夫のつとめ

藤谷 郁

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 平成になって間もなく、南村壮太は生まれ育った小さな町で惣菜会社を始めた。
 株式会社グラットン。大食いの名に恥じぬ大企業を目指し、商売に全力を注いだ。
 しかし、当初は特にヒット商品があるわけでもなく、ごく平均的な食品会社にすぎなかった。

 そして時は流れ、創業20周年を迎えた春――
 壮太は事業拡大のためのアイデアが出ず、悶々としていた。

「くそう。なんかこう、目新しくて美味しい商品がパッと思いつかないかなあ」

 日曜日の午後、彼は気分転換に幼なじみの南村仙一の家に遊びに出かけた。仙一は結婚しており、妻と二人で『南風』という食堂を営んでいる。

 夫婦には男の子が一人いて、名前を南村壮二という。壮二という名は、父の仙一が壮太から一字もらってつけた名前だ。彼のように豪快で元気な男になるようにと願ってのことだった。
 そんな縁もあり、壮太は壮二のことを我が子のように可愛がっている。

「壮二も中学生か。子どもが大きくなるのは早いなあ。俺なんか会社を経営するのが精一杯で、いまだに独身だよ」
「なに言ってんだ。お前は面食いだから、選り好みしてるだけだろ」
「わはは……まあな」

 店のカウンターで壮太が南村夫妻と笑っていると、壮二が入ってきた。

「面食いといえばさ、壮太さん。僕の作ったラーメン食べてみてよ」
「ラーメン?」

 親の影響か、壮二は料理が好きだ。母親が忙しい時など、夕食を自分で用意することもある。

「スープも作ったのか」
「もちろん」

 くるっとした目を輝かせて、彼は自慢げに言う。

「最近は、ちょっと変わった味をためしてるんだ」

 母親の美佐子が、ちょっと困ったように教えた。

「ほら、隣町に輸入食品の店ができたでしょう。世界中の香辛料を扱ってるとかで、この子ったら、お小遣いをはたいて買い込んでくるのよ」
「香辛料? ははは、なんか怖いな。激辛ラーメンとかじゃないだろうね」
「いいから、いいから。すぐにできるから食べてみて」

 壮太はしょうがないなという顔で、壮二のあとについていった。


 店の裏側に南村家の自宅がある。台所に入ると、香ばしい匂いが漂ってきた。

「ほう、こりゃいい匂いだ。食欲をそそるな」

 さっき食堂でランチを食べたばかりだが、大食いの壮太はすでに空腹を覚える。

「壮太さん、タイ料理って食べたことある?」

 四人掛けのテーブルに腰かけた壮太に、壮二が調理しながら訊ねる。

「ああ、もちろん。トムヤムクンとかポピュラーだよな」
「そうそう。僕もレストランで食べたことあるけど、いまいちだったんだ。ちょっとクセが強いっていうか。だから、食べやすい味にならないかと思って、自分で作ってみた」
「トムヤムクンを?」
「トムヤムクンていうか、タイ風ラーメン」

 見ると、瓶に詰めた調味料をスープに溶かしている。

「茹でた麺を入れて、炒めた海老と青菜をのせて出来上がり」

「ほう、手際が良いな」

 壮太は箸をとると、目の前に提供された料理に集中する。鮮やかなオレンジ色のスープから、香ばしい匂いが立ち上り、湯気の中に南国の景色が浮かぶようだった。

(いやいや、まさかな。そんなはず……)

 しかしスープをひと口含み、壮太の顔色が変わる。
 これは本場タイで食べた味に極めて近い。それでいて酸味と辛みがまろやかに調味され、日本人の舌に抵抗なく馴染んでいる。

 驚く壮太に、壮二がにこにこと笑いかけた。
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