25 / 82
寒稽古
2
しおりを挟む
寒稽古は宮野川の河原で行われる。
川の水温は2度と聞いて、稽古の参加者も見学者も震え上がった。
集まった練習生は150名ほど。それぞれ支部ごとにストレッチをしたり、型の動きをしたり、寒さに負けないよう準備している。
「では彩子さん、自由に見学していて下さい。この辺りなら日当たりがいいし、大丈夫でしょう」
原田は見学者用スペースまで彩子を送ると、後輩二人とともに川辺に走って行った。
「いよいよ始まりますね」
彩子の隣で見学する女性が話しかけてきた。彼女は少年部の保護者とのこと。
「基本、移動、型、それが終わると川に入るのよね~。風邪引かなきゃいいけど」
「基本、移動、型……ですか?」
彩子が聞き返すと、女性は「あれっ?」という顔をする。
「練習生のご家族では?」
「いえ、知り合いが参加するので、初めて見学にきたんです」
「そうなんだ~。あのね、基本って言うのは……」
女性は親切に、稽古のあらましを教えてくれた。
「それでね、師範と、指導員と、一般部の人達が最後に川に入るのね。あと、男は子どもからお年寄りまでみんな上半身裸になって稽古するの。うふふっ」
女性は彩子の肩をぽんぽん叩き、嬉しそうに笑う。
「若い子に何教えてんのよ」
母親仲間が横から口を出すと、近くにいた他の母親達もどっと笑った。彩子はどういう顔をすればいいのか分からず、困ってしまう。
「それでは寒稽古を始めます。男性は上を脱いで、女性はTシャツになって下さい!」
スピーカーで指示が飛ぶと、母親達の元に子どもらが次々と駆けてきて、空手着を預けていく。
彩子はそれを微笑ましく見守っていたが、ふと河原に目をやり、原田を見つけると硬直した。
原田は痩身ではなかった。
極端に着痩せするタイプの人が居るが、彼がまさにそうだ。
均整がとれた筋肉質の身体は、適度な厚みがある。きつい打撃にも耐え得るよう鍛え上げたのだろう。腰周りも逞しく、頑丈そうだ。
穏やかで優しい原田のイメージとは真反対の、猛々しさすら感じられる肉体だった。
「……」
彩子は言葉もなく、一人で動揺する。
そして上気した頬を両手で押さえ、うっとりとした眼差しで彼の身体に見とれた。
水辺に近い側に、黒帯を締めた人達が一列に並ぶ。先ほどの母親が、彼らは各道場の指導員だと教えてくれた。
「せいれーつ!」
鉢巻をした大柄な男性が声を張り上げると、散らばっていた練習生がザーッと集まり、整列する。川に背を向けた指導員と向き合い、高段位の者から順に並ぶのだという。
原田と後輩二人は前列に揃っている。
支部長の挨拶が終わると、基本から順番に稽古が始まった。
彩子にとって初めて見る空手の稽古は新鮮で、迫力の光景はまさに壮観だった。
また、空手の型が何とも言えず美しい。
「武は舞に通ず」と表現されるのは本当だと、彩子は思った。
基本、移動、型が終わると、指導員と一般部の大人達から順に川に入っていく。
大人は腰の辺りまで、お年寄りや小さな子どもは足首まで水に浸かり、冷たさに耐える。見ているだけで、心身が引き締まる思いだ。
気合とともに、全員で正拳突きを100本決めると太鼓が鳴り、寒稽古は無事終了した。
彩子は原田の笑顔を見つめ、たくさんの拍手を送った。
稽古のあと、練習生のために蒸しタオルが配られた。河原に設営されたテントで各々体を拭って、着替えを行う。
原田はスポーツウェア姿で、彩子のもとに走ってきた。
「彩子さん! これからぜんざいが振舞われます。行きましょう」
バーベキューの設備がある広場で、大鍋にぜんざいが用意されたらしい。
「当番の支部が早朝から準備しています。毎年恒例ですよ」
「そうなんですか。私もいただいてしまって、大丈夫ですか」
「もちろん! 彩子さんは俺の……」
原田は言いかけて、頭を掻いた。うまい言葉が見つからないらしい。
「うふふっ……あ、ごめんなさい」
「ひどいな」
彩子の反応に原田は困った顔をするが、気分は悪くなさそうだ。
「久しぶりにしっかり基本稽古ができた」
「他にはどんな練習をするんですか?」
「まだ組手がある。あと、技のコンビネーションの練習も、ミット打ちも」
原田は目を輝かせた。本当に空手が好きなんだなと、彩子には羨ましいくらいに映る。
「そう言えば、川の水は冷たかったでしょう。寒くないですか?」
原田はTシャツにトレーニングウェアの上下という薄着だ。
「いや、大丈夫ですよ」
「すごい。寒さに強いんですね。あ、そういえば平田さん達はどこに?」
彩子は平田と木村の姿が無いのに気が付く。
「先に食ってますよ。真っ先に走って行きましたから」
「えっ、そうなんですか」
二人の様子が目に浮かび、彩子は楽しくなって笑った。
彩子は原田達とぜんざいをいただいたあと、車に戻った。その途中、いかつい顔をした男達に原田が呼び止められ、何か話していた。
「部長と師範、何だったんですか」
車に乗り込むと、平田と木村が原田に尋ねた。
「いつもの話ですか。師範代の講習とか」
「ああ」
「出てみたらいいじゃないですか」
木村が身を乗り出し、平田もうんうんと頷いている。
「俺は稽古量の点で無資格なんだよ」
原田は素っ気なく答えて、エンジンをかけた。
「それでも勧められてるんでしょう。稽古量を補う方法はあるんですよ」
「挑戦してほしいッス。原田さんなら師範になってもおかしくないのに」
二人の後輩は声を揃えて言うが、
「まともに務められない免状はいらないの」
平田と木村は顔を見合わせると、肩をすくめる。
原田の横顔は頑なだった。
川の水温は2度と聞いて、稽古の参加者も見学者も震え上がった。
集まった練習生は150名ほど。それぞれ支部ごとにストレッチをしたり、型の動きをしたり、寒さに負けないよう準備している。
「では彩子さん、自由に見学していて下さい。この辺りなら日当たりがいいし、大丈夫でしょう」
原田は見学者用スペースまで彩子を送ると、後輩二人とともに川辺に走って行った。
「いよいよ始まりますね」
彩子の隣で見学する女性が話しかけてきた。彼女は少年部の保護者とのこと。
「基本、移動、型、それが終わると川に入るのよね~。風邪引かなきゃいいけど」
「基本、移動、型……ですか?」
彩子が聞き返すと、女性は「あれっ?」という顔をする。
「練習生のご家族では?」
「いえ、知り合いが参加するので、初めて見学にきたんです」
「そうなんだ~。あのね、基本って言うのは……」
女性は親切に、稽古のあらましを教えてくれた。
「それでね、師範と、指導員と、一般部の人達が最後に川に入るのね。あと、男は子どもからお年寄りまでみんな上半身裸になって稽古するの。うふふっ」
女性は彩子の肩をぽんぽん叩き、嬉しそうに笑う。
「若い子に何教えてんのよ」
母親仲間が横から口を出すと、近くにいた他の母親達もどっと笑った。彩子はどういう顔をすればいいのか分からず、困ってしまう。
「それでは寒稽古を始めます。男性は上を脱いで、女性はTシャツになって下さい!」
スピーカーで指示が飛ぶと、母親達の元に子どもらが次々と駆けてきて、空手着を預けていく。
彩子はそれを微笑ましく見守っていたが、ふと河原に目をやり、原田を見つけると硬直した。
原田は痩身ではなかった。
極端に着痩せするタイプの人が居るが、彼がまさにそうだ。
均整がとれた筋肉質の身体は、適度な厚みがある。きつい打撃にも耐え得るよう鍛え上げたのだろう。腰周りも逞しく、頑丈そうだ。
穏やかで優しい原田のイメージとは真反対の、猛々しさすら感じられる肉体だった。
「……」
彩子は言葉もなく、一人で動揺する。
そして上気した頬を両手で押さえ、うっとりとした眼差しで彼の身体に見とれた。
水辺に近い側に、黒帯を締めた人達が一列に並ぶ。先ほどの母親が、彼らは各道場の指導員だと教えてくれた。
「せいれーつ!」
鉢巻をした大柄な男性が声を張り上げると、散らばっていた練習生がザーッと集まり、整列する。川に背を向けた指導員と向き合い、高段位の者から順に並ぶのだという。
原田と後輩二人は前列に揃っている。
支部長の挨拶が終わると、基本から順番に稽古が始まった。
彩子にとって初めて見る空手の稽古は新鮮で、迫力の光景はまさに壮観だった。
また、空手の型が何とも言えず美しい。
「武は舞に通ず」と表現されるのは本当だと、彩子は思った。
基本、移動、型が終わると、指導員と一般部の大人達から順に川に入っていく。
大人は腰の辺りまで、お年寄りや小さな子どもは足首まで水に浸かり、冷たさに耐える。見ているだけで、心身が引き締まる思いだ。
気合とともに、全員で正拳突きを100本決めると太鼓が鳴り、寒稽古は無事終了した。
彩子は原田の笑顔を見つめ、たくさんの拍手を送った。
稽古のあと、練習生のために蒸しタオルが配られた。河原に設営されたテントで各々体を拭って、着替えを行う。
原田はスポーツウェア姿で、彩子のもとに走ってきた。
「彩子さん! これからぜんざいが振舞われます。行きましょう」
バーベキューの設備がある広場で、大鍋にぜんざいが用意されたらしい。
「当番の支部が早朝から準備しています。毎年恒例ですよ」
「そうなんですか。私もいただいてしまって、大丈夫ですか」
「もちろん! 彩子さんは俺の……」
原田は言いかけて、頭を掻いた。うまい言葉が見つからないらしい。
「うふふっ……あ、ごめんなさい」
「ひどいな」
彩子の反応に原田は困った顔をするが、気分は悪くなさそうだ。
「久しぶりにしっかり基本稽古ができた」
「他にはどんな練習をするんですか?」
「まだ組手がある。あと、技のコンビネーションの練習も、ミット打ちも」
原田は目を輝かせた。本当に空手が好きなんだなと、彩子には羨ましいくらいに映る。
「そう言えば、川の水は冷たかったでしょう。寒くないですか?」
原田はTシャツにトレーニングウェアの上下という薄着だ。
「いや、大丈夫ですよ」
「すごい。寒さに強いんですね。あ、そういえば平田さん達はどこに?」
彩子は平田と木村の姿が無いのに気が付く。
「先に食ってますよ。真っ先に走って行きましたから」
「えっ、そうなんですか」
二人の様子が目に浮かび、彩子は楽しくなって笑った。
彩子は原田達とぜんざいをいただいたあと、車に戻った。その途中、いかつい顔をした男達に原田が呼び止められ、何か話していた。
「部長と師範、何だったんですか」
車に乗り込むと、平田と木村が原田に尋ねた。
「いつもの話ですか。師範代の講習とか」
「ああ」
「出てみたらいいじゃないですか」
木村が身を乗り出し、平田もうんうんと頷いている。
「俺は稽古量の点で無資格なんだよ」
原田は素っ気なく答えて、エンジンをかけた。
「それでも勧められてるんでしょう。稽古量を補う方法はあるんですよ」
「挑戦してほしいッス。原田さんなら師範になってもおかしくないのに」
二人の後輩は声を揃えて言うが、
「まともに務められない免状はいらないの」
平田と木村は顔を見合わせると、肩をすくめる。
原田の横顔は頑なだった。
0
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる