フローライト

藤谷 郁

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寒稽古

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原田が初めて山辺家を訪れた時と同じく、両親や木綿子伯母の話をするうちに、段々と和やかな雰囲気となる。

リビングに席を移す頃にはさらに彩子はリラックスし、かえって気を引き締めなくてはと自分に言い聞かせるほどだった。


「そうだ、アルバムを見ましょうか彩子さん」


啓子が名案を思い付いたように手を叩く。


「ああ、いいねえ。父さんも久しぶりに見たいな」


浩光も同意する。

その提案に原田だけは難色を示したが、あっさりと無視された。


「あまり小さい頃のはよしてくれよ」


いつも落ち着いた原田が焦った様子なので、彩子はつい微笑んでしまう。


「わかったわよ。じゃあ、小学校の高学年くらいからね」


啓子は彩子が見やすいようにアルバムを開いた。写真はどれも色あせて、年月を感じさせる。

野球のユニフォームを着た原田が写っている。くるっとした目の、なかなか凛々しい野球少年である。


「良樹は野球が好きでね、中学も野球部だったのよ」

「そうなんですか」


だから今でも会社のチームに入っているのだなと、彩子は納得する。


「あっ、かわいいですね」


友達と肩を組んでおどける原田の写真を見つけた。今の原田からは考えられない、ひょうきんな表情だ。


「あーもう、やめよう!」

「駄目駄目。良樹はあっちに行ってなさい」


抵抗する息子に、啓子はにべもない。

次は中学時代の写真だ。

なるほど、野球の試合と見られる写真が数多くある。ユニフォームに『IWAMOTO』と学校名が刺繍されていた。


「高校になっても続けると思ったんだがね」


浩光が残念そうにつぶやく。原田はレギュラーで、試合では活躍したらしい。


「彩子さんはソフトボール部だったんですってね。木綿子さんから聞きましたよ」

「はい、ソフトボールも野球も大好きなスポーツです」


浩光はぱっと明るい顔になり、身を乗り出した。


「それはいい。今度、プロ野球を観に行きましょう」


嬉しそうにする父親を、原田が肩で押した。


「親父、勝手に約束しないように」


口を尖らせて注意するので、皆笑った。

高校時代の写真は少なかった。彩子もそうなのだが、この頃になるとアルバム用の写真を、あまり撮らなくなるのかもしれない。


「あれっ、もう終わりか。大学の時のは……」


浩光は言いかけたが、急にアルバムを閉じると、サッと立ち上がる。


「おい、そろそろ食事に行こう」

「そうね、そうしましょう」


啓子もソファを立つと、部屋の戸締りを始めた。

どことなく不自然な様子に、彩子は原田のほうを振り向くが、車を出しに行ったのか姿がなかった。




原田が運転する車で、和風レストランに出かけた。先ほどの不自然さは移動中に取り紛れ、四人は再び和やかに食事を楽しむこととなった。


食事から戻ると、啓子がコーヒーを淹れると言うので彩子は手伝おうとするが、


「いいのいいの、ゆっくりしていて。そうだ良樹、あなたの部屋を見てもらったらどう? 昨日、めずらしく掃除してたでしょう」


あからさまな言い方に、原田は苦笑する。


「掃除しましたとも。どうぞ、彩子さん」


どこの家でも母親には敵わないなと彩子は思い、クスクス笑った。



原田の部屋は2階の二間だった。

8畳と6畳の続き間になっていて、フローリングカーペットが敷かれている。6畳の部屋を見ると、今は使われていないベッドが、カバーをかけられた状態で置いてある。

原田は6畳間との境のふすまを、何となくという感じで閉めた。

そして南側の窓のカーテンを開けると彩子の方を向き、ちょっと照れくさそうに手を広げた。


「まあ、こんな感じです」


彩子は本棚を見てみた。


(原田さんって、どんな本を読むのかな)


化学や地学の本がずらりと並び、文学などの読み物は見当たらない。この辺は彩子と相違するところだ。スポーツ関係の雑誌は共通している。


「あ、これは?」


本棚の横に大きな棚が設えられ、何段もの引き出しが納まっていた。


「石ですよ」


原田は言うと、一段出して見せた。


「あ……鉱物の」


アクセサリー工房『コレー』で見せてもらったような、鉱物の標本だ。一つ一つに採集日・場所などのシールが貼ってある。

ごく近場で採集したものが多いようだ。


「全部自分で集めたんですか」


彩子が訊くと、原田はもちろんと頷く。


「小学生の頃からの趣味だから、相当なもんでしょう」


確かにこれはすごい数である。


「今はきれいにしてあるけど、前はもっとひどくて、床なんか砂利だらけだった」


原田はこれでも整理したほうだと言い、隅にかけてあるカーテンを開いた。

その一角には作業台が置かれ、引き出しにはルーペや顕微鏡、ふるいやスポイトなどが整理してあった。

また、棚には薬品のビンが並び、壁にはハンマーなどの工具が掛けてある。


「本格的ですね」


彩子は感心するが、原田は首を横に振る。


「う~ん、まだまだだね。将来は作業所付きの一戸建てを持とうと計画してるんだけど……」


言いかけて、彩子を見つめた。


「駄目ですかね」

「……え」


作業所付きの一戸建て――


彼の言わんとするところを理解し、彩子は頬を染めた。つまり彼は、将来ともに暮らす家について、了解を得ようとしている。


「い、いいと思います……はい」


汗をかきながら、それでも何とか返事することができた。


「それはよかった!」


原田は嬉しそうに笑う。

それは心から素直に喜ぶ、野球少年の笑顔だった。


原田とのやり取りに喜びを感じる一方、彩子は『コレー』と、そのオーナーを思い出していた。鉱物の標本を眺めるうち、彼女の顔が自然と浮かんでしまう。

やはり原田は、これら鉱物の関係で、彼女と知り合ったのだろうか。

工房は女性限定だから、カフェで石の話をしたのかもしれない。そういうことがあっても、全然不思議ではない。

でも、彩子は訊くことができなかった。

あの美しい人を思い出すと、どうしても口に出せないのだ。


「彩子さん」


原田の声で我に返る。彼はいつの間にか、彩子の傍に来ていた。


「えっ?」


彼はいきなり彩子の手を取ると、白い小さな箱をその中に持たせた。


「……!」


突然の触れ合いに、彩子は大げさなくらい驚く。

結婚までしようとする相手に手を取られたくらいで、これほど動揺するのはおかしい。

だけど仕方がない。

二人は何年も付き合ったカップルとは異なり、なにもかもが初めてなのだ。


「な、何でしょうか?」


原田を見上げると、彼はにこりと微笑む。


「開けてみて」


不思議に思いながらも、小箱の蓋をそっと開く。


「あっ」


きれいにカッティングされた葡萄色の石が、純白の布地に納められている。ゴールドを使い、ペンダントヘッドにデザインされた石はアメシストだ。

2月の誕生石である。


「少し早いけど、誕生日プレゼント……下に行こうか」


原田は早口で言うと、先に部屋を出て行ってしまった。


「原田さん……」


思わぬ贈り物に、またもや頭も心も喜びでいっぱいになる。

コレーやオーナーのことなど、彩子の中からたちまち弾き出されてしまうのだった。
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