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第二章 炎の山

19. 一撃

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「いい加減にしろっ!!」

 冒険者ギルドに凄まじい怒声が響き渡る。激怒している髭面の大柄な男が受付カウンターを叩きながら、盛大に唾をまき散らしていた。

「あの男はなぁ、ベヒーモスを見た途端にビビッて逃げ出したんだよ!!」
「サクさんは逃げ出したりしません! 何かの間違いです!」

 可憐な受付嬢がきっぱりと言い放つ。男よりも一回りも二回りも小さい体だというのに、怯むことなく真正面から男と向き合っていた。

「何言ってんだ!? ベヒーモスだぞ!? Eランク冒険者なんて裸足で逃げ出すに決まってんだろ!!」
「サクさんは普通のEランク冒険者じゃありません!!」
「どう違うっていうんだよ!?」
「そ、それは……!!」

 思わずパルムが口ごもる。颯空がバジリスクを討伐したことは本人の意向により極秘事項となっていた。そうでなくても、彼は目立つことを嫌う。迂闊な事は口にできない。

「クリプトンさん! この女、責任逃れしたくて適当なこと言ってるだけっすよ」
「そうですよ! もう面倒くさいからさっさと連れてっちまいましょう!」

 ラドンとキセノンが後ろから口をはさむ。最初に味わうのはリーダーであるクリプトンではあるが、ちゃんとおこぼれを貰えるのだ。二人からしたらさっさと宿に戻りたいところだった。

「それもそうだな! 来い、パルム!」

 クリプトンがパルムの細い腕を掴み、カウンターから無理やり引っ張り出した。そのまま、強引に冒険者ギルドから出ていこうとする。

「ちょ、ちょっと! 放してください!!」
「お前のお気に入りのあのガキが逃げたら俺の女になるって話だったよな? ちゃんと約束は守ってもらうぜ!」
「だから、サクさんは……!!」

 入口付近まで来たところでクリプトンがグッとパルムを引き寄せ、至近距離まで顔を近づけると嫌らしい笑みを浮かべた。
 
「逃げたんだよ!! 俺達の大事な荷物を持ったままな!!」
「そんなの嘘ですっ!!」
「嘘じゃねぇ!! 本音をいえば荷物を弁償してもらいてぇところではあるが……まぁ、そいつは体で払ってもらうってことで……!!」
「"無限の闇ダークホール"」

 突然、クリプトンの真上に巨大な影が出現する。どこか見覚えのあるそれは、重力に逆らうことなくすとんっと落ちていく。
 
「ぐえっ!」
「え? え?」

 自分の荷物の下敷きになったクリプトンを見て、落ちてくる直前で誰かに腕を引かれたパルムが困惑した声を上げた。

「……ちゃんとここまで荷物を運んでやったぜ。これで依頼達成だ」
 
 聞きなれた不機嫌そうな声に、パルムがハッとした表情をする。自分の腕を掴んでいる人物の方へ振り返ると、大きく目を見開いた。

「サク、さん……?」

 黒髪に黒いコート。そして、この目つきの悪さは間違いない。思わず涙が出そうになる。

「野暮用で少し遅れた」
 
 颯空が吐き捨てるように言った。相変わらずの不愛想な様子に不思議な安心感を覚えるパルムだったが、体のいたるところから血が流れている事に気が付いた。

「ケガしてるんですか!? ベヒーモスにやられたんですか!?」
「あー……自分でやった」
「自分で!?」

 説明するのが面倒だった事と、クリプトンから荷物の下から這い出てきた事から、颯空はパルムとの会話を切り、庇う様に彼女を自分の後ろへとやる。

「て、てめぇ……!! な、なんで生きてやがる……!?」

 颯空の姿を見て明らかにクリプトンは動揺していた。それは後ろの取り巻き二人も同じだった。確実に毒矢を当て、両手両足を縛り上げ、ベヒーモスの前に置き去りにしたのは間違いない。だから、生きてこの場に現れることなどあるわけがなかった。

「ま、まさか怨霊か!? あのガキが化けて出やがったとでも言うのかよ!?」
「がなるなよ。依頼の達成報酬おいてさっさと消えろ」
「な、なんだとぉ!?」

 あまりの口ぶりにクリプトンがいきり立つ。周りもざわついていた。悪名高いとはいえクリプトンはBランク。上級冒険者といって差し支えないほどの男に、高圧的な物言いができる冒険者は数えるほどしかいない。

「て、てめぇ! 調子に乗ってんじゃねぇぞこら!!」
「……うるせぇな。殺すぞ?」

 颯空にぎろりと睨まれ、クリプトンは思わず後ずさりをした。はっきり言って、今の颯空はかなり虫の居所が悪い。その理由はどこぞの少女に昔の自分を重ね、みっともない八つ当たりをしてきたからだ。

「どのみちお前の居場所なんてもうねぇだろ。わかったら今すぐ俺の目の前から失せろ」

 どうでもよさそうにそう告げると、パルムの腕を掴んだまま颯空がクリプトンに背を向ける。クリプトンは絶望に包まれていた。颯空が戻ってきてしまった以上、彼への仕打ちがギルドに報告される。そうなれば、今まで自分がしてきた悪行が明るみにされるのも時間の問題だ。そうなれば、颯空が言ったように、汚い手段で築き上げた自分の居場所がなくなってしまう。それどころか、牢屋に入れられる可能性すらある。

「……うおおおおぉぉぉぉおおおぉぉおおお!!」

 もう他に選択肢はない。今すぐに目の前にいる男の息の根を止めなければ、自分に未来はなかった。
 腰のハンドアックスを抜き、雄たけびを上げながら颯空に襲い掛かった。クリプトンが短絡的な行動に出ることをある程度予想していた颯空が、小さく溜息を吐く。そして、パルムをそっと自分から遠ざけながら、振り下ろされるハンドアックスをさらりと躱した。

「くそがぁぁぁぁぁぁ!!」

 完全に不意を突いて放った初撃を軽々避けられ、クリプトンが我を忘れてハンドアックスを振り回し始める。ギルド内は蜂の巣をつついたように大騒ぎになった。二人の近くにいた者達は慌ててその場を離れていき、ギルド職員達はオロオロするばかり。取り巻きの二人も、まさかクリプトンがこんな暴走するなど思わず、困惑した面持ちで二人を見ていた。

「てめぇさえ……てめぇさえ殺しちまえば、俺様の天下は続くんだぁぁぁぁぁ!!」
「…………」

 心底呆れた顔で颯空はハンドアックスを躱し続ける。その動きに一切の無駄はない。

「俺は……!! 俺様はBランク冒険者のクリプトンだぞ!? こんなところで終わってたまるかっ!!」

 颯空に攻撃を躱される度、クリプトンのボルテージが上がっていく。

「ふざけんじゃねぇ!! あの女は俺様のもんだ!! お前が逃げやがった責任を取って俺様の女になるんだよ!! それなのに、生きてここに戻ってくるんじゃねぇよ!!」

 椅子を、壁を、机を。近くにあるもの全てを壊しながら、クリプトンはひたすらハンドアックスを振り続けていた。その血走った目に映るのはにっくき颯空の姿だけ。もはや正気を疑うレベルで暴走している。

「てめぇなんかさっさとぶち殺して、俺は宿に戻るぞ!! あの女とのお楽しみが待ってるんだ!! 着ている服をびりびりに引き裂いて、足腰立たなくなるまで一晩中攻め続けてやるんだよぉぉぉぉ!!」

 全身に鳥肌が立ったパルムが自分の体を抱きしめた。あまりにも聞くに堪えない言葉に、颯空が不快感を露わにする。

「あの女の体を貪りつくすのはこの俺様……!!」
「おい」

 腕を大きく後ろに振りかぶりながら、颯空が一瞬でクリプトンの懐へともぐりこんだ。

「俺の担当にちょっかいかけてんじゃねぇよ」

 そう言いながら、渾身の右ストレートをクリプトンの顔面に突き立てる。そのまま容赦なくその拳を振りぬいた。

「ぐぎゃ……!!」

 弾丸のような速度で吹き飛んでいったクリプトンが、壁を突き抜け屋外に消えていく。静まり返る冒険者ギルド。ここにいる誰もがこの展開を予想していなかった。

「……お前ら二人」

 他の者達と同様呆然とその場で佇んでいる取り巻き二人に颯空が近づき声をかける。

「今度俺かパルムの前に現れたら命はないと思え。あの髭ダルマにも伝えろ」

 ありったけの殺気をぶつけながら颯空が言った。あまりの恐怖に、取り巻き二人が仲良く股間を濡らす。

「わかったらあのごみ連れてさっさと消えろ。殺されたくなかったらな」
「は、はひぃ!!」

 情けない声で返事をすると、二人が腰砕けになりながら冒険者ギルドから出ていった。そのままラドンとキセノンは無様に倒れているクリプトンを担ぎ、この場から逃げるように退散していく。それを確認した颯空は、未だに沈黙に包まれている中、パルムに向き直った。

「壁の修理代金は明日請求しろ。今日は疲れた。帰って寝る」
「え? あっ……はい……」

 ぽーっとした様子でパルムが返事をする。颯空は踵を返すと、ポケットに手を突っ込んで宿に向かって歩いて行った。



 ガンドラの東地区。通称、スラム街。
 貧困層がクラスこの区域の路地裏で、一人の男が荒れに荒れていた。

「あのくそやろぉぉぉ!! 殺す!! 絶対に殺す!!」

 赤く腫れあがった頬を手で押さえながら、クリプトンはその場にある樽や木箱を手当たり次第に破壊する。意識を取り戻した後、手下の二人から冒険者ギルドで起こった事を聞いたクリプトンは、怒りに任せて二人を斬り殺し、逃げるように路地裏へやって来た。

「あのガキのせいで俺は……俺はぁぁぁぁ!!!」

 あんな騒動を起こした後では冒険者ギルドには戻れない。それどころか冒険者としても終わりだ。手下も地位もすべて失った男は怒り狂っていた。血でぬれたハンドアックスを何度も何度も地面に叩きつける。

「――随分とお怒りのようですね」

 そんなクリプトンに何者かが声をかけた。ピタッと動きを止めたクリプトンが、野獣のような眼光を声のした方へと向ける。

「そう怖い顔をしないでください。私はあなたの味方です」
「み、かた…?」

 そこに立っていたのは紺色のローブに身を包んだ女だった。目深に被ったローブから見える唇は真っ赤に艶めいている。その妖艶な雰囲気に、クリプトンは一瞬怒りを忘れた。

「どうやら、あなたにはどうしても許す事の出来ない人がいるようですね」

 ローブの女の口角が僅かに上がる。

「私ならあなたの復讐のお役に立てます」
「復讐……そうだ……あのクソ野郎に復讐してやるんだ……!! あいつの人生もめちゃくちゃにしてやる!! ぎゃーっひゃっひゃっひゃっ!!」

 忘れていた怒りが沸々と湧き上がってきた。そうだ、今自分がこんな惨めな思いをしているのは全てあの男のせいだ。あの男が全て悪い。あの男をこの世から抹殺せねば。
 狂ったように笑い声をあげるクリプトンを見て、ローブの女は悪魔のような微笑をうかべた。
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