ライカ

こま

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6章 踏み出す一歩

6_④

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 肩で息をしながら、ライカは地に降り立った。低く、でも大きく「ごめんなさい」と言って、ぎゅっと握った拳を震わせている。
 そして何を思ったか、不意に短剣を抜き放ち、長い髪を乱暴に切り落とした。それがきらきらと舞い落ちる間に飛んで、さっきまでいた木の枝に座った。義母が固執する身分だとか力だとか、そんなもののために村の人やアキレアが傷ついた。逃げ出した自分が傷つけたのだと、ライカは自分を憎んだ。
 全身から滲む怒りや憎しみ、悲しみを、自分だけの力で何とかしなくてはと、ひとりになった。今は、話しかけないほうがよさそうだ。
 誰もがそっとしておこうと考える中、追ってきて戦いを見ていたナバナは、空気を読まないことにした。ライカの背中に、淋しさが見えたからだ。
「ごめんね、私が邪魔しちゃったから……」
 ナバナが恐る恐る顔をのぞいても、ライカは真っ直ぐに空を睨んでいた。隣に座るナバナを見ようともしない。
「悪いのは私」
 ライカの言葉は自分自身を刺すものだった。目の前の空気を焦がしたまま、「謝らないで」とナバナに言う。
(ライカは、自分を睨んでるんだ)
 怖いくらいにきっぱりと、自分を責めている横顔に、大粒の涙が伝っていく。
「悪いのは私」
 天使を探す旅に出ようと、考えてはいけなかったのだろうか。ただ祈って、天使が世界を救うのを待っていなくてはいけないのだろうか。みんなが仲良くできる世界どころか、外に出た途端に沢山の人を傷つけた。自分が間違っていたのだろうか。
「謝るのは私」
「謝らないでよ!」
 ライカよりずっと大きな声で、ナバナは涙を遮った。
「追いかけられても、やることがあるから国を出たんでしょ?」
「……うん……」
 クーンシルッピは、あたたかい村だった。様々な事情を抱えて、時には誰かに追われて来る者もいる。はぐれた者達の行き場として、亜人種を受け入れてきたのだ。
 ライカもまた、少しずつ村に癒されて、旅立ちの準備を整えていった。



「……と、まあ、こんな感じかな」
 話の結びは明るく繕いながら、今回もライカは、自分に対して怒っているようだ。
「アキレアにとっては、無茶苦茶な命令をする人でも母親で、ただ褒められたいのかも。怒っても恨んでもいいけど……仕返しは、しないでくれると嬉しい」
皆は、今なら笑顔の裏が見える気がした。アキレアを庇いながら自分を責めて、うまく笑えないでいる。
「仕返し、なんか……しないわよ」
 いつからか、ヒスイは泣き出していた。アキレアの、心を映さない暗い目の奥には、底知れぬ淋しさがあった。彼女が愛情に包まれたことがないと思うと、ひどく悲しい。ヒスイは自分が泣いても仕方ないとわかっていたが、どうしようもなく涙が出る。
つられて、ユニマも顔を覆っている。隣でセルは困った顔をしていた。
 キョウネは難しい顔で思案している。
(辛いことの方がずっと多い人生だ。あたしは、正体を知ってるだけのことで、この子を支えてあげられると奢ってたんだ……バカだね)
知りながら黙っていたことを悪いとは思わないが、話を聞いて受けた衝撃は、他の皆より軽かっただろう。ひとりだけ楽をしたようで心苦しい。そんな中で、今どう振舞うべきか。やがてキョウネは、ライカの傍に行き、にかっと笑った。
「ありがとね」
ここに戻ってきたこと。話してくれたこと。そして、皆がライカを受け入れてくれたことにも、キョウネはお礼を言いたかった。頭を撫でると、ライカはあどけない笑顔を見せた。安心したのか、再び涙が浮かんでいる。とりあえず、ここは壁のいらない輪の中のようだ。
 反対に、キョウネの表情が曇る。
「あっつ! ライカ、あんた熱上がったんじゃないの?」
泣いたせいで気付かなかったが、妙に顔が真っ赤だ。慌てて横にさせると、ほどなくまぶたが重くなったらしい。うとうとするライカを見て、ヴァルが誰にともなく呟いた。
「長い一日だったな……玉石探しは明日だろ? 俺達も休もうぜ」
 アキレアが岩を砕いた洞窟に、伝承の英雄が宿る玉石がある。ライカの部屋を出るとき、皆それぞれに玉石が壊れていないか心配の声を漏らした。確認するまでもなく、共に天使を探す旅を続けてくれるようだ。
(こういう奴らがいるから、世の中捨てたものじゃない。きっと、歩み寄っていけるさ。人間も、亜人種も……)
すっかり夜になった空の下、ヴァルやナバナは希望をもって星を眺めた。寝床に戻るため、セルに支えられて歩きながら、トラメは忸怩たる想いを抱えていた。
(俺には何も見えてなかった。ライカの抱えるものも、自分の力量も。勘だけじゃ見えないものがあったんだ)
 いろいろな想いが交錯して、クーンシルッピの夜は更けていく。幾筋か流れ星が光ったことに、気付いた者も気付かない者もいた。
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