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恋心
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「ああ、夏目さん、サンキュー。さてと、楓屋さんの新商品、いただきまーす」
お茶が来るまで待っていたようだ。安田さんが小箱の蓋を開けて、和菓子を食べ始めた。
「掛井さん。よろしければ、お茶をどうぞ」
テーブルの端で控えめに座る彼に、お茶をすすめた。
「あっ、すみません。ありがとうございます」
目をくるっとさせて礼を言う。彼がかわいい男性であることを再認識して、私は心の中で身悶えした。
「で、なんだっけ。そうそう、掛井さんがクリスマスにどうするかって話。ねえ、どうやって過ごすの?」
安田さんは執拗だった。そこまでプライベートを聞いてもいいのだろうかとハラハラした。もちろん、彼のプライベートに興味はあるけれど。
「そうですねえ。午前中は部屋の大掃除をして、午後はドライブに行くくらいかなあ」
ドライブ。
彼の言葉に、私はハッと顔を上げた。
「へえ、そんな趣味があったんだ」
「お休みの日は、結構、あちこちに出かけるんですよ。車が好きですし」
素晴らしい趣味だ。私は嬉しくなり、彼のハンドルを切る仕草を、まじまじと見つめた。
「ふふん、私も車にはちょっとうるさいわよ。どんな車に乗ってんの?」
「ステーションワゴンです」
「はあ?」
安田さんが突然、けらけらと笑いだした。
私もみんなも、何が可笑しいのか分からず、反応のしようがない。
「ステーションワゴンって、まさか、社用車みたいな? シルバーとか白の、だっさい車。あんなのに好きで乗ってる人がいるんだ?。もう、掛井さんってまじで面白い。ウケる~!」
ああそうかと、皆、納得の顔になった。車のイメージが想像できたからだ。
だけど、私はムカムカしてきた。どんな車に乗ろうが、人の勝手ではないか。高級車だろうと、社用車だろうと、好きな車に乗るのが最高だ。
それに大切なのは、車への愛情と、ドライバーの腕である。これは父親の受け売りだけど――とにかく、今日の安田さんはいつにも増して失礼だ。取引先の営業マンにグイグイ迫る姿はほとんどハラスメントといえる。
「あのっ、安田さん」
思わず声を発した。
安田さんも同僚も、そして掛井さんも、一斉にこちらに注目する。
(しまった。つい……)
「なに? どうしたの、夏目さん」
安田さんが目尻を拭いながら返事した。まだ笑っているが、言い方によっては機嫌を悪くするだろう。
「いえ、あの……」
~失礼な発言を謝ってください~
本当は、そう言いたかった。だけど私は急に怖くなり、口ごもった。そして、とにかくこの場から逃げ出したくなる。
なぜムキになってしまったのか。当の掛井さんは気分を害した様子もなく、穏やかに微笑んでいるのに。
「その……トイレに行っても、いいですか?」
一瞬、水を打ったようにシーンとなるが、安田さんがぷっと噴き出すと、一気に笑いがはじけた。
「トイレって……小学生じゃないんだから、黙って行きなさいよね、もう。夏目さんってほんと、天然なんだから?」
皆に笑われ、頬が熱くなる。
恥ずかしくて掛井さんの顔を見られず、曖昧な笑みを浮かべながら休憩室をあとにした。
(トイレだなんて……もっと他になかったの?)
だけどそんなことより、彼をフォローできなかったことが悔しい。自分が情けなかった。
「あーあ、ダメダメだなあ」
仕方なくトイレを済ませて手を洗うと、ため息が漏れた。少しは落ち着いたが、そのぶん己のダメさかげんを自覚し、うんざりする。
「もうすぐ午後の仕事が始まる。あ、湯呑みを片付けなくちゃ」
急いで戻ろうとしたところに、スマホが震えた。見ると、「お疲れ、梨乃! 後片付けはまかせて」と、美樹からのメッセージだった。
(ごめん、フォローありがと)
美樹は同期だけれど、私と違ってしっかり者だ。こんな風に、さりげなく助けてくれる。
スマホをポケットにしまい、廊下に出た。自分もしっかりしなくてはと思う。こんなことではいつまでも片想いだ。あの人に、気持ちを伝えるなんて夢のまた夢。
「どうすればいいんだろ……ん?」
廊下の突き当たりのエレベーターの前で、掛井さんが立っているのが見えた。もう帰ってしまうのだ。
私は咄嗟に腕時計を確かめ、迷いながらも彼に近づいていった。
昼休みはまだ5分残っている。
想いを伝えるのは無理でも、せめて少しはフォローしたかった。営業のプロである掛井さんには、無用の気遣いかもしれないけれど。
「あ、あの……掛井さん」
おずおずと声をかけると、彼はパッと振り向いた。微笑みがまぶしすぎて、めまいがしそうになる。
「夏目さん、先ほどはお茶をご馳走さまでした」
「いえ、そんなそんな……こちらこそ美味しいお菓子をいただき、ありがとうございました」
エレベーターのカゴは10階にある。下りてくるまで数秒しかない。私は急いで、同僚の無礼を詫びようとした。
「掛井さん。あの、やす……」
「そうだ、夏目さん。よかったらこれをどうぞ」
「は、はい?」
掛井さんが内ポケットから封筒を取り出し、私に差し出した。
楓屋さんの社用封筒である。
「なんでしょうか」
「明日、犬山の店舗でイベントがあるんです。もしお時間があれば、いらしてください。僕も参加するので、特別にサービスいたしますよ」
「……はあ」
一体、どういうことだろう。
「あ、チケットがその一枚だけなので、他の皆様には内緒でお願いします」
「わ、分かりました」
でも、なぜ私にこれを? と尋ねる前に、エレベーターの扉が開いた。
「明日は冷え込むらしいので、暖かくしてお出かけくださいね」
「はい。えっ? あ、掛井さん……」
カゴに乗り込むと、彼はすぐに扉を閉めてしまった。にこにこと微笑んだまま。
「えええ……?」
どうして、なぜ、私に?
わけがわからず、それでも、なにかハッピーなことが起きたと感じる。
さっきまで彼の胸もとにあった封筒を握りしめ、カタカタと震えた。
お茶が来るまで待っていたようだ。安田さんが小箱の蓋を開けて、和菓子を食べ始めた。
「掛井さん。よろしければ、お茶をどうぞ」
テーブルの端で控えめに座る彼に、お茶をすすめた。
「あっ、すみません。ありがとうございます」
目をくるっとさせて礼を言う。彼がかわいい男性であることを再認識して、私は心の中で身悶えした。
「で、なんだっけ。そうそう、掛井さんがクリスマスにどうするかって話。ねえ、どうやって過ごすの?」
安田さんは執拗だった。そこまでプライベートを聞いてもいいのだろうかとハラハラした。もちろん、彼のプライベートに興味はあるけれど。
「そうですねえ。午前中は部屋の大掃除をして、午後はドライブに行くくらいかなあ」
ドライブ。
彼の言葉に、私はハッと顔を上げた。
「へえ、そんな趣味があったんだ」
「お休みの日は、結構、あちこちに出かけるんですよ。車が好きですし」
素晴らしい趣味だ。私は嬉しくなり、彼のハンドルを切る仕草を、まじまじと見つめた。
「ふふん、私も車にはちょっとうるさいわよ。どんな車に乗ってんの?」
「ステーションワゴンです」
「はあ?」
安田さんが突然、けらけらと笑いだした。
私もみんなも、何が可笑しいのか分からず、反応のしようがない。
「ステーションワゴンって、まさか、社用車みたいな? シルバーとか白の、だっさい車。あんなのに好きで乗ってる人がいるんだ?。もう、掛井さんってまじで面白い。ウケる~!」
ああそうかと、皆、納得の顔になった。車のイメージが想像できたからだ。
だけど、私はムカムカしてきた。どんな車に乗ろうが、人の勝手ではないか。高級車だろうと、社用車だろうと、好きな車に乗るのが最高だ。
それに大切なのは、車への愛情と、ドライバーの腕である。これは父親の受け売りだけど――とにかく、今日の安田さんはいつにも増して失礼だ。取引先の営業マンにグイグイ迫る姿はほとんどハラスメントといえる。
「あのっ、安田さん」
思わず声を発した。
安田さんも同僚も、そして掛井さんも、一斉にこちらに注目する。
(しまった。つい……)
「なに? どうしたの、夏目さん」
安田さんが目尻を拭いながら返事した。まだ笑っているが、言い方によっては機嫌を悪くするだろう。
「いえ、あの……」
~失礼な発言を謝ってください~
本当は、そう言いたかった。だけど私は急に怖くなり、口ごもった。そして、とにかくこの場から逃げ出したくなる。
なぜムキになってしまったのか。当の掛井さんは気分を害した様子もなく、穏やかに微笑んでいるのに。
「その……トイレに行っても、いいですか?」
一瞬、水を打ったようにシーンとなるが、安田さんがぷっと噴き出すと、一気に笑いがはじけた。
「トイレって……小学生じゃないんだから、黙って行きなさいよね、もう。夏目さんってほんと、天然なんだから?」
皆に笑われ、頬が熱くなる。
恥ずかしくて掛井さんの顔を見られず、曖昧な笑みを浮かべながら休憩室をあとにした。
(トイレだなんて……もっと他になかったの?)
だけどそんなことより、彼をフォローできなかったことが悔しい。自分が情けなかった。
「あーあ、ダメダメだなあ」
仕方なくトイレを済ませて手を洗うと、ため息が漏れた。少しは落ち着いたが、そのぶん己のダメさかげんを自覚し、うんざりする。
「もうすぐ午後の仕事が始まる。あ、湯呑みを片付けなくちゃ」
急いで戻ろうとしたところに、スマホが震えた。見ると、「お疲れ、梨乃! 後片付けはまかせて」と、美樹からのメッセージだった。
(ごめん、フォローありがと)
美樹は同期だけれど、私と違ってしっかり者だ。こんな風に、さりげなく助けてくれる。
スマホをポケットにしまい、廊下に出た。自分もしっかりしなくてはと思う。こんなことではいつまでも片想いだ。あの人に、気持ちを伝えるなんて夢のまた夢。
「どうすればいいんだろ……ん?」
廊下の突き当たりのエレベーターの前で、掛井さんが立っているのが見えた。もう帰ってしまうのだ。
私は咄嗟に腕時計を確かめ、迷いながらも彼に近づいていった。
昼休みはまだ5分残っている。
想いを伝えるのは無理でも、せめて少しはフォローしたかった。営業のプロである掛井さんには、無用の気遣いかもしれないけれど。
「あ、あの……掛井さん」
おずおずと声をかけると、彼はパッと振り向いた。微笑みがまぶしすぎて、めまいがしそうになる。
「夏目さん、先ほどはお茶をご馳走さまでした」
「いえ、そんなそんな……こちらこそ美味しいお菓子をいただき、ありがとうございました」
エレベーターのカゴは10階にある。下りてくるまで数秒しかない。私は急いで、同僚の無礼を詫びようとした。
「掛井さん。あの、やす……」
「そうだ、夏目さん。よかったらこれをどうぞ」
「は、はい?」
掛井さんが内ポケットから封筒を取り出し、私に差し出した。
楓屋さんの社用封筒である。
「なんでしょうか」
「明日、犬山の店舗でイベントがあるんです。もしお時間があれば、いらしてください。僕も参加するので、特別にサービスいたしますよ」
「……はあ」
一体、どういうことだろう。
「あ、チケットがその一枚だけなので、他の皆様には内緒でお願いします」
「わ、分かりました」
でも、なぜ私にこれを? と尋ねる前に、エレベーターの扉が開いた。
「明日は冷え込むらしいので、暖かくしてお出かけくださいね」
「はい。えっ? あ、掛井さん……」
カゴに乗り込むと、彼はすぐに扉を閉めてしまった。にこにこと微笑んだまま。
「えええ……?」
どうして、なぜ、私に?
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