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隣にいる幸せ
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『白樺』は青山通りの商業ビル内に店を構える。
希美が壮二をともない店に入ると、女性スタッフがすぐに近づいてきた。
「スーツを二着、お願いしたいの。この男性ひとに」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
スタッフと入れ替わりに現れたのはシルバーグレイの紳士。『白樺』のオーナーである。
「北城様、いつもお世話になっております」
恭しく挨拶をし、二人に微笑みかける。売り場を見回していた壮二が、慌てて向き直った。
「北城社長からうかがっております。フルオーダーのスーツですね。どのようなイメージをお求めでしょうか」
希美は壮二のことを、社長秘書の見習いだと紹介した。オーナーはふんふんと頷きながら、壮二の体を細かく採寸していく。
最終的に、イタリアンスタイルに落ち着いた。無地のダークブルーと、ピンストライプのグレースーツ。オーナーのアドバイスを取り入れつつ壮二が決めたのだが、その選択は希美には意外だった。
「うーん、ちょっと気障な感じがする。似合うかしら」
希美が言うと、オーナーは首を横に振った。
「いやいや、南村様はお背が高く、非常に美しい体型をしていらっしゃいます。お似合いになること間違いナシ。私が請け合います」
「そ、そう?」
売り場の奥に、裁断や縫製を行う工房がある。オーナーは工房の主でもあり、ベテラン職人だ。彼が保証すると言うなら間違いない。
それに、美しいという表現は的を射ている。
「全部手縫いなんですね。すごいなあ」
パンフレットを読んで、壮二が感心した。
「心を込めて、ひと針ずつ作り上げていくことがモットーでございます」
「素晴らしいですね。仕上がりが楽しみになってきました」
壮二の興奮した様子に、オーナーが気をよくする。素朴な賛辞が新鮮なのかもしれない。天然の人心掌握術だ。
彼ならではのコミュニケーションスキルは、秘書としても北城家の婿としても、歓迎すべき特技である。
仮縫いと仕上がり予定日を確認してから『白樺』を後にした。
エレベーターで地下駐車場に下りると、二人は車に乗り込む。中古の4ドアセダンは壮二の愛車だ。
彼は今週から車通勤に切り替えている。
「マイカー通勤は社長の命令?」
「そうです。足があれば、なにかと便利だからと」
なるほど。父は上司として、いろいろ考えているのだ。
夜の街を、壮二の車が滑らかに走り抜ける。希美はシートに深くもたれて、つかの間のドライブを楽しんだ。
「またデートしたいわねー。しばらくは忙しいだろうけど、せめて食事だけでも。ね、壮二」
「はいっ。希美さんさえよければ、いつでも」
壮二は頬を上気させた。食事デートには、スキンシップというメニューも組まれている。
二人にとってそれは、もはや約束事だ。
「今度、僕の部屋に来てください。その……狭いですけど」
「ありがとう。ぜひ、おじゃまするわ」
アパートが狭かろうが、古かろうが、希美は全然気にしない。
学生時代に付き合った格闘家などは、ぼろアパートに住んでいた。ダンベルが転がる畳の上に布団を敷き、朝まで頑張ったものだ。
(ほんと、あの頃の私からは考えられない)
筋骨隆々のガチマッチョではなく、脱いだら別人の地味男に胸をときめかせるなんて。
どうしてだろう――
これまで付き合ったどの男より、壮二はタフで、エネルギーに満ちている。なにより全力で、希美が一番欲するものを与えてくれた。
だから、革命が起きたのだ。
「主導権……完全に奪われちゃったみたい」
「えっ?」
きょとんとする壮二に、希美は微笑む。
それでもいいと思える自分も、悪くない。
彼が隣にいる幸せを感じた。
希美が壮二をともない店に入ると、女性スタッフがすぐに近づいてきた。
「スーツを二着、お願いしたいの。この男性ひとに」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
スタッフと入れ替わりに現れたのはシルバーグレイの紳士。『白樺』のオーナーである。
「北城様、いつもお世話になっております」
恭しく挨拶をし、二人に微笑みかける。売り場を見回していた壮二が、慌てて向き直った。
「北城社長からうかがっております。フルオーダーのスーツですね。どのようなイメージをお求めでしょうか」
希美は壮二のことを、社長秘書の見習いだと紹介した。オーナーはふんふんと頷きながら、壮二の体を細かく採寸していく。
最終的に、イタリアンスタイルに落ち着いた。無地のダークブルーと、ピンストライプのグレースーツ。オーナーのアドバイスを取り入れつつ壮二が決めたのだが、その選択は希美には意外だった。
「うーん、ちょっと気障な感じがする。似合うかしら」
希美が言うと、オーナーは首を横に振った。
「いやいや、南村様はお背が高く、非常に美しい体型をしていらっしゃいます。お似合いになること間違いナシ。私が請け合います」
「そ、そう?」
売り場の奥に、裁断や縫製を行う工房がある。オーナーは工房の主でもあり、ベテラン職人だ。彼が保証すると言うなら間違いない。
それに、美しいという表現は的を射ている。
「全部手縫いなんですね。すごいなあ」
パンフレットを読んで、壮二が感心した。
「心を込めて、ひと針ずつ作り上げていくことがモットーでございます」
「素晴らしいですね。仕上がりが楽しみになってきました」
壮二の興奮した様子に、オーナーが気をよくする。素朴な賛辞が新鮮なのかもしれない。天然の人心掌握術だ。
彼ならではのコミュニケーションスキルは、秘書としても北城家の婿としても、歓迎すべき特技である。
仮縫いと仕上がり予定日を確認してから『白樺』を後にした。
エレベーターで地下駐車場に下りると、二人は車に乗り込む。中古の4ドアセダンは壮二の愛車だ。
彼は今週から車通勤に切り替えている。
「マイカー通勤は社長の命令?」
「そうです。足があれば、なにかと便利だからと」
なるほど。父は上司として、いろいろ考えているのだ。
夜の街を、壮二の車が滑らかに走り抜ける。希美はシートに深くもたれて、つかの間のドライブを楽しんだ。
「またデートしたいわねー。しばらくは忙しいだろうけど、せめて食事だけでも。ね、壮二」
「はいっ。希美さんさえよければ、いつでも」
壮二は頬を上気させた。食事デートには、スキンシップというメニューも組まれている。
二人にとってそれは、もはや約束事だ。
「今度、僕の部屋に来てください。その……狭いですけど」
「ありがとう。ぜひ、おじゃまするわ」
アパートが狭かろうが、古かろうが、希美は全然気にしない。
学生時代に付き合った格闘家などは、ぼろアパートに住んでいた。ダンベルが転がる畳の上に布団を敷き、朝まで頑張ったものだ。
(ほんと、あの頃の私からは考えられない)
筋骨隆々のガチマッチョではなく、脱いだら別人の地味男に胸をときめかせるなんて。
どうしてだろう――
これまで付き合ったどの男より、壮二はタフで、エネルギーに満ちている。なにより全力で、希美が一番欲するものを与えてくれた。
だから、革命が起きたのだ。
「主導権……完全に奪われちゃったみたい」
「えっ?」
きょとんとする壮二に、希美は微笑む。
それでもいいと思える自分も、悪くない。
彼が隣にいる幸せを感じた。
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