フローライト

藤谷 郁

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フローライト

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雪村との電話の後、彩子は眠った。

不安定な心は不安定な夢を見せるのか、何かに驚いて目を覚ました。どんな夢だったかは憶えていない。思い出そうとして額に手を当てていると、母の声が聞こえた。


「彩子、お客様よ」


ドアを開けて顔を出し、不思議そうに首を傾げている。


「誰?」

「それが、知らない女の人で……甲斐美那子さんって方」

「えっ」


彩子は驚いた。

さっきまで雪村のところにいたはずの彼女が、なぜここに?


「上がってもらう?」

「そ、そりゃ、もちろん」


彩子はそわそわした。あの人がどうして家まで来たのだろう。

疑問を抱いたまま、彼女を迎えた。


「突然おじゃまして、すみません」


美那子は部屋に入ると、急な来訪の無礼を詫びた。


「とんでもないです。あの、どうぞ、座って下さい」

「ありがとう」


ベッド脇の椅子に彼女が腰掛ける時、彩子は冷気を感じた。

窓を見ると、粉雪が降りしきっている。美那子は雪の冷たさを身にまとい、部屋に入ってきたのだ。

「律子から、彩子さんが風邪を引いていると聞いて、お見舞いにきました」

「あ、そうだったんですね……」


律子というのは雪村の名前だ。そうだったのかと、彩子は少し納得する。それにしても、素早い行動だと思う。


「ちょうど、お話したいこともありましたので」

「わざわざすみません、ありがとうございます」


彩子は何となく身構えた。この美しい女性――美那子には、えもいわれぬ魅力とともに、威圧的なものを感じるのだ。


「先日はごめんなさいね。変な態度を取ってしまって」

「えっ……?」

「あなたの婚約について、簡単に決めたとか、男を簡単に信用するなとか、野暮なことを言ったでしょう」

「あっ、それはその、気にしていませんです」


実は気にしていたのが態度に出てしまう。美那子はクスリと笑って、


「私、あなたと同じ年頃に、婚約までした男性に裏切られたの」


彩子は思わず顔を上げる。

この美しく聡明な女性が男に裏切られた? とても信じられない。


「まさか、そんな」

「本当よ。それでね、その当時、良樹君に随分と力になってもらって、こうして立ち直ることができたのよ」


彩子は、いきなり横面を叩かれたような衝撃を受ける。


「自暴自棄になった私を、彼が助けてくれたの。体を張って守ってくれたのよ」

「……」


美那子はうっとりとした表情で、目を潤ませる。

彩子は体が寒くなるを感じた。どんな反応をすればいいのかも分らず、ただじっと、美那子の紅い唇を見つめる。


「そんな良樹君にプロポーズされたあなたに向かって、男を信用するなだなんて、的外れなアドバイスだったわ。だから、こうしてお詫びに来ました。本当にごめんなさいね」


話の筋は通っている。

しかし、彼女の言葉はおもりのように彩子の胸を圧迫した。


「あら、これは?」


彩子が呆然とするのを知ってか知らずか、美那子はサイドテーブルに置かれたチョーカーに目を留める。


「フローライトね。これは彩子さんの?」

「はい……私の、お守りです」


無意識に返事をする。頭は混乱したままだ。


「そう、お守り……」


彩子は気まずい気持ちになり、窓へと視線を逸らした。曇ったガラスの向こうで、雪が激しく降っている。


「それでは、帰ります。彩子さん、お体を大切にね」

「え……」


彩子が顔を戻すと、美那子は微笑し、スーッと部屋を出て行く。引き止める間もない、消えるような立ち去り方だった。




彩子の家を出ると、美那子の上に容赦なく雪が降りかかってきた。

怨念と羨望の渦巻く目で、彼女は窓を見上げる。

そして、コートのポケットに滑り込ませたそれを、きつく握りしめた。






月曜日の朝、彩子は体温計を確認した。平熱よりほんの少し高いが、何とか頑張れそうだ。


「あれっ?」


出勤の支度をしてから、ふと気が付く。蛍石のチョーカーが見当たらない。


「変だな。サイドテーブルに置いたはずなのに」


そこで、昨日のことを思い出す。

美那子がお見舞いにきた。

彼女は帰る間際に『これはフローライトね』と口にした。その時は確かに、サイドテーブルにあったと記憶している。

彩子はまさかと思い、ベッド脇やテーブルの周りはもちろん、部屋の中をくまなく探した。

やはり、見つからない――


「そんな……」


出勤時刻が迫っている。とりあえず会社に出かけることにした。



仕事は相変わらず忙しく、来客も電話も引っ切りなしだ。おまけに新しいソフトの設定とデータを移動する作業が加わり、てんてこまいである。


「今週がピークよ。彩子ちゃん、頑張ろうね」


新井が彩子の肩をぽんと叩き、栄養ドリンクを飲み干す。彼女も相当疲れているようだ。

だけど、どんなに忙しくても、彩子は蛍石のことを忘れなかった。

そして、どう考えても美那子の手にあるような気がしてならない。それ以外、考えられないのだ。

ようやく仕事が終わる頃、疑念は確信に変わっていた。

彩子は会社を出ると急いで駅前に走り、タクシーに乗って『コレー』へと向かう。こうなると迷いもなく行動に移るのが彩子だった。
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