僕は先輩の便利な後輩だ

えにけりおあ

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先輩の映画鑑賞

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 今日は、映画館のあるショッピングモールに来ている。先輩との待ち合わせ時間はまだ先だけれど、ちょっと目的があって僕だけ一人で先に来た。
 券売所で映画の当日券を購入する。朝一番で来たからどの席でも選べる。と思っていたけど、もう売れてしまっている席があるみたいだ。なぜだろうと思ったら、どうやらネットで予約が出来るようだった。あまり映画館に来ないから知らなかった。次は活用しようと思いつつ、前から6列目の中央少し右寄りの席を二つ並びで購入する。ネットで調べた限りでは、前であるほど良いわけではなくある程度後ろの席の方が見やすいらしかった。
 そのあと、追加でもう二席分のチケットを購入した。

 映画のチケットを買った後、一度先輩の家へ向かう。
 しかし、電気は消えているのに先輩の部屋のカーテンが開いている。ショッピングモールに行く前までは閉まっていたから、先輩はどうやら僕がチケットを買いに行っている間に起きて家を出たみたいだ。
 先輩は一体どこへ行ったのだろう。流石に今日の予定を忘れてはいないだろうけど、先輩の行き先に心当たりがなくて、どうしても気になってしまう。先輩は僕との予定の前に、いったいどこへ行ったのだろう。
 すぐに帰ってくるだろうかと思ってしばらく待ってみたけれど、先輩が家に帰ってくる様子は無かった。

 仕方がないのでショッピングモールの中央広場に戻って来た。
 今日の待ち合わせは先輩の家ではなく現地での集合が良い、というのは先輩からの要望だった。
 昨日までは深い意味があるとも思わなかったそれが、今はすごく怪訝に思えてしまう。
 家に来られると都合が悪かった? 先輩は朝はまだ家に居る様子だったから、先輩が朝早くに出かけたことに間違いはないはずだ。
 先輩は僕との予定の前に、だれかに会いに行ったのだろうか。
 猜疑心に苛まれながら待ち合わせ場所に立っていると、いつのまにか約束の時間がきていたようで、先輩がこちらに歩いてくる姿が見えた。
 先輩も僕のことを見つけたらしく、表情がぱぁっと明るい笑顔になり、照れたような控えめな仕草でこちらに手を振っている。
 その姿に胸を掴まれたみたいに、呼吸が苦しい。先程までとはまるで違う星に居るみたいだ。胸が苦しくて、先輩は可愛くて、顔が熱くて、視界は光が瞬くようだった。
「おまたせー」
 待ち合わせ場所にほぼ時間通りにやって来た先輩は、いつもよりおしゃれな格好をしていた。
 歩くたびにふわっと広がるように布が重なったスカートは、先日先輩の家に届いた宅配の中身だろうか。
 少し短くなった髪の、くるんと丸まった毛先は、もしかして美容院にでも行って整えてもらったのだろうか。
「先輩」
「ごめんねー、遅くなっちゃった?」
「大丈夫ですよ。時間通りです」
「よかったー」
 着慣れない服が気になるのか、そわそわと手のやり場に迷っている仕草が見ていて可愛らしい。
 僕と出かけるから、おしゃれして来てくれたのだろうか。……そう考えるのは、少し自惚れすぎだろうか。
「先輩、荷物持ちましょうか?」
 健気で可愛い先輩に少しでも何かしたくて、そう提案してみた。
「えっ! いいの? えー、でも……ううん。大丈夫!」
「そうですか?」
「うん! 自分で持つよ」
 そう言われては無理矢理取り上げるわけにもいかない。ひらひらと揺れるスカートの裾がエスカレーターに巻き込まれないように気にしつつ、ショッピングモールの映画館に移動する。
「先輩は、席とか こだわりありますか?」
「え? ううん、ないけど」
「じゃあ、これ。どうぞ」
 先輩に買っておいたチケットを渡す。開演ギリギリだと席が残ってないかも知れないので、少し早めに来て買っておいたのだ。
「なにか食べますか?」
 映画館の売店を見つけたので、喜ぶかなと思って提案してみた。先輩が予想よりも早く来てくれたので、悩む時間も出来上がりを待つ時間も十分にあるだろう。
「そうだねー、うーん。どうしよっかなぁ」
 先輩はいつもと違う髪型が落ち着かないのか、メニューを前に悩みながら、顔の横のくりんと丸まった髪を引っ張っては放し、バネのようにして遊んでいる。
「あんまり触ると、髪型くずれちゃいますよ。せっかく可愛くて似合ってるんだから、もったいないですよ」
「え」
 メニューから目を離してこちらを振り向いた先輩が、驚いた顔からだんだんと照れたような、嬉しそうな顔になる。
「えー、いずるくん、気づいてたの?」
「似合ってますよ」
「やだなぁ、えへへ。ありがとう」
「美容室でも行って来たんですか?」
「うん、そうなの。緊張したけど、美容師さん優しくてね」
 そう、にこにこと可愛らしい綺麗な笑顔で話す先輩に、先程まで感じていた暖かくて優しい気持ちがこびり付いた焦げの様に変質して、胃がキリキリと痛むような、苦しい気持ちが再来する。
「男の人?」
「え?」
「美容師さんって、男の人でした?」
「そう、だったけど」
 綺麗に巻かれて髪を一房取って、先程の先輩を真似するように滑らせるように引く。手の中でくるくると回りながら引っ張られる髪を放せば、心なしか、巻きが緩んだ気がする。
 綺麗に巻かれて整えられた、先輩の髪。許されるなら、全部、僕が切ってしまいたい。僕が切って、僕が整えて。そしたら先輩は、僕のことを、先程のように笑顔で、語ってくれるのだろうか。
 僕がいい。先輩の髪を整えるのも、先輩を綺麗にするのも、先輩に笑顔で褒められるのも、全部、僕がいい。
「僕も、練習しようかな」
 先輩は、先輩はいつになったら僕を頼ってくれるようになるんだろう。僕がなんでも出来るようになったら、僕を頼ってくれますか? 美容師の真似事も、毎日の身支度も、服を買うのだって、全部。先輩のこと全部僕ができるようになったら、先輩は、僕以外になにかをたのむことも、たよることもしなくなるのだろうか。
 僕は、先輩の便利な後輩になりたい。先輩に、一番に頼られるような、そんな便利な後輩に、なりたい。
「いずるくん?」
「どうしました、先輩」
「うーんとね……飲み物だけ買おうかなぁって。いずるくんは、どうする?」
「そうだな、じゃあ僕はポップコーンのセットにしようかな。キャラメルとバター醤油の」
 先輩、好きでしたよね、ポップコーン。甘いのも好きだけど、そればっかりだと食べ飽きちゃうから、しょっぱいのも欲しいですもんね。今日は、遠慮したんですか? 先輩は僕といる時に遠慮なんてしなくていいのに。
 素直に甘えてくれたら……いいのに。

 結局、ポップコーンは先輩が抱えながら映画を見て、最後の方「あとはいずるくんにあげるね」と返してもらった。中にはキャラメル味ばかり残っていたので、粛々と食べておいた。
 先輩の残り物というだけで、僕にとってはすごく特別で。けれど残すわけにもいかないので、ジッパー袋に入れて収集できないことが、とても残念だった。

「すっごく面白かったね!」
「よかったです」
「だよね! すっごくよかったよね!! あー、もっと早く見に行けばよかったぁ。もう一回見たいけど、無理だろうなぁ」
 先輩が喜んでくれたようで、よかった。
「DVD出たら買っちゃおうかなぁ、テレビの放送待った方が偉いかなぁ」
 そう冗談めかして言う先輩に、ゴミになる予定だった紙切れをポケットの中で握って、一人で勝手に戸惑ってしまう。
 実は、次の公演分のチケットも、持っているんだ。
 先輩は昨晩遅くまで部屋の明かりがついていて、どうやらなかなか寝付けなかったみたいだと思ったから、もし先輩が起きれなくても良いようにひとつ遅い時間のチケットも買っていた。

 誘って、みようか。先輩は……嫌じゃ、ないだろうか。

「ありがとね、いずるくん。色々助かったよ。いずるくんと一緒に観に来れて、よかった」
 それは、お別れの合図で。でもまだ僕は、先輩と一緒に、居たくて。僕と一緒でよかったという先輩の言葉に、みっともなく縋っても……良いだろうか。
「あの、先輩!」
 きょとんとした顔で見返して来る先輩に、恐る恐るたずねる。
「この後、まだ、お時間ありますか」
「え? あ、うん。大丈夫だけど」
「実は、間違って次の時間のチケットも買ってて。よかったら、一緒に観に行きませんか?」
「えっ、そうだったの? 払い戻してもらえるかもしれないよ。聞きに行ってみよう?」
「あっ、えっ、と。そうじゃなくて」
「そうじゃないの?」
「その……まだ、先輩と一緒にいたい、です」
 言ってから、断られたら、迷惑だったらどうしようという不安が胸に重くのしかかってくる。もしも断られたら、どうしよう。先輩はこの後用事があるだろうか。僕の後に誰かと会う約束なんてしてるのだろうか。その普段とは違う綺麗な格好で、誰かに会うの? 僕以外にも、その格好を見せたい人が居るのだろうか。
 後ろ向きな考えばかりが、不安に苛まれる心からどろどろと流れ出てくる。
 気になって先輩の顔を伺えば、思いの外きらきらと輝くような表情を浮かべていた。
「い、いいよ!! 見よっか! もう一度、映画!!」
 少し上擦った声で勢いよくそう言った先輩が、僕の両手をぎゅっと握った。握られた手で、先輩の体温だとか 手のひらの柔らかさだとかを感じてしまって、驚いて、意識が飛びかける。
 いま、この状況が、白昼夢なのか現実なのか判別できなくて。なんだか目の前がちかちかと瞬いて、くらくらと目が回るみたいだ。
 近い。先輩の顔が近い。いい匂いがする。普段の先輩とはまた違うこの匂いは、美容室で使われた整髪剤の匂いだろうか。
 ばくばくとうるさい心臓が、呼吸に混じって口からこぼれ出てしまいそうだ。
 頭の近くの血管ががんがん鳴っている音を感じながら、「あ、ぅ、よかった、です」と、ほぼ無意識に言葉を吐いた。
「うん! 行こう!」
 なにやら張り切った様子の先輩が、僕の両手から手を離して映画館へと進み始める。
先輩が離れてしまったことに名残惜しさを感じつつ、深く息を吸って、冷静さを取り戻す。
 熱くなった頬を手の甲を当てて冷やそうとして、つい先ほどまでこの手に先輩が触れていたのだと意識してしまって、なおさら熱くなった。


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