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先輩のテスト返却とお弁当

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 学年末のテストがようやく終わった。テスト期間は先輩が勉強のためかすぐに家に帰ってしまうし、ここ数日は一緒にお弁当も食べられなくて地獄のようだった。ちなみに先輩との勉強会を夢見て覚えた2年生のテスト範囲は一度も活用する機会がないまま、既に全部頭から抜けた。
 とりあえず返ってきたテストは平均以上のそこそこの点数をキープできていた。でも勉強会の口実作りのためにもう少し低い点数に抑えていればよかったかなと今更ながら少し後悔もしている。「先輩、勉強教えてくれませんか」って僕が言ったら、先輩は一緒に勉強してくれるだろうか。もうすぐ春休みだし、何かのきっかけで予定を作らないと休みの間ずっと先輩と話せないまま新学期を迎えてしまいそうな気がする。
 久しぶりに先輩とお昼を過ごせることが楽しみすぎて、チャイムが鳴った瞬間に弾かれたように教室を飛び出してしまった。足がもつれて転けかけて、危うく手に持っていた先輩用のお弁当が台無しになる所だったけど、どうやら大丈夫そうで安心した。傾いていたタコ型ウインナーを自分の箸でちょっと突いて位置を正す。使ってない家で洗ったままの箸だけど、これも間接キスになるのかな……なんて考えが頭の片隅に浮かんで、かぶりを振って邪なイメージを追い出した。先輩が来る前でよかった。ここ数日、先輩との接触が足りなすぎて気が緩んでいるのかもしれない。
 弁当箱と相対しているとなんだか自分がおかしくなりそうで、そっと蓋を被せて脇に寄せる。ついでに箸も何事も無かったかのように箸箱に入れ直しておいた。
 弁当箱を視界に入れないようにぼんやりと談話室の入り口を眺めていたら、そう待たないうちに先輩がやってきた。
 片手に提げたお弁当の袋を振りながらぼんやりと歩いていた先輩が僕を見つけると色が弾けるように笑顔になる。その表情も、こちらに手を振る動きも、全てが愛しくて、生きててよかったなぁって自分の命の価値を感じられるし、普段なら気にもしない世界全ての存在意義を見つけた気がした。
「お待たせー」
「早かったですね」
「うん」
 にこにこと笑みを浮かべてどこか上機嫌な先輩がいそいそとお弁当を袋から出したので、脇に置いていた自分の弁当箱の蓋を取って先輩のお弁当と交換する。先輩の手に渡った弁当の中のタコ型ウインナーに先ほどの劣情が呼び覚まされそうになって、息を飲み込んで心頭滅却に励んだ。
 いつもならお弁当を食べるのが楽しみで仕方がないと言わんばかりの様子でお弁当に夢中になる先輩が、今日は何故かじっとこちらの様子を伺っているみたいで、そういえばいつもは外されて回ってくるお弁当の蓋が今日は行儀良く被さったままだ。これはすなわち先輩からのサプライズが隠れているということだろう。どんなものが出てきてもみっともなく取り乱してしまわないように、あらかじめ覚悟を決めておく。
「ありがとうございます、いただきます」
「うん、食べて!」
 微かに震える手で蓋を開けると、蓋の底に海苔が引っ張られ、綺麗に飾り付けてあった柄が崩れてしまったようだった。
 あまりの出来事に肝が潰れてしまいそうだった。先輩が泣き出しそうではないか素早く確認すると、残念そうではあるが悲しくは無さそうで安心した。ただ先ほどのわくわくと膨らんだ期待感は全て霧散してしまっていて、もし僕が海苔を崩さないまま上手く蓋を開けられていたら先輩はどんなに楽しい気持ちになれただろうと考えるとやるせない。叶うなら今すぐ三十秒前に戻って蓋を開ける所からもう一度やり直させて欲しい。今度は絶対に失敗しないから。
「あー、ごめんね?」
「えっ、いえ……あっ」
 申し訳なさそうに謝る先輩に何と言って励ませば良いかすぐに言葉が出てこなくて頭をフル回転させていると、先輩がおもむろに手元の箸で海苔を摘んで元の位置に戻してくれた。……え? つまり間接キスってこと
「朝はもっとかわいくできてたんだけどなぁ。残念」
「かっ! かわいいですよ!! 世界一です!!」
「えー、そう?」
 頭が茹って破裂しそうだ。せっかく先輩が話しかけてくれたのに、先輩が何て言ったかも、自分が何と答えたかすらもよくわからない。とりあえず落ち着こう、深呼吸をしよう。
 先輩を怯えさせたくなくて、こっそり息を吸って吐いてを繰り返す。何度か繰り返して自分がいま息を吸っているのか吐いているのかわからなくなったあたりでだいぶ落ち着いてきたようだと思った。
 再度お弁当の中身を見てみると、いつもの先輩が作った小ぶりで角が少し右に寄ったおにぎりに今日は海苔で顔が描かれているらしかった。少しよれてはいるけれどこれ以上の芸術品は世界に存在し得ないくらい可愛くて、箸で崩すのが勿体無いくらいだ。海苔から離れた所を割ろうかと思っても、やはり絶妙なバランで、その余白までも美しく、全てが揃ってこそ過不足のない一つの芸術に感じられてなかなか手がつけられない。今度こそ家に持ち帰って半永久的に飾れないだろうか。
 でもやっぱり、僕が食べた方が先輩は喜びそうだなと思うし、先輩の時間と努力が詰まった手料理は食べたい。
「ふふっ。じゃあいただきます」
「あっ、どうぞ、お召し上がりください」
 どこから食べるか思案していたら、先輩が手を合わせて僕の作ったお弁当を食べ始めた。先輩はいつも一番外側の卵焼きから食べ始める。今日だってそうだ。だから僕はいつも一番外側にその日一番綺麗に焼けた卵焼きを置いている。
「んー! 美味しい!!」
「よかった……」
 何度先輩に手料理を食べてもらっても、やっぱりまだ緊張する。先輩の好きな味にするために毎回少しずつ味を変えていることに先輩は気づいているだろうか。今日はちょっぴり出汁を多めにして柔らかい口当たりにしてみた。先輩はしっかり層が重なってる卵焼きと、とろけたみたいにふわふわの卵焼き、どっちが好きですか? 僕なら両方作れますよ、先輩の好きな味で好きな焼き加減で、毎日だって毎食だって作ってあげたい。世界で唯一先輩のためだけに作ったご飯を一生先輩に食べてもらえたら、きっとそれ以上の幸せはないと思う。
 おむすびの顔を崩すのはやっぱり惜しくて、いっそそのままいっぺんに食べることに決めた。先輩の小さな手で握ったおむすびだしいけるだろと思ったら意外と高さがあって、口に入りきらず情けない顔を先輩に見られて笑われてしまった。
 そんなことも幸せだって、そういうことにしておこう。……いまは。


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