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第一章 呪われた男

17. 帰路

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「はぁ……」

 どうしてこうなった、と叫びたい気持ちを必死に押し込め、颯空が大きなため息をつく。そんな颯空を隣に歩く凪が楽しそうに見ている。

「でね! 颯空ったらそのシーツをね……」
「それ本当ですか!?」
「意外」

 後ろでは女子三人が姦しく話をしていた。と言っても主に話すのは澪で、二人は相槌を打ちながら彼女の話を聞いている。それ自体は何も悪いことではない。問題はその内容だ。それは颯空が耳を塞ぎたくなるような話題の数々だった。今は小学校一年生の時に颯空がおねしょをした話で盛り上がっている。

「澪! 余計なこと言うんじゃねぇよ!」
「えーいいじゃん、減るもんじゃないし」

 強い口調で颯空が言っても、澪は軽く口を尖らせだだけで、特に気にした素振りはない。

「俺ももっと詳しく聞きたいな、おねしょの話」
「ざけんな。お前が澪に話した事だろうが」
「あれ? そうだったっけ?」

 さらりと言ってのける凪を憎々しげに睨みつけるが、もちろんこちらにも効果はなし。幼馴染である二人にいくら凄んだところで、体力と時間の無駄だった。

「澪さんの話はすごい面白いです」
「小さい頃の颯空は可愛い」

 本当に楽しそうに彩萌が言うと、すずが小さく頷いて同意する。流石に四対一だと分が悪いと判断し、黙って嵐が過ぎるのを待とうとした颯空だったが、すずの言葉に違和感を感じた。

「おい、小鳥遊。なにさらっと俺の事を下の名前で呼んでんだよ」
「すず」
「いや、お前の名前なんか聞いてねぇよ。俺が言ってんのは小鳥遊が俺の名前を」
「すず」
「……なんですずが俺の事を名前で呼ぶんだよ」
「颯空もボクの事を名前で呼ぶから」
「お前が呼ばしたんじゃねぇか!!」

 くわっと目を見開いて突っ込みを入れるが、まさに暖簾に腕押し。どうやら自分はこのボブカットの無表情美少女と相性が悪いらしい。
 疲れ切った表情で今日何度目かわからないため息を吐く。すると、何やら真剣な表情で彩萌がずいっと詰め寄ってきた。

「わ、私の事も彩萌って呼んでください!!」
「は、はぁ!?」
「私も颯空君って呼ぶのでっ!! い、いいですよねっ!?」
「あ、あぁ」

 あまりの彩萌の圧を前に、颯空は首を縦に振ることしかできなかった。我に返った彩萌が顔を赤くしながら慌てて颯空から距離をとる。だが、その顔には隠し切れない笑みが浮かんでいた。

「そういえば自己紹介してなかったよね。俺は氷室凪」
「あっ、普通に話してたけど、すずとは初対面だよね? あたしは藤ヶ谷澪だよ! よろしくね!」
「知ってる。二人とも有名人だから」
「ほえ? そうなの?」

 意外そうな顔で澪が凪の方を見ると、凪は肩をすくめて首を左右に振る。男子生徒からの人気ナンバーワンと女子生徒からの人気ナンバーワンを知らない生徒はまずいない。すずも彩萌も澪に負けず劣らずの可愛らしさを持ってはいるのだが、誰にでも明るく接する澪には何といっても華があった。

「ちなみに颯空も有名」
「あぁ? どうせ悪い意味でだろ?」
「その通り」
「そこは否定しろよ!」

 なんという息の合いようだろうか。今日初めて話したとは思えない。

「先生から信頼のある不良」
「……なんか矛盾してねぇか、それ。つーか、俺は不良じゃねぇよ」
「うーん……確かに颯空は不良ではないかな。バカだけど」
「自分の表現が下手なだけだよね。バカだし」
「不良バカ」
「……言いたい放題だな、お前ら」

 もはや怒る気力すらない。颯空の話で盛り上がり始めた三人を無視して、颯空は帰り道をすたすたと歩いていく。そんな颯空に、彩萌が遠慮がちに近づいてきた。

「私は颯空君が優しい人だって知ってますよ?」
「……いや、不良じゃないが別に優しいってわけじゃ」
「クラスにおいてある花瓶の水を文句を言いながら替えたり、横断歩道を渡れないお婆さんに仏頂面で手を貸したり、迷子の子供を面倒くさそうに交番に連れて行ったり」
「なっ!?」

 颯空が目を丸くして彩萌の顔を見た。その反応を見て、彩萌がくすくすと楽し気に笑う。

「どうやら私と颯空君はおうちが近いみたいで、時々帰ってるところを見かけるんです」
「……ガキの頃のおねしょ話より恥ずかしいところを見られてたってわけか」
「恥ずかしくなんかないですよ。すべて颯空君が優しいという確たる証拠です……。今日だって、無力で地味な女子生徒を助けてくれました」

 そう言うと颯空の前に出た彩萌が後ろで手を組み、軽く頬を紅潮させながらはにかんだ。
 
「本当にありがとうございます」

 ドキッ。
 そのあまりの可憐さに颯空の心臓が高鳴る。幼馴染の澪で美少女には慣れっこな颯空が、彩萌を見て可愛いと思った。

「……言ったろ? 大したことしてねぇって」
「はい。でも、感謝の気持ちは伝えたいんです」
「……どういたしまして」

 照れている事を隠すように、颯空がそっぽを向いた。その隣を何も言わずに彩萌が歩く。
 そんな二人の様子を観察していた後ろを歩く三人が、顔を突き合わせてひそひそと話し始めた。

「……ねぇ? なんかあの二人怪しくない? 今日が初対面みたいなもんだよね?」
「それは違う。彩萌はよく颯空の話をしてた」
「へぇ? という事は、ようやくどうしようもない我が親友の面倒を見てくれる慈愛に満ちた人が現れたってわけだ」
「いやいや、それは早計でしょ。本当の颯空を知ったら離れていくかもしれないよ?」
「彩萌は強い子。颯空がどんだけダメでも見捨てたりしない」
「それはなんとも羨ましい話だね。俺にもそういう子がいたらいいのにな」
「残念だけど無理よ。あんたも颯空と同類だからね」
「あれと一緒にされるのは甚だ心外だよ、本当」
「凪も颯空と同じ匂いがする。ダメ人間」
「…………お前ら」

 背後から聞こえた極限まで怒りを抑え込んだ声に、三人がビクッと体を震わせる。恐る恐る振り返ると、そこには悪魔も裸足で逃げ出すような雰囲気を滾らせた颯空が立っていた。

「全部聞こえてんだよぉぉぉぉ!!」
「やばい! 完全にキレてるわ!!」
「逃げるが勝ち」
「すずに賛成だね」
「待てごらぁ!!」

 脱兎のごとく逃げ出した三人を、怒りの形相で颯空が追っていく。その様子を幸せそうに笑いながら彩萌が見つめていた。
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