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恋心
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12月初旬の金曜日。
冬の日差しが窓を照らしている。
(あったかい……)
昼休みの休憩室で、私は半分眠りながら、同僚たちのお喋りを聞いた。
「夏目さんはクリスマスの予定、決まってるの?」
「えっ……」
顔を上げると、皆の視線が私に注がれていた。声をかけてきたのは安田さん。彼女は販売部の女性社員5名のうち最年長のリーダーである。
「ええと……」
確か、クリスマスの予定について訊かれたような。
寝ぼけた頭で考えていると、隣に座る同期の美樹が肘で突いてきた。テキトーに返事しなさい――という、いつもの合図である。
「特に、予定はないです」
てきとうというか、事実なのでそう答えるよりほかない。
今年で24歳になる私だが、クリスマスは毎年、デートやパーティーなど華やかなイベントとは無縁で過ごしている。
就職するまでは実家に住んでいたので、家族みんなでちょっといいレストランに行くのが楽しみだった。でもそれは、安田さんの言う「予定」には当てはまらないだろう。
「ふうん、そうなんだ……あ、ところで私は、いつメンとグルキャンなんだけど?」
どうやら各自がクリスマスの予定を質問されて、私が最後だったらしい。
安田さんは自分の予定について楽しそうに話し始めた。彼氏がいて、友達も多いという彼女は、どこかのリゾート地でグループキャンプをするようだ。
ほっとする私を見て、美樹が苦笑する。同期で一番仲の良い彼女は、私のことをよく分かっている。
ハリヨ商事販売部の女性社員は、全員独身。昼休みや休憩時間はガールズトークが展開されるが、主なテーマは恋バナだった。
話題を持ち出すのは安田さんで、リーダーらしくトークの中心となり、同僚にまんべんなく声をかけてくる。ちなみに、私以外の4人は彼氏持ちだ。
「男と付き合ったことないって、マジ?」「好きな人くらいいるでしょ?」「どんなタイプか好みなの?」
安田さんは誰にでもそんな感じなので、彼女にとっては挨拶みたいなもの。だけど、そっち方面の話題が苦手な私は、いつも困ってしまう。
どう答えればいいのか分からないし、たとえ分かっていたとしても、本当のことを言うのは躊躇われる。
なぜなら……
「お休みのところ失礼します。和菓子の楓屋です」
背後から聞こえた声に、ドキッとした。振り向くと、開けっぱなしの休憩室の入り口に、スーツ姿の男性が立っている。
必要以上に驚いたのは、私が今、胸に浮かべた人だったから。
「あら、掛井さん。フェアの相談は明日じゃなかった?」
担当の安田さんが対応すると、彼はぺこりと頭を下げてからテーブルに近づき、紙袋を前に掲げた。
「近くまで来たので、皆さんに差し入れをと思いまして。年明けに発売される、我が社の新商品です」
皆の目がきらきらと輝く。
楓屋の新作和菓子といえば、発売されるたびメディアに取り上げられるような、話題の一品である。一足早く味わえるのは、ハリヨ商事が主要取引先であるがゆえの特権だ。
「わあ、嬉しい~。いいんですか!?」
「はい。ぜひ召し上がってください。そして、どんどん宣伝していただけるとありがたいです」
「なあんだ、それが目的かあ」
安田さんが冗談めかすと、笑いが起きた。
掛井さんもにこにこしながら、紙袋から小箱を取り出し、一人一人に配りはじめる。金箔があしらわれた美しい小箱だ。
「夏目さんも、どうぞ。おいしいですよ」
「あ、ありがとうございます」
受け取るとき、指先が少し触れた。またしてもドキッとするが、なんとか平静を装う。
「私、お茶を淹れてきますね」
休憩室を出て、廊下の向こうにある給湯室に移動した。
(掛井さん、今日もほんわかしてた……)
茶葉を入れた急須にポットのお湯を注ぎつつ、陽だまりのような微笑みを思い出す。
楓屋の掛井春太さん。
穏やかで優しくて、のんびりした雰囲気が彼の持ち味。私の社会人生活および職場の人間関係において、あれほど癒される人はいない。
「担当になれたらいいなあ。でも、楓屋さんは大口だし、経験を積まないと無理よね」
私が入社した時から、安田さんが楓屋を担当している。彼女は掛井さんと同い年だからか、口の利き方も親しげだ。
いや、親しげというより、安田さんの場合はほとんど……
「私はまだ入社2年目で、立場も弱い。ていうか結局、性格だよね」
もっと自信を持てたら、フォローできるのに。
自己嫌悪に苛まれながらお茶を淹れると、湯呑みをおぼんにのせて、給湯室を出た。
「掛井さん、クリスマスの予定は?」
休憩室に入ろうとした私は、ふと足を止めた。安田さんが、同僚に向けたのと同じ質問を彼にしたところだった。
その場に立ち、思わず耳を傾ける。
「いやあ、特にありませんが」
「ええ?? 掛井さんって私と同じだから、もう30だよね。彼女の一人や二人いないの?」
「ハイ、残念ながら」
問われるままに彼が答える。
迷いのない即答に、私は心が明るくなるのを感じた。なんとなくそうじゃないかと思っていたけれど、ハッキリと知らなかったから。
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、一人でどうやって過ごすの? 今年のクリスマスは週末だし、仕事はお休みでしょ?」
安田さんの言い方は少し意地悪だった。こちらの立場が強いものだから、からかってもいいと思っているのだ。
彼女はいつも、そう。私はそのたびに、歯痒い気持ちでいっぱいになる。
「お待たせしました~!」
ことさら大きな声を出して、休憩室に入った。こんなことで安田さんの気が逸れるわけもないけれど。
冬の日差しが窓を照らしている。
(あったかい……)
昼休みの休憩室で、私は半分眠りながら、同僚たちのお喋りを聞いた。
「夏目さんはクリスマスの予定、決まってるの?」
「えっ……」
顔を上げると、皆の視線が私に注がれていた。声をかけてきたのは安田さん。彼女は販売部の女性社員5名のうち最年長のリーダーである。
「ええと……」
確か、クリスマスの予定について訊かれたような。
寝ぼけた頭で考えていると、隣に座る同期の美樹が肘で突いてきた。テキトーに返事しなさい――という、いつもの合図である。
「特に、予定はないです」
てきとうというか、事実なのでそう答えるよりほかない。
今年で24歳になる私だが、クリスマスは毎年、デートやパーティーなど華やかなイベントとは無縁で過ごしている。
就職するまでは実家に住んでいたので、家族みんなでちょっといいレストランに行くのが楽しみだった。でもそれは、安田さんの言う「予定」には当てはまらないだろう。
「ふうん、そうなんだ……あ、ところで私は、いつメンとグルキャンなんだけど?」
どうやら各自がクリスマスの予定を質問されて、私が最後だったらしい。
安田さんは自分の予定について楽しそうに話し始めた。彼氏がいて、友達も多いという彼女は、どこかのリゾート地でグループキャンプをするようだ。
ほっとする私を見て、美樹が苦笑する。同期で一番仲の良い彼女は、私のことをよく分かっている。
ハリヨ商事販売部の女性社員は、全員独身。昼休みや休憩時間はガールズトークが展開されるが、主なテーマは恋バナだった。
話題を持ち出すのは安田さんで、リーダーらしくトークの中心となり、同僚にまんべんなく声をかけてくる。ちなみに、私以外の4人は彼氏持ちだ。
「男と付き合ったことないって、マジ?」「好きな人くらいいるでしょ?」「どんなタイプか好みなの?」
安田さんは誰にでもそんな感じなので、彼女にとっては挨拶みたいなもの。だけど、そっち方面の話題が苦手な私は、いつも困ってしまう。
どう答えればいいのか分からないし、たとえ分かっていたとしても、本当のことを言うのは躊躇われる。
なぜなら……
「お休みのところ失礼します。和菓子の楓屋です」
背後から聞こえた声に、ドキッとした。振り向くと、開けっぱなしの休憩室の入り口に、スーツ姿の男性が立っている。
必要以上に驚いたのは、私が今、胸に浮かべた人だったから。
「あら、掛井さん。フェアの相談は明日じゃなかった?」
担当の安田さんが対応すると、彼はぺこりと頭を下げてからテーブルに近づき、紙袋を前に掲げた。
「近くまで来たので、皆さんに差し入れをと思いまして。年明けに発売される、我が社の新商品です」
皆の目がきらきらと輝く。
楓屋の新作和菓子といえば、発売されるたびメディアに取り上げられるような、話題の一品である。一足早く味わえるのは、ハリヨ商事が主要取引先であるがゆえの特権だ。
「わあ、嬉しい~。いいんですか!?」
「はい。ぜひ召し上がってください。そして、どんどん宣伝していただけるとありがたいです」
「なあんだ、それが目的かあ」
安田さんが冗談めかすと、笑いが起きた。
掛井さんもにこにこしながら、紙袋から小箱を取り出し、一人一人に配りはじめる。金箔があしらわれた美しい小箱だ。
「夏目さんも、どうぞ。おいしいですよ」
「あ、ありがとうございます」
受け取るとき、指先が少し触れた。またしてもドキッとするが、なんとか平静を装う。
「私、お茶を淹れてきますね」
休憩室を出て、廊下の向こうにある給湯室に移動した。
(掛井さん、今日もほんわかしてた……)
茶葉を入れた急須にポットのお湯を注ぎつつ、陽だまりのような微笑みを思い出す。
楓屋の掛井春太さん。
穏やかで優しくて、のんびりした雰囲気が彼の持ち味。私の社会人生活および職場の人間関係において、あれほど癒される人はいない。
「担当になれたらいいなあ。でも、楓屋さんは大口だし、経験を積まないと無理よね」
私が入社した時から、安田さんが楓屋を担当している。彼女は掛井さんと同い年だからか、口の利き方も親しげだ。
いや、親しげというより、安田さんの場合はほとんど……
「私はまだ入社2年目で、立場も弱い。ていうか結局、性格だよね」
もっと自信を持てたら、フォローできるのに。
自己嫌悪に苛まれながらお茶を淹れると、湯呑みをおぼんにのせて、給湯室を出た。
「掛井さん、クリスマスの予定は?」
休憩室に入ろうとした私は、ふと足を止めた。安田さんが、同僚に向けたのと同じ質問を彼にしたところだった。
その場に立ち、思わず耳を傾ける。
「いやあ、特にありませんが」
「ええ?? 掛井さんって私と同じだから、もう30だよね。彼女の一人や二人いないの?」
「ハイ、残念ながら」
問われるままに彼が答える。
迷いのない即答に、私は心が明るくなるのを感じた。なんとなくそうじゃないかと思っていたけれど、ハッキリと知らなかったから。
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、一人でどうやって過ごすの? 今年のクリスマスは週末だし、仕事はお休みでしょ?」
安田さんの言い方は少し意地悪だった。こちらの立場が強いものだから、からかってもいいと思っているのだ。
彼女はいつも、そう。私はそのたびに、歯痒い気持ちでいっぱいになる。
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