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第一章 呪われた男

16. 運命の出会い

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 御子柴颯空がその少女に出会ったのは中学二年の頃だった。

 いつものように担任の教師から雑用を任された颯空は、昼休みに悪態を吐きながらプリントを運んでいた。

「たく……人使い荒いんだよ、あの人は」
「そう思うんなら断ればいいじゃない」
「嫌だからってなんでも断ってたら社会じゃ生きられねぇんだよ。一緒にいんなら澪も手伝え」
「残念ながらあたしは嫌なことは嫌って言えるタイプなの」

 山のようなプリントを運ぶ颯空を見ながら、藤ヶ谷澪がくすくすと笑う。そんな幼馴染を颯空が恨みがましく目で見た。

「偶には人のためになるような事しろ」
「あら、あたしはいつも颯空のためにたくさんの事をしてあげてるわよ?」
「例えば?」
「乙女の秘密~」

 軽く受け流してくる澪を見た颯空がため息を吐く。そのまま何気なく窓の外へ目を向けた澪だったが、何かを見つけたようでぴたりとその足が止まった。

「あ? どうした?」

 幼馴染の不可思議な行動に、颯空も足を止め澪の視線を追う。校舎の陰になっている場所、三人の派手目な女子が眼鏡をかけたおさげ髪の女子を取り囲むようにして立っていた。その雰囲気は明らかに友好的なものではない。

「あの子達……」

 取り囲んでいる三人の女子を見て、澪が険しい顔をしている。

「知り合いか?」
「いや……知り合いじゃないけど、あたしたちと同学年で、あまりいい噂は聞かない子達なのよね」

 颯空が視線を戻すと取り囲んでいる一人の生徒がノートをびりびりに破っている。あとの二人はそれを見て笑っていた。なるほど。あれではいい噂は流れないだろう。

「……あんま気分のいいもんじゃねぇな」
「……そうだね」
「澪、これ頼むわ」
「え? ちょ、ちょっと颯空!?」

 澪にプリントを押し付けると、颯空は窓から外に飛び出した。そのまま迷いない足取りで歩いていく。それに気づいたいじめを楽しんでいた女子の一人が、主犯格の女子に知らせた。

「み、美奈! あ、あれ……!!」
「ん? げ……御子柴……!!」

 美奈と呼ばれた女子が心底嫌そうな顔で颯空を見る。だが、颯空は全く気にした素振りを見せず、ボロボロになったノートを胸に抱えて俯いている女子に目をやった。

「……下らねぇことしてんじゃねぇよ。小学生か」
「あ、あんたには関係ないでしょ!」

 呆れたように颯空が言うと、美奈が顔を赤くしながら声を荒げる。

「さっさと失せろ。面倒なことになんぞ?」
「め、面倒なことってなによ!?」
「こんだけ騒いでたらセンコーが飛んでくるてことだよ」
「っ!?」

 美奈の顔が引きつった。ただの憂さ晴らしで職員会議ものになったら目も当てられない。

「ふ、ふん! 行くわよ!!」
「ま、待ってよ、美奈ぁ!」

 強がりもそこそこに美奈は取り巻きを連れてこの場からいなくなった。その後姿を見送った颯空は地面に散らばった教科書や筆記用具を拾い始める。

「とりあえずこれで全部かな。えーっと……白雪しらゆきだったか?」

 拾ったものをすべて渡すと、おさげ髪の女の子は戸惑いながら受け取り頭を下げた。
 彼女の名前は白雪しらゆき彩萌あやめ。颯空や澪と同じクラスメートだった。教室ではほとんど一人でいる姿しか見たことがないような静かな女の子。学校にいつの間にか来ていて、気づいたらいなくなっているような生徒である。

「あ、ありがとうございます。な、名前……!!」
「え?」
「名前、知っていてくれたんですね」

 彩萌が嬉しそうに笑った。思わぬ不意打ちに颯空がぽりぽりと頬をかく。その瞬間、側面からの強烈な衝撃を受けた。

「ぶへっ!!」

 何が起こったかわからず、無様に吹き飛ばされる颯空。見事に颯空にドロップキックを決めた少女はむすっとした表情で彩萌をかばうように颯空の前に立ちはだかった。その容姿は澪や彩萌に負けず劣らずの美少女だ。だが、どちらかというと精巧な人形のような可愛らしさであった。

「彩萌に手を出すな。この屑が」

 その可憐な容姿とは裏腹に、あまりにも辛辣な言葉に颯空は絶句する。

「す、すず! ち、ちが……」
「彩萌は黙ってて。ボクが話をつけるから」

 ゴミを見るような冷たい目を向けられた颯空は完全に気圧されていた。彩萌が誤解を解こうとするも、お人形さんのような美少女、小鳥遊たかなしすずは全く聞く耳を持たない。

「金輪際、彩萌と関わるな」
「い、いや俺は……!!」
「最低の人間め」
「だから、話を……!!」
「聞く価値ない」

 必死に弁明しようとする颯空を、すずが一蹴する。どうやら話を聞いてもらう事は不可能らしい。

「今すぐ消えろ。屑が」
「すずっ!!!」

 つきつけられた言葉の暴力に白目をむいていた颯空を見かねた彩萌が大声を上げる。親友のそんな声を聞いたことのなかったすずが驚いたように彩萌に目を向けた。

「もう! 少しは私の話を聞いてください!」
「え、えっと……ボクは……」

 顔を上気させながら怒る彩萌にたじたじになるすず。彩萌のために、と思っての行動だったのだが、予想外の反応にすずは動揺を隠せない。

「えーっと……これはいったいどういう状況なの?」

 颯空に押し付けられたプリントを持ったままやってきた澪が不機嫌そうな顔で首をかしげる。

 これが御子柴颯空と小鳥遊すず、そして白雪彩萌の出会いだった。



 放課後、帰りのホームルームも終え、帰り仕度をしていると一人の男子生徒が颯空の所へ近づいてくる。

「相変わらずトラブルに首を突っ込まないといられない性質なんだね」
「何の話だ?」
「昼休みの一件だよ」

 颯空は面倒くさそうにため息を吐きつつ、もう一人の幼馴染である氷室ひむろなぎのありあまる美形を睨みつけた。

「そんな怖い顔で睨まれても俺のせいじゃないからね?」
「別にお前のせいなんて思ってねぇよ。ただ、そのにやついた顔がむかつく」
「ごめんね。生まれた時からこういう顔なんだ」

 颯空は自分の席の前に立っている親友の腹を無言で殴りつける。
 颯空と凪は小学生からの親友、どちらからというと腐れ縁に近い間柄だった。ぶっきらぼうな颯空とつかみ所のない凪とではまるっきり性格が違うのだが、それこそが二人の仲良くなれた理由なのかもしれない。

「正義の味方もいいけどほどほどに、ね?」
「そんなんじゃねぇよ。気に入らない事を気にいらないって言ってるだけだ」
「へぇ。確かに、その発言はヒーローっていうよりは悪役だね」
「悪役上等だな」
「とはいえ、この年頃は悪い男に惹かれちゃうから、颯空のファンができちゃうかもよ?」

 凪から悪戯っぽい視線を向けられた颯空は怪訝な表情を浮かべた。

「お前じゃあるまいし」
「はぁ……颯空は本当に何にもわかってないんだね」

 わざとらしく肩を落とし、呆れたように首を左右に振る。しかし、何かに気づいたように手をポンっと叩くと、凪が晴れやかな表情を浮かべた。

「あぁ、でもそれは大丈夫か! なんたって颯空の隣では誰かさんが睨みを……」
「悪いけど、あたしは颯空の番犬じゃないわ」

 後ろからドスのきいた低い声を聞いた凪の笑顔が引き攣る。ギギギッと、油の足りない機械のように振り返った凪の後ろには、悪人も裸足で逃げ出す鬼が腕を組んでいた。

「や、やぁ。今日も澪は一段と可愛いね。でも、そんな顔してたらせっかくの美貌が」
「ふんっ!」

 凪が最後まで言い切る前に、澪の右手が凪の顔面に突き刺さる。

「まったく……どうしてあたしの幼馴染はこんなバカばっかりなんだろう」
「おい、俺を一緒にするな」
「あんたがバカ筆頭よ」

 顔を抑えてうずくまる凪を無視して澪が颯空にジト目を向けた。それは、本当にいつものありふれた光景。なんとなく居心地の良さを感じながら、颯空は鞄を持って立ち上がった。

「あ、あのぉ!」

 そんな颯空に、誰かが後ろから声をかけてくる。振り返ると、そこには顔を真っ赤にした彩萌が立っていた。

「さ、先ほどはありがとうございました!」

 誰かに頭を押されたような勢いで彩萌は頭を下げる。突然の事に、颯空の脳みそが上手く機能しない。

「……いや。大したことしてないし、別に気にする必要なんてねぇよ」
「そ、そういうわけには……あの……え、えーっと……」

 何かを伝えようとするのだが上手く言葉が出てこず、彩萌が視線を泳がせたまま黙り込んだ。対応に困った颯空が二人に視線を送るも、澪は困り顔で首を振り、凪に至っては憎たらしい笑顔を浮かべるだけ。
 微妙な沈黙が四人を包む。耐えきれなくなった澪が口を開こうとした時、教室の扉が乱暴に開かれた。
 クラス中の視線を一身に受けても、まったく気にした様子のない小鳥遊すずが颯空の方へと一直線に歩いてきた。ドロップキックのトラウマがある颯空が思わず身構える。だが、すずは颯空の前まで来ると、何も言わずに颯空を見つめていた。

「な、何だよ?」

 無言で前に立たれていることに若干の恐怖を覚えつつ、颯空が尋ねる。

「………めん」
「えっ?」

 蚊の鳴くような声で言ったすずの言葉が聞き取れず、颯空が耳に手を添え顔を寄せた。

「さっきはごめん」

 今度はしっかりと聞き取ることができた。とはいえ、素直に謝られるなんて思わなかった颯空が目を丸くする。それを見たすずがばつの悪そうな表情を浮かべた。

「……誤解が解けたんならそれでいいよ」

 他クラスの美少女の登場。颯空は背中にクラス中の視線、主に男子からの嫉妬と羨望の視線を感じながら、平静を装いつつ答える。すずは僅かに首を縦に動かすと、そのまま彩萌同様黙りこくった。沈黙、今度は颯空達だけではなく、クラス全体に静寂が広がる。

「えーっと……色々話したい事はあると思うんだけどさ、ここじゃなんでしょ? あたし達はこれから帰るところだったから、二人も一緒にどう? 話なら帰り道でできると思うし」

 このままだと何も進展しないと思った澪が二人に提案すると、二人は顔を見合わせて静かに頷いた。ホッと息をついた澪が二人を促して教室を出て行く。そんな様子を父兄のような面持ちで見ていた凪が「それじゃ俺は」と爽やかすぎる笑みを颯空に向けてその場を立ち去ろうとした。

「待てや、コラ」

 当然そんなことが許されるはずもなく、その肩を全力で颯空に掴まれる。

「……俺は関係ないよね?」
「お前も道連れだ」

 ミシミシッと凪の肩を握り、凪に負けないくらいの笑顔を向け、その体を引きずるようにして颯空は教室を後にした。
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