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2話 理不尽な世界②
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一週間後には長兄のテオドールが、その三日後には次兄のユアンが養子に出された。エイドリックには後継者となる嫡男エミリオがいたからだ。
それからアマリリスの生活はガラリと様子が変わる。
屋敷で一番日当たりのよかった部屋から、使用人でも使わないような物置小屋へ移され、朝から晩まで屋敷の仕事をしろと命じられた。
屋敷中の掃除や庭の手入れも手伝い、計算ができると知られればエイドリックの政務を手伝うように命じられた。
面倒な計算のある帳簿の仕事を任され、アマリリスは屋敷の仕事が終わりエイドリックが就寝してから事務仕事をこなした。
使用人たちはアマリリスを憐れに思い、仕事を軽くしたりこっそりおやつを渡したりして、残された少女を助けた。
誕生日にはささやかだがお祝いもして、笑顔を浮かべるアマリリスに使用人たちは陰ながら涙した。
図書室の鍵を管理している家令のケヴィンはこっそりスペアキーを渡して、本が好きなアマリリスのためにいつでも使えるようにしていた。
兄たちとは離れ離れになったけれど、アマリリスの周りには気にかけてくれる使用人たちがいたから、なんとかやってこれた。
伯父一家からの扱いは年々ひどくなっていくけれど、その分アマリリスの心と身体も成長していく。
大粒の涙をこぼしていた少女は、多少のことでは揺れない鋼の心を手に入れ、図書室で知識を深めた。特に好んで読んだのは、心理学や行動学の本だ。
(この本で学べば、伯父様たちから怒られなくなるかも……そうしたら、ケヴィンの負担が減るかしら? 伯父様たちのご機嫌を取れば、きっと今より働きやすくなるわよね……)
そんな理由だったが、アマリリスは関連する本を読み漁り日々の生活で実践を繰り返した。
母から受け継いだ真紅の髪は咲き誇る薔薇のようで、父親譲りの琥珀の瞳は真実を見抜く。
たとえお仕着せをまとっていても内からあふれ出る気品と知性は隠しきれない。
そんなアマリリスに劣等感を刺激されるエイドリックは、よりアマリリスに厳しく当たった。
「アマリリス! お前の計算が間違っていたぞ! この書類は全部やり直しだ!!」
「……申し訳ありません。すぐにやり直します」
間違っていたのはエイドリックが書き記した数字だったが、そんなことはこの場では関係ない。劣等感の塊であるエイドリックには自尊心を満たすよう、こちらが下手に出るのが正解だ。
アマリリスは命じた仕事をどんどんこなすので、エイドリックの妻であるフランシルも侯爵夫人の仕事を押し付けていた。
茶会の準備やお礼状など面倒なことはすべてアマリリスにやらせて、よく外出している。
ある日、お茶会が終わりフランシルはアマリリスのもとにやってきた。手に持っていた扇子をアマリリスの頬に叩きつける。
「ちょっと! どうしてあの花を用意したのよ! お前は茶会の準備もまともにできないの!?」
「……申し訳ありません」
アマリリスはいつものようにお茶会の準備を整えたが、名簿にないご婦人が飛び入りで参加しアレルギー症状が出たと騒ぎになっていた。
お茶会の最中は姿を見せるなと言われているので、屋敷の仕事をこなしていたアマリリスはそんな騒ぎに気が付くことができず叱責を受けている。
(いつものヒステリーは早々に立ち去るのが一番だわ)
だけど、こんなことは日常茶飯事だ。
アマリリスは「屋敷中の花を差し替えてきます」と言ってその場を離れた。まずはジンジンと痛む頬を冷やそうと厨房へ向かって歩いていると、階段の手前で従兄妹のエミリオとロベリアが立っている。
「なあ、アマリリス。お前が俺の女になれば、もう少しマシな暮らしができるってわかるだろう?」
「私には婚約者がおりますので遠慮いたします」
「まあ、お兄様の誘いを断るなんて生意気ね!」
アマリリスが成長して女性らしくなるにつれ、エミリオの態度はより不快なものへ変わっていた。舐め回すような視線でアマリリスの肢体を見つめてくる。
ロベリアはそれを煽るような言葉を口にして、アマリリスの婚約者と堂々と仲睦まじくしていた。
「はっ、公爵家のダーレンか。あいつはそのうちロベリアのものになる。だからお前は俺の愛人になればいいんだよ」
「そうよ、ダーレン様はわたしのことしか見えていないの。あんたはさっさとあきらめなさい」
「それ以上おっしゃるなら公爵家に助けを求めますわ。公爵夫人は厳しいお方だとご存じですよね?」
ダーレンは格上の公爵家嫡男だから、今のところエミリオはアマリリスに手を出せない。ロベリアもまた、現時点では婚約者でもなんでもないのでどうにもできない。
だからこそ、いつもきっぱりと強気な発言でエミリオとロザリアを退けていた。ダーレンは頼りにならないが、公爵夫人には可愛がってもらっている。ふたりともそれをわかっているから、こう言えば引き下がるしかない。
文句を言うエミリオとロベリアを無視して厨房へ入り、赤くなった頬を冷やしながらアマリリスはぼんやりと考えた。
兄たちが屋敷から追い出されて八年経った。三人ともとっくに成人しているが、兄たちが戻ってこないのは幸せに暮らしているからなのか、戻ってくる余裕がないからなのかわからない。
(もういいかな。お兄様たちも戻ってくる気配がないし、伯父様たちの散財で領地の経営状況も改善しない。クレバリー侯爵家には見切りをつけた方がいいかもしれない)
ひとり残されてから、アマリリスはどうにかできないかと必死に努力してきた。
別に侯爵家にこだわりがあるわけではない。ただ両親と兄たちが大切にしていたから、アマリリスも大切にしたかっただけだ。
だから伯父一家がきちんとクレバリー侯爵家を盛り立ててくれるなら、それでもよかった。そうでない場合は爵位を取り戻し、兄たちを迎えにいこうとも考えたが肝心の兄たちとは音信不通だ。
爵位を取り戻すだけなら今のアマリリスだけでもどうにかなるが、女児は家督を継げない。婚約者のダーレンが信頼できればさっさと結婚して奪い返せばいいが、従妹であるロベリアに夢中になっている。
(それなら、今、私がやるべきことは——)
アマリリスは泥舟から逃げ出すべく、思考を巡らせた。
それからアマリリスの生活はガラリと様子が変わる。
屋敷で一番日当たりのよかった部屋から、使用人でも使わないような物置小屋へ移され、朝から晩まで屋敷の仕事をしろと命じられた。
屋敷中の掃除や庭の手入れも手伝い、計算ができると知られればエイドリックの政務を手伝うように命じられた。
面倒な計算のある帳簿の仕事を任され、アマリリスは屋敷の仕事が終わりエイドリックが就寝してから事務仕事をこなした。
使用人たちはアマリリスを憐れに思い、仕事を軽くしたりこっそりおやつを渡したりして、残された少女を助けた。
誕生日にはささやかだがお祝いもして、笑顔を浮かべるアマリリスに使用人たちは陰ながら涙した。
図書室の鍵を管理している家令のケヴィンはこっそりスペアキーを渡して、本が好きなアマリリスのためにいつでも使えるようにしていた。
兄たちとは離れ離れになったけれど、アマリリスの周りには気にかけてくれる使用人たちがいたから、なんとかやってこれた。
伯父一家からの扱いは年々ひどくなっていくけれど、その分アマリリスの心と身体も成長していく。
大粒の涙をこぼしていた少女は、多少のことでは揺れない鋼の心を手に入れ、図書室で知識を深めた。特に好んで読んだのは、心理学や行動学の本だ。
(この本で学べば、伯父様たちから怒られなくなるかも……そうしたら、ケヴィンの負担が減るかしら? 伯父様たちのご機嫌を取れば、きっと今より働きやすくなるわよね……)
そんな理由だったが、アマリリスは関連する本を読み漁り日々の生活で実践を繰り返した。
母から受け継いだ真紅の髪は咲き誇る薔薇のようで、父親譲りの琥珀の瞳は真実を見抜く。
たとえお仕着せをまとっていても内からあふれ出る気品と知性は隠しきれない。
そんなアマリリスに劣等感を刺激されるエイドリックは、よりアマリリスに厳しく当たった。
「アマリリス! お前の計算が間違っていたぞ! この書類は全部やり直しだ!!」
「……申し訳ありません。すぐにやり直します」
間違っていたのはエイドリックが書き記した数字だったが、そんなことはこの場では関係ない。劣等感の塊であるエイドリックには自尊心を満たすよう、こちらが下手に出るのが正解だ。
アマリリスは命じた仕事をどんどんこなすので、エイドリックの妻であるフランシルも侯爵夫人の仕事を押し付けていた。
茶会の準備やお礼状など面倒なことはすべてアマリリスにやらせて、よく外出している。
ある日、お茶会が終わりフランシルはアマリリスのもとにやってきた。手に持っていた扇子をアマリリスの頬に叩きつける。
「ちょっと! どうしてあの花を用意したのよ! お前は茶会の準備もまともにできないの!?」
「……申し訳ありません」
アマリリスはいつものようにお茶会の準備を整えたが、名簿にないご婦人が飛び入りで参加しアレルギー症状が出たと騒ぎになっていた。
お茶会の最中は姿を見せるなと言われているので、屋敷の仕事をこなしていたアマリリスはそんな騒ぎに気が付くことができず叱責を受けている。
(いつものヒステリーは早々に立ち去るのが一番だわ)
だけど、こんなことは日常茶飯事だ。
アマリリスは「屋敷中の花を差し替えてきます」と言ってその場を離れた。まずはジンジンと痛む頬を冷やそうと厨房へ向かって歩いていると、階段の手前で従兄妹のエミリオとロベリアが立っている。
「なあ、アマリリス。お前が俺の女になれば、もう少しマシな暮らしができるってわかるだろう?」
「私には婚約者がおりますので遠慮いたします」
「まあ、お兄様の誘いを断るなんて生意気ね!」
アマリリスが成長して女性らしくなるにつれ、エミリオの態度はより不快なものへ変わっていた。舐め回すような視線でアマリリスの肢体を見つめてくる。
ロベリアはそれを煽るような言葉を口にして、アマリリスの婚約者と堂々と仲睦まじくしていた。
「はっ、公爵家のダーレンか。あいつはそのうちロベリアのものになる。だからお前は俺の愛人になればいいんだよ」
「そうよ、ダーレン様はわたしのことしか見えていないの。あんたはさっさとあきらめなさい」
「それ以上おっしゃるなら公爵家に助けを求めますわ。公爵夫人は厳しいお方だとご存じですよね?」
ダーレンは格上の公爵家嫡男だから、今のところエミリオはアマリリスに手を出せない。ロベリアもまた、現時点では婚約者でもなんでもないのでどうにもできない。
だからこそ、いつもきっぱりと強気な発言でエミリオとロザリアを退けていた。ダーレンは頼りにならないが、公爵夫人には可愛がってもらっている。ふたりともそれをわかっているから、こう言えば引き下がるしかない。
文句を言うエミリオとロベリアを無視して厨房へ入り、赤くなった頬を冷やしながらアマリリスはぼんやりと考えた。
兄たちが屋敷から追い出されて八年経った。三人ともとっくに成人しているが、兄たちが戻ってこないのは幸せに暮らしているからなのか、戻ってくる余裕がないからなのかわからない。
(もういいかな。お兄様たちも戻ってくる気配がないし、伯父様たちの散財で領地の経営状況も改善しない。クレバリー侯爵家には見切りをつけた方がいいかもしれない)
ひとり残されてから、アマリリスはどうにかできないかと必死に努力してきた。
別に侯爵家にこだわりがあるわけではない。ただ両親と兄たちが大切にしていたから、アマリリスも大切にしたかっただけだ。
だから伯父一家がきちんとクレバリー侯爵家を盛り立ててくれるなら、それでもよかった。そうでない場合は爵位を取り戻し、兄たちを迎えにいこうとも考えたが肝心の兄たちとは音信不通だ。
爵位を取り戻すだけなら今のアマリリスだけでもどうにかなるが、女児は家督を継げない。婚約者のダーレンが信頼できればさっさと結婚して奪い返せばいいが、従妹であるロベリアに夢中になっている。
(それなら、今、私がやるべきことは——)
アマリリスは泥舟から逃げ出すべく、思考を巡らせた。
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