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先輩の休日
しおりを挟む日曜日。学校は休みなので、朝から先輩の家に来ている。休みの日はお弁当の用意もないし、朝からゆっくり先輩の部屋を見られるのは良いけれど、先輩はあまり外に遊びに行くタイプではないから、日によっては一日中居ても一度も先輩の姿を見れない時があるのは残念だ。そういう意味ではお昼だけは必ず先輩と向かい合って話ができる学校の方が、僕にとっては都合が良かったりする。
先輩はなにをしてるのかな。さっきカーテンが開いたから、もう起きてるはずだけど。今日も一日家でゆっくり過ごすのだろうか。
カーテンが開いたとき、クリスマスの時に見た寝起きの先輩のかわいい顔が浮かんで、咄嗟に携帯を取り出した。けれど、今日は先輩の白い腕が覗いただけで顔は見られなくて、それでもその綺麗な腕を撮って残しておこうか悩んでもたもたしているうちに、先輩は部屋に戻ってしまった。腕に引っ掛けた傘に引っ張られて思うように機敏に動けなかったのも、敗因の一つだろうか。今日は昼から雨の予報だったから、長傘を持ってきたけど、微妙に長くてちょっと邪魔だな。
「いってきまーす」
先輩が家から出てきたみたいなので、玄関の方を覗く。先輩のちょっと巻いて綺麗に編み込んだ髪や、ひらひらした服装、服の色に合わせた鞄は、いつもよりもおしゃれをしているように見えた。どこかへ出かけるのだろうか。
先輩が出かけるなんて珍しいなと思ってその姿をじっと観察していると、先輩が傘を持っていないことに気が付いた。先輩は折り畳み傘を持っていないはずだから、傘を持って出るのを忘れたのだろう。もしかすると、今日雨が降ることを知らないのかもしれない。
いま駆け寄って「今日は雨が降りますから、傘を持って出た方がいいですよ」と声をかけることが僕に出来るわけがない。仕方がないので、急いで傘をもう一本家まで取りに帰ることにした。
折り畳み傘を鞄に入れて、急いで先輩を追いかける。先輩が出かけるとしたらどこだろう。どこに向かうかくらい確認してから戻れば良かったなと思うけど、いまさら仕方ない。たぶんいつものショッピングモールだろうと当たりを付けて、バスに乗った。
ショッピングモールの中で、先輩が行きそうなお店を片っ端から確認したけど、どこにも居ない。すれ違った可能性もあるから、何度か回ってみたけれど、影さえ見当たらなかったので、もしかしたらここには来ていないのかもしれない。そうなると、もしかして繁華街の方だろうか。
今日の先輩はいつにも増してかわいいから、誰かに声をかけられたりしたら……と想像して、ぞっとする。
焦る気持ちを抑えながら、急いで繁華街に行くことにした。
繁華街に向かう途中、住宅街を走っているときに先輩を見つけた。雨が降り始めて、手に持った傘のせいで思うように走れなくて、嫌な想像で心がかき乱されている時だった。でも、先輩の姿を見つけた途端にどんな想像も全部霧散して、先輩しか見えなくなる。先輩に僕の心が全部吸い込まれるようなこの感覚が、大好きだ。
「先輩!」
雨に降られた先輩はずぶ濡れで、泣いていないか心配だった。
「やっと見つけた。こんなに濡れて……大変でしたね。ひとまず 屋根のあるところに行きましょう」
「え、あ、うん」
雨の中たくさん荷物を抱えて一人きりで、どんなに心細かっただろう。もっと早く見つけてあげられたらよかったのに。
先輩を僕の傘に入れ先輩の腕を軽く引いて、近くの軒下に誘導する。なによりも早く、誰よりも優しく、先輩のことを助けたい気持ちでいっぱいだった。
「とりあえず、これで拭いてください。ごめんなさい、着替えとかは用意がなくて……先輩の家まで我慢させちゃうんですけど」
「え、いや、十分だよ。ありがとう」
先輩の替えの服だって、用意しておけばよかった、そうすれば先輩に僕の好きな服を着てもらうことだって出来たかも……いや、そうじゃない。すごく魅力的な発想だけど、今は困ってる先輩を助けることが最優先すべき目的だ。
「それ、持ちますから、渡してください。持ったままじゃ拭けないでしょう」
「ありがとう……」
先輩が持っていた荷物を受け取る。細い腕でこんなに沢山持って、大変だっただろう。その苦労を物語るように先輩の腕には、手提げの紐が食い込んだ赤い跡がいくつもできていた。痛々しくて、早く助けてあげられなかったことが申し訳ない。
先輩がタオルで体を拭きはじめる。しっとりと雨に濡れた先輩が、僕のタオルで髪や服の水を拭っている様子は、なんだか見てはいけないものを目撃しているような気がして、思わず目を逸らした。僕にはちょっと刺激が強すぎる。頬が熱くて、その熱が僕の下心を咎めているみたいだった。
朝、あんなに綺麗にまとまっていた髪も、雨で濡れて崩れてしまっている。水が滴る毛先も、それを丁寧に拭う先輩の様子もとても綺麗で、僕にとってはそれはそれでいいと思ってしまうけれど、先輩の頑張っておしゃれをした時間のことを思うと胸が痛む。
「その……遅くなってすみません」
「え?」
「来るの、遅くなっちゃって。先輩 大変だったでしょう」
「いやー、まあ、ね」
「腕も、こんなに跡になって。もっと早く見つけられたらよかったんですけど」
「大丈夫だよ、このくらい」
そう言った先輩の腕の赤い跡が目に入って、あまり大丈夫だとは思えなくて。無意識にその腕を撫でようと手が出てしまって、慌てて引っ込める。
「先輩、傘使ってください。二本持ってるんで」
「そう? ありがとう」
罪悪感を誤魔化すために話題を変えて先輩に傘を渡す。折り畳み傘と普通の傘、どちらを先輩に渡すか少し悩んで、雨に濡れにくいかと思い普通の傘を渡した。傘と交換に先輩の使ったタオルを受け取って、手早くジッパー袋に納めて鞄にしまった。
「じゃあ、行きましょう」
「うん」
僕が雨の中に歩き出すと、先輩が慌てて後を追いかけてくる。それが、なんだかとても愛おしくて。わざと歩調を緩めて、先輩と横に並んで歩いた。
お互い無言でも、水に濡れた足音は先輩と僕のふたり分鳴っていて、それがとても心地いい。
でも、先輩の足取りがちょっとおぼつかないのは心配だった。傘が風に吹かれて、両手で支えきれていないみたいだ。
「あの、先輩」
「なあに?」
「もし大変なら、僕が傘持ちましょうか?」
「……えっ!?」
それで先輩が少しでも楽になるのなら、荷物だって傘だっていくらでも持つ。先輩のためじゃなければ絶対に自分から苦労を買って出ることなんてしないけど、先輩の役に立てるなら本望だから。
先輩だって苦労は誰かに任せてしまいたいはず、そう思って声をかけたのだけれど、なぜか先輩の反応は芳しくなかった。どうしたんだろう、なんだか少し恥ずかしそうな様子の先輩に、照れて慌てる先輩もかわいいな……なんて考えていたら、気づいてしまった。僕が先輩の傘を持ったら、相合い傘になるじゃないか。
「え、あっ! い、いや、その、忘れてください! すみません」
恥ずかしさで顔が熱くて。きっと赤くなっているだろう顔が、傘で隠れて先輩に見えていないことを祈るばかりだ。
「ここですよね、先輩の家」
「うん、そうだよ。ありがとう」
もうお別れかと思うと寂しい。
先輩から返してもらった傘を宝物として保管しておくか悩む。先輩の握った持ち手のところだけ外したらジッパー袋に入るだろうか。
先輩に荷物を返してから、先輩の玄関まで運べばよかったなと思いついた。そうすればもう少しだけ長く一緒に居られたのに。
もう、この流れはさよならのパターンだ。明日は月曜日だからきっと学校で会えるけど、それにしたって先輩と会えない時間は寂しくて。なにか立ち話で引き止められないかなと思ったけど、雨で冷えた外に先輩を引き留めるのはそれはそれで辛い。
せめて先輩の姿を写真におさめておこうかとポケットの携帯を、指先でなぞる。
「あ、いずるくん、ちょっと待ってて!」
一瞬、悪事を咎められたような気がして、背筋がぞくっと凍った。
家の中へ入ってしまった先輩の背中を目に焼き付けたまま、ゆっくりと息を吐く。先輩の写真が欲しいと思いはじめたクリスマスから、折を見て携帯を取り出そうとするのだけれど、なかなかうまくいかない。ばくばくと鳴る胸を押さえながら、なかなか慣れないものだなと、一人で小さく笑った。
「おまたせー」
先輩が戻ってくる頃には、いつも通りに振る舞えるくらいに平静さを取り戻していた。何の用事だったんだろうと思っていたら、先輩が握り拳を差し出した。
「はい、これあげる。前に膝掛けくれたでしょ? そのお礼にと思って、用意してたの」
「え、僕に、ですか?」
両手で慎重に受け取れば、明らかに手作りのストラップだった。可愛らしいデザインで、ちょっと気恥ずかしい。先輩が、手ずから作ってくれたのだろうか。
「すごい。手作りですか?」
「うん、まあ。ちょちょっとね」
「ありがとうございます。大切にしますね」
「うん」
そういえば確かに、ストラップに使われている白と黄色の色は、先輩が先日手芸店で購入していたものだ。あんなただの糸を組み合わせてひとつのストラップにしてしまうなんて、すごい。
「じゃあね」
「あ、はい。また……」
僕が返事を返す間もなく先輩は家に入ってしまった。先輩とのさよならはいつもあっさりしている。振り返らないそのお別れのしかたが、先輩らしいなと思う。
先輩が閉めた玄関扉に向かって、携帯のカメラを向けた。撮影ボタンを押せばカシャという音を鳴らして写真が携帯に保存される。先輩がいなければこんなにもあっさり撮れてしまうのに、その先輩が映っていなければ、写真なんて無価値だ。
ふと思いついて、先輩から受け取ったキーホルダーをレンズにかざす。先輩の贈り物越しに撮った写真は、先ほどよりも少しだけ 僕の心を満たしてくれた。
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