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第一章 呪われた男

13. グリズリーベア

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 暗闇の中を無言で突き進む颯空達。五人の視線が松明をもって先頭を進む隆人の背中に注がれている。悪態どころか言葉一つ発しない隆人に戸惑いを隠せずにいた。

 ガサッ……。

 最後の地点までもう少しというところで、隆人の足がぴたりと止まる。それに合わせて颯空達も動きを止めた。異様な緊張感が六人を包み込んでいく。颯空達が無意識のうちに互いに身を寄せた。アトラスはゆっくりと腰の剣をぬき、葉の擦れる音がする方を睨みつける。
 何かがいるのは確実だ。だが、視界が悪すぎてその姿を確認することはできない。その間にも気配だけは刻一刻と迫ってきている。
 不意に音が途絶えた。再び静まり返る森。時間にして数秒の静寂のはずなのに永遠とも思えるほど長く感じる。隆人は意を決したように足を踏み出し、恐る恐る松明を前に掲げた。そこに照らしだされた姿を見て、颯空達の思考が見事に停止する。

 見た目は熊だ。だが、その規格外の大きさと赤く光る目から、こいつが熊ではない事は明白だった。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「グリズリーベアかっ!! ちくしょう!!」

 ようやく脳みそが再起動した咲が悲鳴を上げる。それと同時に焦り顔のアトラスがグリズリーベアと颯空達の間に飛び出した。

「全員退避ッ!! バラバラにならないように……!!」
「グオオオオォォォォオオオォォォン!!」

 アトラスが颯空達に向けて発した声がグリズリーベアのすさまじい咆哮にさえぎられる。そのあまりの迫力に隆人と勝は足がもつれてその場で転び、穂乃果と咲は体をぶるぶると震わせたまま、その場で棒立ちになってしまった。颯空も圧倒的な恐怖によって金縛りにあってしまった。
 そんな颯空達を見てアトラスが思わず舌打ちをする。初めて遭遇した魔物がこれだ。動けなくなるのが当然。こうなったら自分が何とかするしかない。そんな風に頭を切り替えたアトラスだったが、隙を突いてきたグリズリーベアの突進をまともに食らい、勢いよく大木に叩きつけられた。

「ぐはっ!!」

 盛大に血を吐き出しながら、木に寄りかかる形でそのまま地面にへと崩れ落ちる。

「ア、アトラスさん……!!」

 声は出ても体が一切動かない。頼りにしていた自分達の体調が力なく倒れている姿を見て、恐怖心だけが指数関数的に上昇していく。穂乃果がなんとか魔法で対処しようとするが、魔法どころか上手く魔力すらを練ることができないでいた。

「グルルル……!!」

 自分を狙う魔力の気配を敏感に感じ取ったグリズリーベアが、アトラスへとどめを刺そうとしていた腕を止め、穂乃果の方へ顔を向ける。その凶器のような視線をまともに受けた穂乃果がヒィっと小さく叫び声をあげた。そのまま猛然とこちらに近づいてくるグリズリーベアを前にして、穂乃果はぎゅっと固く目を閉じ、現実逃避することしかできない。

「ギャオォォォ!!」
「ぐっ……!!」
「え?」
 
 グリズリーベアの咆哮が間近に聞こえたのと、横から誰かに突き飛ばされるのがほぼ同時だった。地面を転がりながら慌てて穂乃果が目を開くと、颯空が肩から血を流しながら地面に蹲っている姿が飛び込んでくる。

「み、御子柴君!!」
「さっさと逃げろ!! 死ぬぞ!!」

 肩を抑えながら颯空が声の限りに叫び声をあげた。それは決して穂乃果に対してだけ言ったものではない。未だに動けないでいるクラスメートを我に戻させるためだった。
 
「……"ファイヤーボール"!!」

 なんとかポーションで体を回復させたアトラスが空に向かって魔法を打ち出す。もちろん、救援を呼ぶためだ。とはいえ、すぐに助けが来てくれるわけもなく、時間を稼がなければならない。
 あらぬ方向へ魔法を放ったアトラスを見て、グリズリーベアが目を細める。どうやら傷を負った颯空よりも、アトラスの方に気が向いたようだ。

「全員! この場を離脱せよ!! タカヒト!! みんなを先導してやってくれ!!」

 名指しで呼ばれた隆人が松明を拾いなおして一目散に走りだす。その後を、へたりこんでる咲を脇に抱えた勝が追いかけた。穂乃果はやっとの思いで立ち上がった颯空に駆け寄ろうとするが、颯空がそれを手で制する。

「俺に構わず行け」
「え……で、でも……!!」
「行け!!」
 
 穂乃果の逃走の邪魔になる、そう思った颯空が強い口調で言うと、穂乃果は一瞬悲しそうに顔を歪め、隆人達が行った方へ走り出した。

「グォォォォォォ!!」

 苛立ちの混じった雄たけび。アトラスは油断なく剣を構えたまま、ちらりと颯空に目を向けた。

「君は残ったのかい? サク君」
「この傷じゃ逃げる玄田達の足を引っ張ることになる」
「こっちにいてもそれは変わらないんじゃないかい?」
「肉壁くらいにはなれるだろ」
「なるほどね……」
 
 震える体を必死に押さえつけている颯空を見てアトラスが静かに笑みを浮かべる。どうやら自分も国も見る目がなかったらしい。剣も魔法も碌に扱えない、足手まといでしかないと思われていた呪いの男が、最も勇者としての在り方を示している。魔族との戦いに向けて、なんとしてもこの男は生きてもらわないとならない。

「未来の勇者を肉壁になんてさせられないな」
「……来るぞ」
「グオオオオオオォォォォォオオオオオォォォン!!!」

 狂ったようにこちらへ向かってくる黒い化け物を見据えながら颯空は覚悟を決めた。



 森の中を全力疾走する隆人達。後ろを振り返ることなく、一心不乱に前だけを目指していた。頭の中にはあの化け物から逃げる事しかない。

「はぁ……はぁ……なんとか逃げられたかな?」

 息も絶え絶えになった咲がその場に座り込む。勝も周囲を警戒しながらゆっくりと腰を下ろした。隆人はグリズリーベアが追ってきていないか、背後を松明で照らす。すると、その灯りの向こうから、穂乃果が走ってくるのが見えた。

「穂乃果ちゃん! 無事だったんだね! ……あれ? 御子柴君とアトラスさんは?」

 当然、穂乃果の後からすぐにやってくると思った二人の姿がない。暗い表情をしている穂乃果を見る限り、嫌な予感しかしない。

「アトラスさんと御子柴君は……私達のために足止めをしてくれてるよ」
「え……!?」
「御子柴が……!?」

 震える声で穂乃果がそう告げると、咲だけではなく勝も大きく目を見開いた。

「アトラスさんはともかく御子柴君は武器なんて持ってないんだよ!?」
「…………うん」

 穂乃果が顔をうつむける。颯空は剣はおろか盾や鎧の類も持っていなかった。原因不明のめまいと虚脱感。何を使っても呪いの影響だと思われる症状が出るため、颯空は装備をすることできないのだ。つまり、今の彼は全くの無防備。

「じゃ、じゃあ御子柴君は……?」

 最悪のシナリオが頭に浮かび、咲の顔がサーッと青ざめる。最後まで言葉にしなくとも、彼女の言わんとしていることはわかった。だからこそ、穂乃果はぐっと唇を締め、踵を返して走りだそうとした。その腕を隆人が無表情で掴む。

「玄田君!! 離して!!」
「さっきの化け物のところに戻るのか?」
「そうだよ!! じゃないと、二人が……御子柴君が!!」
「俺が行く。お前らはここを動くな」

 有無を言わさぬ口調でそう言うと、隆人は穂乃果を無理やり後ろへ押しやり、止める間もなく森の中へと消えていった。



「くそ……!!」

 肩の痛みをこらえながら颯空が必死に足を動かす。今のところ、なんとかグリズリーベアの攻撃をしのぎ切っていた。いや、しのぎ切っているというのは語弊がある。アトラスが全力で自分を守ってくれているのだ。

「こ、れは……厳しそうだね……」

 グリズリーベアの強烈な一撃を刃こぼれした剣で何とか受けながらアトラスが苦笑いを浮かべる。それはどちらかというと、余裕の表れではなく、諦めの境地に至ったものだった。
 アトラスの方は満身創痍、それに比べてグリズリーベアはかすり傷一つもない。これを絶望的な状況と言わずになんと言おうか。自分の力量を軽く上回る魔物を前にアトラスはもはや万策尽きていた。

「……ふざけんなよ」

 一方、颯空の胸中では激しい怒りが渦巻いていた。偉そうに息巻いたくせに守られるだけの自分が、自分達の命を奪おうとしているあの魔物が、訳の分からないギフトを押し付けて自分から戦う力を奪ったこの世界がただただ腹立たしい。せめて、自分をその身をとして守ってくれているアトラスだけは、こんなところで死なせるわけにはいかない。

「おい! 熊の化物!! 餌ならこっちだぞ!!」

 その怒りをぶつけるように、颯空が石を投げながら怒声を上げた。頭に当たった石などグリズリーベアにとっては蚊に刺されるよりも些細なことではあったが、颯空の声には反応を見せる。

「サク君っ!!」
「ウスノロのでくの坊が! 雑魚の分際で調子に乗ってんじゃねぇよ!!」

 アトラスを無視して颯空が必死にグリズリーベアを煽った。人間の言葉を理解するのかなんてわからない。だからこそ、精一杯馬鹿にした態度を見せる。その甲斐あってか、グリズリーベアが颯空の方に体を向けて唸り声をあげた。

「捕まえてみろよ! この鈍間のろまが!」

 それだけ吐き捨てると、颯空はグリズリーベアに背を向け、全力で走り出した。振り返る余裕などない。だが、木々をなぎ倒す音が、作戦の成功を知らせていた。
 はっきり言って勝算などない。名案も奇策ももちろんない。ただ、光明はある。アトラスが打ち上げた魔法だ。あれに気が付いた他の隊がこちらに向かってきているはず。それならば、自分はこの森の中をひたすら逃げ続けて援軍来てくれるに違いない。それこそが颯空の立てたお粗末な作戦だった。あのまま戦闘を続けても共倒れの未来しか見えなかった颯空には、それしかできなかった。

「はぁ……はぁ……!!」

 全身が軋む。異世界の勇者とはいえ体力が無尽蔵なわけではない。おまけに颯空は他のクラスメートより身体能力が低かった。恐らくそれも呪いのせいだろう。なんと癪に障る呪いギフトだろうか。
 
「っ!?」

 あとどのくらい逃げ続ければいいのだろうか、と考えていた颯空の思考が停止する。
 森の中を走っていたはずが、なぜか目の前に現れたのは断崖絶壁だった。闇雲に走っていると思っていた颯空は、気づかぬ間にこの場所に誘導されていたのだ。
 慌てて戻ろうと振り返ると、どこか得意げな表情を浮かべているグリズリーベアが、ゆっくりとこちらに近づいて来ていた。まさか魔物にしてやられるとは……自分が思っていた以上に目の前にいる魔物の知能は高かった。
 後ずさりしながら必死に考えを巡らせる。だが、この状況を打破する案は浮かばぬまま、崖の端っこまで追い詰められた。
 恐る恐る後ろを見ると、崖の下には月明かりを受けてキラキラと輝くメチル川があった。そのあまりの高さに思わず目が眩む。最悪、飛ぶしかない、と思っていたが、そんな事をすれば死因が落下死に代わるだけだ。

「やるしかないか……!!」

 退路はない。ならば、前に進むだけだ。なんとか攻撃を躱してまた森に入ることができればあるいは……。

 ドン!

 鈍い衝撃音を聞いた次の瞬間、グリズリーベアがこちらに倒れこんできた。襲い掛かってきたのではない、倒れこんできたのだ。当然、前に立っていた颯空は躱すことができずに、グリズリーベアに巻き込まれる形で崖の外側へと弾き飛ばされる。
 なにもかもがスローモーションに見えた。ゆっくりと移り変わる景色の中で、颯空は崖の上からこちらを見ている人物の姿をとらえる。

「玄、田……?」

 信じられない思いでその名前を口にする。これは事故なのか? いや、そうじゃない。事故ならば、隆人は落ちる自分を見て笑みなど浮かべないはず。
 すべてを悟った颯空は考えることをやめ、流れに逆らうことなく真っ逆さまにメチル川へと落ちていった。
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