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しおりを挟む第一章 死神聖女は自由になりたい
「ギルティア・エル・マクスター、死神聖女である貴様との婚約はこの時をもって破棄し、私は新たにミッシェル・リア・ゼノビスと婚約を結ぶ!」
死神聖女――私はそう呼ばれている。
煌びやかなシャンデリアの光が降りそそぎ、目の前の婚約者の金色の髪を美しく輝かせている。私の婚約者であるカメロン王国の第三王子ブランド殿下は見た目だけは素晴らしく、どこにいても注目の的になっていた。今もその容姿と高らかな宣言で、貴族たちの視線を集めている。
この場は第二王子の誕生祝賀会。幸か不幸か、国王陛下たちはまだ入場していない。
「……ブランド殿下、正気でございますか?」
思わず本音がぽろりとこぼれてしまった。
このカメロン王国には、民を守るための特別な存在として聖女という役職がある。
聖女は能力によって三種類に分けられ、攻撃が得意な『破魔の聖女』、結界が得意な『守護の聖女』、そして彷徨う魂を天上に導く『浄化の聖女』がいた。それぞれの聖女の頂点に立つのが、国王から任命された認定聖女で、各聖女の中で一番力の強い者が選ばれる。
この認定聖女を中心にして、王国は凶暴で邪悪な力を持つ魔物から人々を守っている。さらに認定聖女はその優秀な遺伝子を残すため、王族、あるいはその近親者との婚姻を義務づけられていた。
私は伯爵家の長女だったが、浄化の認定聖女として十歳の頃から役目を果たしていて、例に漏れず第三王子の婚約者でもあった。
……もう過去形のようだけれど。
「正気かだと⁉ 当たり前だ! 冗談でこのようなことを言うわけがないだろう!」
「そんなに大声で叫ばなくとも聞こえておりますわ。でも、そうですか……本気ですのね?」
ブランド殿下の腕にしなだれかかるようにして立つのは、私の次に浄化の力が強いゼノビス公爵家の次女ミッシェルだ。ふわふわのピンクブロンドの髪と水色の瞳が愛らしい令嬢である。
聖女と権力者との婚姻が繰り返されてきたので、この国では高位貴族に力の強い聖女が生まれやすい。適性がある女児は専門の教育機関である中央教会に所属し、共同生活を送ることになる。当然私もミッシェルも、中央教会の施設でともに過ごしてきた。
そういえば、ミッシェルはやたらと私に突っかかってきていたわね。たいして害がなかったから放っておいたのだけど。
「ああ、本気に決まっているだろう! 貴様の着ている黒いドレスは陰気臭くて我慢ならん! 私がなにを話してもニコリとも笑わず、あまりにも不気味だから死神聖女と呼ばれているのに、改善もしないではないか!」
「……黒いドレスを着ているのは死者の魂を弔うためですわ。ニコリともしないのは申し訳ないことでしたが、殿下のお話には笑顔になる要素がございませんでしたので」
「なぁっ⁉」
確かにブランド殿下の指摘は間違っていない。
私は浄化の認定聖女になってから、黒いドレスしか着ていない。それでも、流行の形を取り入れたり、レースをふんだんに使ってみたり工夫はしていた。
今日のドレスだって王室御用達のデザイナーに頼んだものなのに。
笑顔を見せないのは、ブランド殿下がお話しする内容が、どこそこの令嬢にアプローチされただの、有名な画家に肖像画を描かせただの、どうでもいいことばかりだからだ。たまに語る武勇伝でさえ、前線から遥か後方で安全に討伐したというものなのですもの。いえ、王子様ですから安全を確保しなければいけないのは理解できるのだけど。
ただ、いつも最前線で魔物の討伐をしている私は、どうしても彼を持ち上げることができなかったのよ。
「くっ! これだけではない! 今日は貴様の非道なおこないを明らかにするために、この場を選んだのだ!」
「非道なおこないですか? いったいどのような?」
まるで心当たりがない。
「ミッシェルから聞いているぞ! 貴様は中央教会でミッシェルに髪飾りやアクセサリー、艶やかなドレスの着用も禁止したそうだな⁉ ミッシェルは陰険な仕打ちをされたと泣いていたのだぞ‼」
「……中央教会では魔物との戦闘訓練がございますので、アクセサリー類の着用はもともと禁止されています。ドレスについては、浄化の際に魂になった方から伝言を頼まれて、ご遺族様に訪問することがあります。その際には暗い色のものを着るように言いました」
実戦さながらの模擬戦闘があるのに、アクセサリーなんて着けていたら大きな怪我につながりかねないし、死者の最後の言葉を伝えるのに派手な格好でなんて行けるわけがないでしょう。悲しみにくれるご遺族の神経を逆なでしたいのかしら?
「そ、そんなっ! だが、伯爵家である貴様が公爵家のミッシェルに命令するのは不敬であろう‼」
「お忘れですか? 私は認定聖女なので、王族の皆様と同等の立場ですわ」
だからといって、わがままを言うわけではないけれど。
「しかし、戦闘訓練の時にミッシェルにわざと怪我をさせただろう! ミッシェルは心に傷を負って、一カ月も外に出られなかったんだぞ⁉」
ブランド殿下の言葉に、はてと考える。
怪我をした後、一カ月外に出られなかった? ああ、ひと月も引きこもった上に私のせいだとわめき散らしていたアレのことかしら。
「……その時突き飛ばしていなければ、ミッシェルは飛んできた剣でもっと大怪我をしておりました。心の傷かどうか存じませんが、確かにひと月は怪我が治ってもお休みされていましたわね」
突き飛ばして怪我をさせたといっても、手と足を少し擦りむいただけでしたけど……公爵家の令嬢には大怪我になるのかしら?
訓練をお休みして、毎日優雅にティータイムをとっていたのは知っているけれど。
なんだか、話していてとても疲れるわ。
一週間におよぶ魔物討伐から、やっと戻ってきたところなのに。
毎度のことだけど婚約者から労りの言葉もない。この祝賀会に出ることさえウンザリしているのをわかってほしいわ。
ブランド殿下のおっしゃる内容がくだらなすぎて、耐えられない。今すぐ解放してくださらないかしら。
待って、解放?
あら……私、気付いてしまったわ。
目の前に転がっているのは、またとないチャンスではなくて?
嫌だわ、気付いてしまったらニヤけてしまうじゃない。今こそニコリともしないと言われた無表情を貼りつけなければ!
「もう結構ですわ。婚約破棄を承ります」
「っ! ようやく自分の罪を認めたのだな‼ それでは、ギルティア・エル・マクスターから即刻、認定聖女の地位を剥奪し、『冥府の森』へ追放とする‼」
「かしこまりました」
台本でも用意していたのだろうか。言い終えたブランド殿下は得意気に胸を張っていた。
冥府の森……魔力の磁場が狂っていて、魔物が大量発生する危険地帯ですわね。
あの地を管理しているのは、大陸一の軍事力を持つユークリッド帝国。許可なく森に立ち入った者は魔物に喰われるか、管理している帝国軍に侵入者として捕らわれると聞いていますわ。
ブランド殿下が許可など取っているわけないわね。そう、どうやっても私を処分したいというの。
近衛騎士に促され、私はわざと俯きながら会場を後にした。会場内は静けさに包まれていたけど、私の頭の中はこれからの準備のことでいっぱいだ。
とにかくこの状況がひっくり返らないうちに、さっさと冥府の森に向かわなくては。
騎士たちに思いのほか丁重に馬車に乗せられたところで、私は思いっきりにんまりと笑う。
このチャンス、絶対にものにするのよ!
あのボンクラ王子から離れられて、しかもまったく自由のなかった聖女生活から解放されるのですもの!
なんとしても冥府の森の管理者から逃げ切って自由を手に入れなくては……‼
冥府の森で生き抜くために最低限の荷物だけでも取りに行きたい、と護送してくれる騎士たちに伝えると、中央教会に立ち寄ってくれることになった。
私室に行き必要なものをマジックポーチに詰め、家族宛の手紙を書いて中央教会に託す。
私が聖女になってからは離れて暮らしているけど、父と兄は変わらずに愛し続けてくれた。父は母が亡くなった後も後妻を娶らず、兄もまた十歳からひとりの女性を想い続けるほど愛情深い。
私がこんなことになって悲しませてしまうのが心残りだった。だからこれは私が望んで追放されたのだと、どうか悲しまないでほしい、としたためた。
そうして聖女の制服である黒い膝丈のドレスに着替えて、また馬車に乗り込んだ。王都を出たところで騎士たちが転移の魔道具を使い、冥府の森へと移動した。正直、ニヤニヤするのを我慢できていたか自信がない。
こうして無事に冥府の森へと追放していただき、私は自由への一歩を踏み出した。
冥府の森で暮らし始めて一週間が経った。
私は森のど真ん中で純白の折りたたみ簡易テーブルを広げ、ゆったりと椅子に腰かけて優雅なティータイムを楽しんでいる。このテーブルセットは魔物討伐の遠征中でも、聖女が心のゆとりを保てるように考案された優れものだ。
鼻先をかすめるお茶の香りが中央教会でよく飲んでいたものと似ていて、荒波のようだった日々が思い出される。
中央教会に十歳で所属して、八年が過ぎた。
聖女の力が発露した少女たちは問答無用で家族と引き離され、中央教会の管理下で国のために力を使えと強要される。そして魔物討伐の最前線に出ても簡単には死なないようにさまざまな訓練を課せられていた。
地獄のような訓練をこなし最前線で魔物たちと戦ううちに、ずいぶんとメンタルも鍛えられた。死神聖女と呼ばれ、貴族社会から疎まれ嫌われていても、命をかけた戦闘を前にそんな些細なことは気にならなくなった。
なにより仲間たちにはちゃんと理解されていたし、小さな世界にとらわれる貴族たちを哀れだとさえ思っていた。
貴族たちは家門から聖女を輩出して評価を高めるため、あらゆる手を使って聖女を伴侶として迎えようとする。そして子供を産ませた後は放置するのが常だ。
特に認定聖女は、結婚相手は王族かその血筋の貴族と決まっていて、逃れることは許されなかった。ただただ押しつけられたものを受け入れて、国のために身を粉にして働く。それが聖女だ。
だからこそ仲間は大切な存在だったし、私だけ自由になって申し訳ないと思っている。
「いけないわ。あまりに平和すぎて過去を懐かしんでしまったわね」
私は気持ちを切り替えて、今夜の食事について思考を巡らせた。
「今日の夕食はアグリポークのステーキがいいわね。昨日森の奥で見かけたあの獲物に決めたわ」
この冥府の森はほとんど人の手が入っていない。そのため動植物が豊富で、食糧には困らなかった。
昨日薬草の採取をしている時に見つけた獲物――アグリポークを思い出す。むっちりとした肉は、塩を振って焼いただけでもきっと美味しいだろう。
飲み終えたカップを魔道具で清浄して、テーブルと椅子を片づける。そして、それらを腰につけたマジックポーチに収納していく。このマジックポーチは聖女に支給された魔道具で、冥府の森で生き抜くためには必須だと思い持ってきたのだ。本当にいろいろな場面で役に立っている。
片付けを終えた私は鼻歌を歌いながら、軽やかに森の奥へと足を進めた。
ここ冥府の森は磁場が狂っていて、常に高濃度の魔力が渦巻く特殊な土地だ。
そのせいで浮かばれない魂が世界中から集まってくるのだ。魔力を取り込んで穢れてしまった魂は実体化して、人々に襲いかかる。それが魔物の正体だ。
穢れた魂は聖女が使う魔法で浄化されない限り、たとえ倒されても時間が経てば復活してしまうので不死の魔物と呼ばれている。
生前の想いが強ければ強いほど強力な魔物となって目的を果たそうと暴走し、街や村を破壊していく。そんな危険な魔物がうようよ湧いてくるのが冥府の森だ。
だからいくら緑と清らかな水があふれ、肥沃な土壌で貴重な魔石がふんだんに眠る場所だとしても、治めるのは困難を極めた。
現在は大陸一の軍事大国であるユークリッド帝国が管理している。帝国はこの危険地帯に屋敷を建て、軍の中でも指折りの猛者をその管理者として常駐させているらしい。
今のところ、その管理者には見つかっていないはずだ。というか、とんでもない危険地域なので、帝国軍以外の人間は、ほぼいない。
たまに見かけるのは、魔石を無断で採取しに来た冒険者くらいだ。冥府の森はその性質から、高濃度の魔力を含んだ鉱石が魔石となってその辺にごろごろ転がっている。
質のいい魔石は高級魔道具の製作でよく使われるため、かなりの高値がつく。だけど、そんな不届き者も帝国軍の騎士たちがすぐに捕縛して連行していった。
無断で侵入した者は捕らえられ、牢に入れられると聞いている。自由を手に入れるためは、ここで帝国軍に捕まるわけにはいかない。そのため騎士を見かけたらすぐに転移魔道具を起動して逃げ回っていた。
できるだけ帝国軍の騎士に会わないようこっそりと控えめに過ごして、サクッと隣国に抜けよう。
「それにしても……虫すら姿を消しているなんておかしいわね」
狩りをするために森の奥へ来たけれど、明らかにいつもと様子が違う。
ここまで生き物の気配がしないなんて、ありえない。
次の瞬間、耳に届いたのは大地を震わせるような咆哮だった。
『グオオオォォォォ!!』
巨大な魔物が丸太のような腕を振り回して、木々をなぎ払っている。瞳は自我を失っているようだった。五メートルもある身体全体に包帯が巻かれたアンデッドモンスター、これはグレートマミーだ。
煮えたぎった血のような紅い双眼が、私を捉える。
こっそりと控えめにしたいのに、こんな大きな魔物に狙われたらそうも言っていられない。
どうか帝国軍に見つかりませんようにと強く祈りつつ、浄化魔法を発動させる。
「黒薔薇の鎮魂歌」
グレートマミーにいばらが絡まる。その無数にある棘が、魔物の魔力と、負の感情を取り込んでいく。やがて黒い薔薇が咲き乱れ、はらはらと散っていった。
黒い花びらが舞い散る、幻想的な景色。
グレートマミーがしぼむように消えて、その後に現れたのは、すっかり浄化された七色の魂だ。
「最後の言葉はあるかしら?」
『ありが……とう』
それだけ残して艶やかに輝く魂は天へと還っていった。
どんな想いを残したのかはわからない。でも、どうか来世は穏やかに過ごせますようにと、そう願った。
私を含めて浄化の聖女と呼ばれる者たちには、ふたつの役目がある。ひとつめの役目は破魔の聖女たちが倒した魔物の魂を浄化することだ。通常は守護の聖女が張った結界の中で魂の浄化をする。
けれども、私は前任の浄化の認定聖女様のスパルタ教育のおかげで、倒されていない魔物の魂も浄化できるようになってしまった。あの時のみんなの驚いた顔は今でも覚えている。
ふたつめの役目は、浄化した魂がこの世に残した最後の言葉をご遺族に届けることだ。
魂が天に還る際に、魔物になってしまった原因ともいえる強い想いを、浄化をした聖女だけが聞くことができる。聖女になってからの八年間、この魂の最後の言葉を届ける時はいつも心を抉られる。
私の言葉で悲しみにくれる人や遺産の心配をする人、まるで興味を持たない人、いろんな人たちがいた。悲しみから責め立てられることも多々あって、私はやがて笑うことを忘れていった。
ちなみにブランド殿下の話は心底つまらなかったので、真顔になっていただけだ。
「さて、魔物が消えたから今度こそ獲物を狩れるかしら?」
そう思って、生き物の気配を探った時だった。
カサリと音を立てて葉が揺れる。ハッとして音がした方に視線を向けた。
そこにいたのは、ひとりの青年だった。
スラリとした長身に、柔らかそうな黒髪がふわりと風に揺れている。私を見つめる琥珀色の瞳は、驚きに見開かれていた。スッと通った鼻筋と、ほどよい厚みのある唇が温かい印象を与える。
どこからどう見ても美形と言って差し支えない、見目のいい男だ。黒っぽい衣装をまとう姿は隙がなく、腰に佩いた剣と佇まい、あふれるような魔力から只者ではないとわかる。
人間……こんなところに? 私も人のことは言えないけれど。ああ、もしかしてこの方も同じ理由で驚いていらっしゃるのかしら?
「あの……?」
声をかけてから、ひとつの可能性が頭をよぎる。
冥府の森の管理者――まさか、この優しげな青年が?
この前見た軍人とは格好が違うようだけれど。
ただ、こんなところにいる人間が一般人でないのはわかる。私のように追放されたのか、それとも帝国軍の人間なのか。または魔石を窃取しに来た冒険者か。
さりげなく見極めていたら、彼の剣にユークリッド帝国軍の紋章が刻んであることに気が付いた。
しまった! 帝国軍の人間だわ! ということは管理者側⁉
これは、逃げるしかない‼
私はとっさにマジックポーチから緊急避難用の転移魔道具を取り出し、起動させた。
「おい! 待っ――」
目がくらむほどの光に包まれて身体がフワリと軽くなる。
少ししてまばゆい光が収まったので目を開くと、三日前にテントを張った大岩の前に立っていた。
確かに逃げ出せたはずなのだけど――
「ギルティア」
振り切ったはずの男は、すでに私の転移先にいた。
転移の魔道具が壊れたわけではない。ちゃんと発動したし、さっきとは違う場所に私は立っている。目の前の大岩がその証拠だ。
男はその大岩にゆったりともたれかかり、私をじっと見つめている。
「な⁉ なぜ私の転移先にいるの⁉」
「ああ、俺は転移魔法が使えるから、魔道具より速く移動できる。それより、だいぶ無理したな。少し眠るといい」
「えっ……⁉」
男が私に手をかざすと、甘い匂いがふわりと香る。途端に頭がクラクラとして身体から力が抜けていった。
ここで倒れたら、ダ……メ――
最後に感じた包まれるような温もりに、なぜか懐かしさが込み上げた。
どんなに抗っても私の意識は深い闇の中へ落ちていく。
「やっと……捕まえた」
青年が呟いた言葉を薄れゆく意識では拾うことができず、私の記憶はそこで途絶えた。
第二章 死神聖女は逃げ出したい
ああ、なんて心地いいのかしら。
ふかふかのベッドで暖かい毛布に包まれて、幸せすぎるわ。
なにより、こんなにゆっくり眠れるなんて久しぶり……え、待って。
勢いよく起き上がって、ここがどこかの建物の一室であることに気が付いた。着ているものも、いつの間にか白いナイトウエアになっている。想像していたのと違う状況に困惑する。
「私……捕まった……わよね?」
慌ててベッドから降りて扉を開けようとするも、ガチャガチャと音が鳴るだけで開かない。窓があったので身を乗り出して外を見渡したけれど、鬱蒼と生い茂る木々が広がっているだけだった。
街の気配はまったく感じられないし、前方にある木々の間から魔物が飛び立ったのが見えたから、まだ冥府の森の中にいるようだ。窓から見る限りここは三階で、バルコニーもないから降りられない。
冥府の森に存在する建物……そんなの帝国軍が駐在する屋敷しか考えられない。おそらく気を失っている間に帝国軍が管理する屋敷まで運ばれて、牢屋代わりにこの部屋に閉じ込められたのだ。
サーッと血の気が引いていく。
八年にも及ぶ自由がきかない聖女の生活からやっと抜け出して、いざこれからという時に牢屋に入れられてしまうの?
「嘘……これが私の人生なの?」
なにも知らなければ耐えられた。でも私は自由を知ってしまった。わずか一週間だったけれどやっと息ができて、大空を飛ぶ鳥になったみたいだった。
あの解放感を忘れられるわけがない!
「なんとしてでも逃げてやるわ!」
この八年で培った、ど根性魂がムクムクと起き上がる。
聖女の訓練は過酷だったから、これくらいのことではへこたれない。私は高速で頭を回転させて、部屋の中を物色しながら逃亡計画を立てた。
針金なんて落ちてないわね……ナイフやフォークなどの金属類もない。
扉を開けられそうなものはなにもなかった。それなら、もう窓しかない。シーツやカーテンを使って、下まで降りられないかしら?
シーツをベッドから剥ぎ取り、カーテンも体重をかけてなんとか取り外して、一本の長い長いロープにする。それをベッドの脚にくくりつけて窓から垂らした。
「少し長さが足りないみたいだけど……まあ、最後は飛び降りればいいわね」
正直怖い。こんなこと、いくら聖女の訓練でもやったことなかった。
でも自由を奪われるのだけは、耐えられない。
覚悟を決めて、シーツを握りしめた。
そっと窓枠に足をのせて身体の向きを変える。シーツをしっかりと掴んだまま、気合を入れて窓の外に出た。
途端にベッドがズルズルと動いて、そのまま私の身体も落ちてゆく。
ぎゃあああああああああああ!!
こっ‼ こ、怖いですわ――!! 逃げる前に死ぬわっ!!
心臓がバックンバックンと激しく音を立てているのがわかる。口から心臓が出そうになるとはまさにこのことだ。
それでも叫ばなかったのは及第点だと思う。まだ揺れている身体をなんとかしようと、外壁に足をついた。
はああ、本当に死ぬかと思ったわ!
少しだけ淑女らしくなかったけれど、まあ、誰も見てないからいいわよね。
そう、誰も――
降りようと下を見たところで、バッチリと琥珀色の双眸と視線が合った。
あの帝国軍の男がいやらしい感じでニヤリと笑い、二階の窓から身を乗り出している。その手には、しっかりとシーツが巻き取られていた。
「また逃げられるところだったな」
こうして私の逃亡計画は終わりを迎えたのだった。
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