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忘れられない思い出
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掛井さんと私は取引先の社員として、職場で出会った。
最初は、優しそうな人だなと思っただけ。もちろん、好きなタイプの顔立ちではあるけれど、恋愛感情を持つまでいかなかった。
それなのに、なぜ意識するようになったのか。
今でも忘れない。あれは、就職のため名古屋に越してきて2ヶ月ほど経った頃。ちょうど梅雨に入ったばかりの日曜日だった。
生まれも育ちも東京の私にとって、名古屋は初めての場所である。自宅アパートの最寄駅から電車に乗り、名古屋駅近くの職場に通う以外、あまり出かけたことがなかった。
でも、その日の朝は、梅雨とは思えないほどの快晴で、アパートでじっとしているのは惜しい気がした。
とりあえずスマホを手に取り、名古屋の観光地を調べてみた。
「あれっ、名古屋城って意外と近いんだ」
広い公園や、城下町風の通りがあったりして、なんだかとても楽しそう。名古屋駅で地下鉄に乗り換えるだけなので、行き方も簡単だ。
私はすぐに出かける準備をして、駅へと向かった。
名古屋駅で少し迷ったが、無事、名古屋城に到着した。
家族連れやカップルなど、楽しそうな雰囲気がちょっとだけ羨ましかったけれど、それよりも、初めて見る名古屋城に私は感激した。
変な話、その時初めて「名古屋に来た!」と、実感したのである。
「もっと、あちこちに出かけたいな。名古屋だけじゃなく、近くの岐阜県とか、三重県とか」
子どもの頃、家族であちこちドライブしたように。今はまだ無理だけど、いつかお金を貯めて車を買えば、自由にどこへでも行ける。
夢がどんどん膨らんでいく。
その日は本当によく晴れて、爽やかな休日だった。それに、仕事にも一人暮らしにも慣れてきたその頃の私は、余裕を持ち始めていた……というより、今思えば浮き足立っていたのかもしれない。
だから、あんな失敗をやらかしたのだ。
行楽を満喫したあと、私は充実した気持ちで帰路についた。
だけど、駅の改札をくぐろうとした直前、大変なことに気づく。スマホがない。最後に休憩した公園のベンチに置き忘れたのだ。
慌ててベンチに戻ったけれど、既にスマホはなかった。
「どうしよう……」
個人情報が詰まったスマホは現代人の命綱。悪い人間に拾われたら最後、人生を滅茶苦茶にされてしまう。
そんな筋書きのサスペンス映画を観たことがある。
「そうだ。交番に行ってみよう」
とにかく解決を図ろうとした。
しかし、慌てふためく私を嘲笑うかのように、いきなり雨が降りはじめた。それも、信じられないような土砂降りである。
ベンチのそばにある大木の下に逃げ込んだ。ずぶ濡れは免れたが、その場から一歩も動けなくなってしまった。
「そんな……さっきまであんなに晴れてたのに」
雨は一向に止まず、だんだん日が暮れてきた。いつの間にか人影が消えて、賑やかだった公園は寂しい森になった。
急に心細くなり、なぜか名古屋の街が冷たく感じられてくる。勝手だと分かっていても、涙が滲んだ。
「夏目さん?」
うつむく私に、誰かが声をかけた。でも、きっと空耳だ。
この街に知り合いなんていない。
「ハリヨ商事販売部の、夏目さんですよね?」
「……えっ?」
そっと顔を上げると、見覚えのある男性がいた。私を心配そうに覗き込み、傘を差し掛けている。
「あ、あなたは……えっと、楓屋さんの」
「はい。『和菓子の楓屋』、営業の掛井です」
にこりと微笑む彼を見て、別の意味で泣きそうになった。どうしてか、とてつもない安堵を覚えて。
「か、掛井さん、どうしてここに?」
「お城のイベントに楓屋が参加したので、その手伝いです。今は帰るところで、駐車場に行こうとしたら夏目さんをお見かけしたので声をかけました。もしかして、傘がなくて困っているのかな?」
雨宿りしていると思われたのだ。もちろん間違ってはいないが、私は首を横に振る。
取引先の営業さんに言うのは恥ずかしいが、格好をつけるゆとりはない。私はスマホをなくしたことを彼に話した。
「一人で遊びに来たので、どうしようもなくて。交番に行こうとしたら雨が降ってきて、身動きが取れなくなりました」
「そうなんですか。それは大変でしたね」
掛井さんは心から同情したようだ。口調や態度に、真心が表れている。
「このベンチに置き忘れたんですね」
「はい。もしかしたら、誰かに持ち去られたのではないかと」
「ふむ」
彼は少し考えると、半泣きの私に傘を預けた。そして、あたりをキョロキョロしたと思うと、急にかがみ込んだ。
「あ、あの……」
ベンチの下を覗いている。私が戸惑っていると、「ひょっとして、これかな」と言って、すぐに立ち上がった。
「あっ」
彼が差し出したものを見て、声を上げた。
私のスマートフォン。なんと、ベンチの下に落ちていたのだ。
最初は、優しそうな人だなと思っただけ。もちろん、好きなタイプの顔立ちではあるけれど、恋愛感情を持つまでいかなかった。
それなのに、なぜ意識するようになったのか。
今でも忘れない。あれは、就職のため名古屋に越してきて2ヶ月ほど経った頃。ちょうど梅雨に入ったばかりの日曜日だった。
生まれも育ちも東京の私にとって、名古屋は初めての場所である。自宅アパートの最寄駅から電車に乗り、名古屋駅近くの職場に通う以外、あまり出かけたことがなかった。
でも、その日の朝は、梅雨とは思えないほどの快晴で、アパートでじっとしているのは惜しい気がした。
とりあえずスマホを手に取り、名古屋の観光地を調べてみた。
「あれっ、名古屋城って意外と近いんだ」
広い公園や、城下町風の通りがあったりして、なんだかとても楽しそう。名古屋駅で地下鉄に乗り換えるだけなので、行き方も簡単だ。
私はすぐに出かける準備をして、駅へと向かった。
名古屋駅で少し迷ったが、無事、名古屋城に到着した。
家族連れやカップルなど、楽しそうな雰囲気がちょっとだけ羨ましかったけれど、それよりも、初めて見る名古屋城に私は感激した。
変な話、その時初めて「名古屋に来た!」と、実感したのである。
「もっと、あちこちに出かけたいな。名古屋だけじゃなく、近くの岐阜県とか、三重県とか」
子どもの頃、家族であちこちドライブしたように。今はまだ無理だけど、いつかお金を貯めて車を買えば、自由にどこへでも行ける。
夢がどんどん膨らんでいく。
その日は本当によく晴れて、爽やかな休日だった。それに、仕事にも一人暮らしにも慣れてきたその頃の私は、余裕を持ち始めていた……というより、今思えば浮き足立っていたのかもしれない。
だから、あんな失敗をやらかしたのだ。
行楽を満喫したあと、私は充実した気持ちで帰路についた。
だけど、駅の改札をくぐろうとした直前、大変なことに気づく。スマホがない。最後に休憩した公園のベンチに置き忘れたのだ。
慌ててベンチに戻ったけれど、既にスマホはなかった。
「どうしよう……」
個人情報が詰まったスマホは現代人の命綱。悪い人間に拾われたら最後、人生を滅茶苦茶にされてしまう。
そんな筋書きのサスペンス映画を観たことがある。
「そうだ。交番に行ってみよう」
とにかく解決を図ろうとした。
しかし、慌てふためく私を嘲笑うかのように、いきなり雨が降りはじめた。それも、信じられないような土砂降りである。
ベンチのそばにある大木の下に逃げ込んだ。ずぶ濡れは免れたが、その場から一歩も動けなくなってしまった。
「そんな……さっきまであんなに晴れてたのに」
雨は一向に止まず、だんだん日が暮れてきた。いつの間にか人影が消えて、賑やかだった公園は寂しい森になった。
急に心細くなり、なぜか名古屋の街が冷たく感じられてくる。勝手だと分かっていても、涙が滲んだ。
「夏目さん?」
うつむく私に、誰かが声をかけた。でも、きっと空耳だ。
この街に知り合いなんていない。
「ハリヨ商事販売部の、夏目さんですよね?」
「……えっ?」
そっと顔を上げると、見覚えのある男性がいた。私を心配そうに覗き込み、傘を差し掛けている。
「あ、あなたは……えっと、楓屋さんの」
「はい。『和菓子の楓屋』、営業の掛井です」
にこりと微笑む彼を見て、別の意味で泣きそうになった。どうしてか、とてつもない安堵を覚えて。
「か、掛井さん、どうしてここに?」
「お城のイベントに楓屋が参加したので、その手伝いです。今は帰るところで、駐車場に行こうとしたら夏目さんをお見かけしたので声をかけました。もしかして、傘がなくて困っているのかな?」
雨宿りしていると思われたのだ。もちろん間違ってはいないが、私は首を横に振る。
取引先の営業さんに言うのは恥ずかしいが、格好をつけるゆとりはない。私はスマホをなくしたことを彼に話した。
「一人で遊びに来たので、どうしようもなくて。交番に行こうとしたら雨が降ってきて、身動きが取れなくなりました」
「そうなんですか。それは大変でしたね」
掛井さんは心から同情したようだ。口調や態度に、真心が表れている。
「このベンチに置き忘れたんですね」
「はい。もしかしたら、誰かに持ち去られたのではないかと」
「ふむ」
彼は少し考えると、半泣きの私に傘を預けた。そして、あたりをキョロキョロしたと思うと、急にかがみ込んだ。
「あ、あの……」
ベンチの下を覗いている。私が戸惑っていると、「ひょっとして、これかな」と言って、すぐに立ち上がった。
「あっ」
彼が差し出したものを見て、声を上げた。
私のスマートフォン。なんと、ベンチの下に落ちていたのだ。
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