田さん……」

「はっはっは。彩子さん、久しぶりですね。見学ですか」

「もう、びっくりさせないでくださいよ~」


驚かされたが、知り合いに出会ったことで彩子は安心した。


「原田さんに誘われてきたんですけど、何だか入りづらくって」

「いいっす、俺と一緒に行きましょう」


平田は頑丈そうな肩を揺すり、前を歩き出した。今日の彼は、仕事帰りのためか作業服を着ている。


「ん?」


彩子はふと、彼の左手に指輪が光るのに気付いた。


「あれっ、平田さんは結婚されていたのですね」

「うん。一年前に嫁さんをもらいました」


意外に思うが、よく考えるとそうでもない。平田は若いけれど、落ち着いた雰囲気を持っている。既婚者であっても、じゅうぶん頷ける。



押忍オス!」


平田は道場の入り口で一礼した。

彩子も倣って頭を下げる。


「この時間は少年部が中心なんです。あと、一般部の女性も参加されてますよ。お母さん達とか」

「そうなんですか」


なるほど、小中学生と女性ばかりだ。

平田は彩子を促し、中央に歩いていく。そこには、黒帯の男性が二人立っていた。一人は40歳ぐらいのいかつい男性で、もう一人は原田である。


「先輩、外で不審な人物を見つけたので連れてきました~」


平田が冗談口調で報告し、彩子を前に押し出す。


「ほう、どこかで見たような不審人物だな」


原田も冗談を受けて返す。

空手着姿の原田を前に、彩子は何も言えずもじもじした。


「おいおい、よせよ原田君。案外意地が悪いなあ」


いかつい男性が原田の肩をぽんと叩いた。彼は道場の指導員だという。笑うと、とても優しそうな顔になった。


「こんばんは、彩子」

「こっ、こんばんは、原田さん……」


空手着姿の原田は、やはり素敵だ。彩子は何だか照れてしまって、落ち着かない。


「あの、どこで見学すればいいですか?」

「見てるだけなんて、もったいない」

「はい?」


原田は床に置いてある空手着と白い帯を取り上げ、彩子に渡した。


「え……?」


これって、どういうこと?

彩子は目をきょろきょろさせた。


浅見あさみさん!」


原田が呼ぶと、黒帯を締めた30代くらいの女性が走ってくる。

彼女は彩子を見ると、にこっと笑った。


「押忍、この方ですか」

「そう、この人です。よろしくお願いします。彩子、こちらは道場生の浅見さんだ」


浅見は「よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶した。彩子も釣られて、頭を下げる。


「それじゃ、俺は指導を始めるからこれで。頑張れよ、彩子」


原田は彩子を浅見に預け、すたすたと立ち去ってしまった。


(えっ、頑張れよ……って?)


「頑張りましょうね、山辺さん。私が付いてますから大丈夫ですよ!」

「あの、ちょっと待っ……」


浅見は笑顔で彩子を更衣室に引っぱっていく。


(そ、そんな。聞いてないよお~!)


彩子はわけが分からぬうちに、空手着を着ていた。


「あれっ、意外と似合いますね!」


浅見に言われて、彩子は鏡の前に立つ。いかにも弱そうな感じ……というか、まったく似合わない気がするのだが。


「まずは体操です。一緒にやりましょう」


道場に戻ると、浅見は楽しそうに彩子の手を取り、体操の輪の中に連れていく。


浅見は黒帯を締めている。よく見ると、少年達は黒の他、黄色や青色など、様々な色の帯を締めている。浅見に訊くと、級によって色が違うのだと教えられた。

体操が終わると、上級者から順に前に並んだ。

彩子は最後列に並び、見よう見まねで基本稽古をやってみる。単純に見えて、なかなかハードだった。

それが終わると移動稽古が始まるが、彩子は浅見と道場の隅へ移動し、マンツーマンで立ち方や手技の基本というのを教わる。

寒い道場なのに、子ども達の足もとを見ると汗で床が光っている。すごい運動量なのだ。

彩子も全身に汗をかいていた。


少年部の稽古は1時間で終了する。このあと一般部に入れ替わり、1時間稽古が行われるらしい。

大人の道場生が顔を出し始めていた。


「いい運動になったでしょう」


更衣室に入ると、浅見は朗らかに笑い、彩子にタオルを渡した。


「すみません、何も持ってこなかったので……お借りします」

「原田先輩も人が悪い」


浅見は汗を拭きながら、彩子にお茶の入った紙コップをすすめた。


「いただきます」

「う~ん、さすが原田先輩の奥さんになる人だ。礼儀正しいですね」

「ええっ? あっ、あの……恐縮です」


彩子は『奥さん』という言葉に照れてしまった。

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