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隣にいる幸せ
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金曜日の夜。仕事を終えた壮二が社長室を訪れた。
部屋には利希と希美、そして壮二の三人のみ。他の秘書を交えないのは、仕事の話だけではないから。
「異動の挨拶は済んだのか」
「はい。すべて新しい担当者に引継ぎました。営業部にはもう、私の戻る場所はありません」
はきはきと報告する姿を見て、希美は満足の笑みを浮かべる。秘書見習いとして務める覚悟を決めたのだ。
「ふん、まあ座れ。いずれ家に連れて行くつもりだが、今日のところはここで話せばいい。とりあえず、だ」
応接用テーブルのソファに、利希と壮二が向き合って座る。希美は迷わず壮二の隣に腰かけた。
「南村。成り行き上、お前と希美の結婚を認めざるを得ない状況になったわけだが……」
いかにも仕方なさそうに、ため息を吐く。
しかし希美には分かっていた。父は壮二との結婚をほぼ許している。
細野親子との一件は、思いも寄らぬほど大きな影響を与えたらしい。それだけに、壮二を秘書見習い兼婚約者として紹介したのをたやすく撤回できない。
(この件には、お母様と細野社長の関係が絡んでる。信じられないけど)
武子も指摘したように、利希は嫉妬したのだ。
細野社長……いや、細野親子に対して意地を貫くつもりである。
ともあれ、壮二と結婚してしまえばこっちのもの。希美の頭の中は、新婚生活の妄想でいっぱいだった。
「ふふ……うふふふ……」
思わず笑いが漏れる。希美は口元を押さえると、コホンと咳払いした。
「なんだ、気持ち悪いやつだな」
「……失礼しました」
不思議そうに見つめてくる壮二の瞳は、どこまでも澄んでいる。ますます劣情を刺激されるが、今はそんな場合ではない。
「それでだ、南村。まだ正式に婚約が決まったわけではない。秘書見習いとして、俺や希美の仕事をよく理解するよう努力しろ。そして、後継者の婿として相応しい人間になることだな」
「はい、社長。精一杯頑張ります!」
きらきらと目を輝かせる壮二に、利希は苦笑する。だけど、気分は悪くないようだ。
前のめりの若い社員に、秘書としての心構えを直々にレクチャーした。
「それじゃ、次は具体的な指導だ。まず手始めに、そのよれよれスーツをなんとかしろ」
「えっ?」
「お前さん、いつ見ても同じスーツじゃないか。しかも安物だろう」
営業成績いまひとつの平社員に、高級スーツが買えるはずもない。普段着ているスーツはたぶん、量販店の吊るし売りだ。
「え、ええ。できるだけ身体にフィットするよう、選んではいますが」
「秘書なら秘書らしく、ちゃんとした格好をしろ。希美、今から『白樺』に行って、二着作ってやれ。フルオーダーだぞ」
『白樺』というのは、利希が贔屓にする高級テーラーだ。オーナーに予約済みだと言う。
「あのう、スーツなら自分で……」
「大丈夫。仕事用のスーツは、経費で落とすの」
壮二は言葉を呑んだ。スーツは社長秘書の制服であり、別にプレゼントするわけではない。
利希が立ち上がり、さっさと帰り支度を始めた。
「そういうことだ。さて、俺は先に帰るからな。杉山さんに車をつけるよう言ってくれ」
「かしこまりました」
壮二の手にそっと触れ、片目をつぶってみせた。
「細かいことは気にしないの。あなたらしくね」
「は、はい」
今後、不慣れな場面に何度も遭遇するだろう。
でも、壮二なら柔軟にそれらを受け入れ、自分のものにできる。
(初めての夜、私をものにしてしまったように……ね)
あれはビギナーズラックではないと、希美は確信していた。
部屋には利希と希美、そして壮二の三人のみ。他の秘書を交えないのは、仕事の話だけではないから。
「異動の挨拶は済んだのか」
「はい。すべて新しい担当者に引継ぎました。営業部にはもう、私の戻る場所はありません」
はきはきと報告する姿を見て、希美は満足の笑みを浮かべる。秘書見習いとして務める覚悟を決めたのだ。
「ふん、まあ座れ。いずれ家に連れて行くつもりだが、今日のところはここで話せばいい。とりあえず、だ」
応接用テーブルのソファに、利希と壮二が向き合って座る。希美は迷わず壮二の隣に腰かけた。
「南村。成り行き上、お前と希美の結婚を認めざるを得ない状況になったわけだが……」
いかにも仕方なさそうに、ため息を吐く。
しかし希美には分かっていた。父は壮二との結婚をほぼ許している。
細野親子との一件は、思いも寄らぬほど大きな影響を与えたらしい。それだけに、壮二を秘書見習い兼婚約者として紹介したのをたやすく撤回できない。
(この件には、お母様と細野社長の関係が絡んでる。信じられないけど)
武子も指摘したように、利希は嫉妬したのだ。
細野社長……いや、細野親子に対して意地を貫くつもりである。
ともあれ、壮二と結婚してしまえばこっちのもの。希美の頭の中は、新婚生活の妄想でいっぱいだった。
「ふふ……うふふふ……」
思わず笑いが漏れる。希美は口元を押さえると、コホンと咳払いした。
「なんだ、気持ち悪いやつだな」
「……失礼しました」
不思議そうに見つめてくる壮二の瞳は、どこまでも澄んでいる。ますます劣情を刺激されるが、今はそんな場合ではない。
「それでだ、南村。まだ正式に婚約が決まったわけではない。秘書見習いとして、俺や希美の仕事をよく理解するよう努力しろ。そして、後継者の婿として相応しい人間になることだな」
「はい、社長。精一杯頑張ります!」
きらきらと目を輝かせる壮二に、利希は苦笑する。だけど、気分は悪くないようだ。
前のめりの若い社員に、秘書としての心構えを直々にレクチャーした。
「それじゃ、次は具体的な指導だ。まず手始めに、そのよれよれスーツをなんとかしろ」
「えっ?」
「お前さん、いつ見ても同じスーツじゃないか。しかも安物だろう」
営業成績いまひとつの平社員に、高級スーツが買えるはずもない。普段着ているスーツはたぶん、量販店の吊るし売りだ。
「え、ええ。できるだけ身体にフィットするよう、選んではいますが」
「秘書なら秘書らしく、ちゃんとした格好をしろ。希美、今から『白樺』に行って、二着作ってやれ。フルオーダーだぞ」
『白樺』というのは、利希が贔屓にする高級テーラーだ。オーナーに予約済みだと言う。
「あのう、スーツなら自分で……」
「大丈夫。仕事用のスーツは、経費で落とすの」
壮二は言葉を呑んだ。スーツは社長秘書の制服であり、別にプレゼントするわけではない。
利希が立ち上がり、さっさと帰り支度を始めた。
「そういうことだ。さて、俺は先に帰るからな。杉山さんに車をつけるよう言ってくれ」
「かしこまりました」
壮二の手にそっと触れ、片目をつぶってみせた。
「細かいことは気にしないの。あなたらしくね」
「は、はい」
今後、不慣れな場面に何度も遭遇するだろう。
でも、壮二なら柔軟にそれらを受け入れ、自分のものにできる。
(初めての夜、私をものにしてしまったように……ね)
あれはビギナーズラックではないと、希美は確信していた。
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