異世界転生漫遊記

しょう

文字の大きさ
上 下
183 / 281
トーカス王国

176話 冥王の提案

しおりを挟む

 当然、菱沼さんも一緒に住んでいると思いきや、同じ最上階ではあるものの隣の部屋だった。

 実質、私は桜小路さんのお宅で、人生初の男の人とふたりきりの同棲……いやいやそうじゃなくて、カメ付きの同居生活を送る羽目になった。

 荷物もそんなになかったので、溜息交じりにやる気なく進めても、荷解きはすぐに終わってしまった。

 そこへタイミングよく部屋のドアがノックされ、菱沼さんに呼ばれた私は、一体何畳くらいの広さなのか見当も付かないほどだだっ広いリビングダイニングにて、諸々の説明を受けている真っ最中だ。

 といっても、まだ試用期間なわけだし、あわよくば試用期間中にクビになることもあるかもしれない。

 就活は大変だろうけれど、愛想も素っ気もないいけ好かない御曹司と同じ屋根の下でなんて暮らすよりは遙かにマシだ。

 数時間前まではあんなに上機嫌だったというのに、荷解きをしていた間に、いつしかそんな心持ちになってしまっていた。

 そんな私は、やる気はゼロ、話半分という有様で、これまたオシャレな北欧のなんちゃらいう有名なブランドらしい座り心地のいい革張りソファに座っている。

 そこから、正面にあるガラス張りのローテーブルの向こう側のソファでふんぞり返って足を組みコーヒーの入ったカップを優雅に傾けている桜小路さんの様子や部屋の中をチラチラと観察していた。

「ーーでは、スマホをお渡ししておきますので、急用や、何か分からないことがあれば、そちらに連絡くださればいつでも対応いたしますので。それではお部屋をご案内いたしましょう」
「……あぁ、はい」

 そんな有様だった私は、菱沼さんの最後の言葉を聞き逃していたようで、渡されたスマホを弄りつつ生返事を返して座ったまま動かずにいた。

 どうやらそれが菱沼さんの逆鱗に触れてしまったらしい。

「おいッ、こらッ、藤倉菜々子ッ! さっきからなんだお前はッ! 今すぐクビにでもなりたいのかッ?!」

 初見から執事らしく丁寧な敬語口調を貫いていたはずの菱沼さんから、突然、大きな怒号が飛び出してきたもんだから、驚きすぎてソファからすっころびそうになるのをすんでのところで免れた。

「はっ……はいッ!」

 けれど突然のことで話の内容なんか聞いちゃいなかった私は、背筋をピシッと伸ばしたものの、返した返事がまずかった。

 マスクを外しているせいか、桜小路さんのイケメンフェイスには及ばないがなかなかの細面で、漆黒の髪をタイトに撫でつけたインテリチックな雰囲気漂う菱沼さん。

 菱沼さんは正面で仁王立ちして私のことを初見同様に冷ややかな目で見下ろしてきて。

「なるほど、そういうことか。さっきは自分勝手に勘違いしておいて、こっちのせいにしてたかと思えば。今度は、思った条件と違ったもんだから嫌になって、やる気なく振る舞って、あわよくばクビになって、逃げだそうって魂胆か」

 何やら感心したように軽く頷くと、あたかも私の心中を見透かしたかのようなことを言ってのけた。

「べっ……べべべ別にそんなことは……」

 何を放っても、見るからに図星だってのが、狼狽えまくりな口調からも態度からもダダ漏れだろう。

「お前には、プロのパティシエールとしての矜持ってもんがないのか?」
「……きょ……キョウジ……って、なんですか?」

 そしてなによりバカ丸出しだ。

 瞬間、だだっ広いリビングダイニングがシーンと静まり返り、なんとも言えない重苦しい空気が立ち込めている。

 その数十秒後、「はぁー」という盛大な溜息が菱沼さんと、ずっと静観していたはずの桜小路さんの口からも吐き出された。

 ほどなくして、菱沼さんから矜持というのがプライドのことだというのを教えてもらい。

「た、確かに。さっきまでは、ちょっとやる気がなくなってました。でも、私だって、まだまだ新米ですけど、プロのパティシエールとしてのプライドくらい持ってますッ!」

 随分遅すぎる反論を返したところ。

「だったらお前の、その、パティシエールとしてのプライドとやらを見せてもらおうか」

 意外にも素では熱い人だったらしい菱沼さんの言葉に、感化され、焚きつけら。

 続いて、爽やかなブラウンのショートマッシュの無造作ヘアをツンツン弄りながら、どうでもよさそうに、桜小路さんが放った、

「……まぁ、別に、スイーツなんて誰が作っても同じだろうし。俺は、端から期待なんてしていなかったがな」

この捨て台詞に、パティシエールとしてのプライドに火を付けられてしまった私は、

「望むところですッ! 家事も完璧にこなして、美味しいスイーツで桜小路さんの舌をうならせて。一週間後には、専属のパティシエールとして正式に雇ってもらいますから、そのおつもりで」

すっくと立ち上がり、腰に手を当て、声高らかに宣言していたのだった。

しおりを挟む
感想 65

あなたにおすすめの小説

ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら

七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中! ※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります! 気付いたら異世界に転生していた主人公。 赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。 「ポーションが不味すぎる」 必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」 と考え、試行錯誤をしていく…

リアルフェイスマスク

廣瀬純一
ファンタジー
リアルなフェイスマスクで女性に変身する男の話

やさしい異世界転移

みなと
ファンタジー
妹の誕生日ケーキを買いに行く最中 謎の声に導かれて異世界へと転移してしまった主人公 神洞 優斗。 彼が転移した世界は魔法が発達しているファンタジーの世界だった! 元の世界に帰るまでの間優斗は学園に通い平穏に過ごす事にしたのだが……? この時の優斗は気付いていなかったのだ。 己の……いや"ユウト"としての逃れられない定めがすぐ近くまで来ている事に。 この物語は 優斗がこの世界で仲間と出会い、共に様々な困難に立ち向かい希望 絶望 別れ 後悔しながらも進み続けて、英雄になって誰かに希望を託すストーリーである。

追放された薬師でしたが、特に気にもしていません 

志位斗 茂家波
ファンタジー
ある日、自身が所属していた冒険者パーティを追い出された薬師のメディ。 まぁ、どうでもいいので特に気にもせずに、会うつもりもないので別の国へ向かってしまった。 だが、密かに彼女を大事にしていた人たちの逆鱗に触れてしまったようであった‥‥‥ たまにやりたくなる短編。 ちょっと連載作品 「拾ったメイドゴーレムによって、いつの間にか色々されていた ~何このメイド、ちょっと怖い~」に登場している方が登場したりしますが、どうぞ読んでみてください。

社畜から卒業したんだから異世界を自由に謳歌します

湯崎noa
ファンタジー
ブラック企業に入社して10年が経つ〈宮島〉は、当たり前の様な連続徹夜に心身ともに疲労していた。  そんな時に中高の同級生と再開し、その同級生への相談を行ったところ会社を辞める決意をした。  しかし!! その日の帰り道に全身の力が抜け、線路に倒れ込んでしまった。  そのまま呆気なく宮島の命は尽きてしまう。  この死亡は神様の手違いによるものだった!?  神様からの全力の謝罪を受けて、特殊スキル〈コピー〉を授かり第二の人生を送る事になる。  せっかくブラック企業を卒業して、異世界転生するのだから全力で謳歌してやろうじゃないか!! ※カクヨム、小説家になろう、ノベルバでも連載中

平民として生まれた男、努力でスキルと魔法が使える様になる。〜イージーな世界に生まれ変わった。

モンド
ファンタジー
1人の男が異世界に転生した。 日本に住んでいた頃の記憶を持ったまま、男は前世でサラリーマンとして長年働いてきた経験から。 今度生まれ変われるなら、自由に旅をしながら生きてみたいと思い描いていたのだ。 そんな彼が、15歳の成人の儀式の際に過去の記憶を思い出して旅立つことにした。 特に使命や野心のない男は、好きなように生きることにした。

無限に進化を続けて最強に至る

お寿司食べたい
ファンタジー
突然、居眠り運転をしているトラックに轢かれて異世界に転生した春風 宝。そこで女神からもらった特典は「倒したモンスターの力を奪って無限に強くなる」だった。 ※よくある転生ものです。良ければ読んでください。 不定期更新 初作 小説家になろうでも投稿してます。 文章力がないので悪しからず。優しくアドバイスしてください。 改稿したので、しばらくしたら消します

不遇にも若くして病死した少年、転生先で英雄に

リョウ
ファンタジー
辺境貴族の次男レイ=イスラ=エルディア。 実は、病で一度死を経験した転生者だった。 思わぬ偶然によって導かれた転生先…。 転生した際に交わした約束を果たす為、15歳で家を出て旅に出る。 転生する際に与えられたチート能力を駆使して、彼は何を為して行くのか。 魔物あり、戦争あり、恋愛有りの異世界冒険英雄譚がここに幕を開ける!

処理中です...