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3章 森羅万象と生きる者
挿話 波間に落ちる振り子
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「着せ替えだ」
半ばやけを起こしている。もういい、今だけ本当にやけになってしまおう。ライカが思い切って言ったことに、ユニマは「ほぇ?」と面食らって首をかしげた。
「その地味な服じゃ、かえって目立つでしょ。おしゃれしよ、おしゃれ♪」
雨上がりに沸く人々は、空ばかり見ていてライカ達を気にしない。彼女の赤い目も、ユニマがコリトであることも注目を集めなかった。頭一つ抜けたトラメの身長も。
ぐいぐいユニマの手を引いて服屋や雑貨店をめぐるライカを見て、このまま笑顔の仮面を外してくれればいいのにとトラメは思う。楽しげに店の服とユニマを重ね見て、吟味する表情には翳りが混じる。簡単には友達になれない──ふたり旅になった当初の言葉が蘇った。
(同じ女の子でも、すぐ友達とはいかねえか)
女物の並ぶ店では、トラメは居心地が悪い。取り留めのないことを考えていると、普段着をベースにしたユニマのコーディネートが出来上がっていた。瞳の色と合わせた薄紫のジャケットは、紺色のワンピースと相性がいい。
そうしていくつかの店を回って、旅の準備が整うまでの間、訝しげな顔で三人を見る者があった。常人より色素の薄いユニマに気付いたのかもしれない。せっかく晴れた空を拝めた今は、コリトの逆鱗に触れるまいと口を閉じたのだろう。しかし冷やかな目線は彼女に刺さっていて、船に乗って陸を離れれば、目線の温度は更に下がった。
「そういや、船に乗るの初めてか?」
「うん。ずっと、森の中にいたので……」
船室の中では景色が見えず、空気がこもって酔いやすい。でもユニマに元気がないのは、船酔いのせいではない。だから、ライカはちょっと風にあたると言って、ひとりで甲板に出たのだろう。
さらりとした髪は風によくなびく。ライカは甲板を船首のほうへ歩き、ちょうどいい居どころを探した。何組かが海を眺めたり、雑談をしたりと思い思いの過ごし方をしている。
(ついつい構っちゃうよねぇ……それがダメだって分かってるんだけど。ユニマ、かわいいんだもん)
よく、彼女の親が外に出そうと決断したものだ。好奇の目にさらされ、謂われない罪を着せられる亜人種の立場を知っているはずなのに。特にコリトは、明らかな異形でないぶん隠れにくい。
(気付かないひとも多いけどさ。気付いたひとの冷たさが刺さる。あんまり泣かせたくないなあ……妹がいるってこんな気持ち?)
「お嬢さん、可愛いね。ひとり?」
若い男が声をかけてきて、思考が中断する。ライカにとって幸いなことだが、「お嬢さん」というのが引っかかる。
「ヒマなら、ちょっと話さない?」
可愛いとの言葉は素直に受け取るが、下の年齢に見られがちな顔を、ライカは少し気にしている。お喋りが楽しい相手ではなさそうだ。ひとりじゃない、と言うのを寸前でやめて、冷ややかな目線を向ける。
「……お姉さん、って言ってくれたら考えたね。残念でした」
声だけで笑い、立ち去る。必然的に甲板を降りることとなり、一歩ずつ船室に近づく。
どんな顔をしてドアを開けよう。ユニマが人目にさらされるのを避け、甲板に誘わなかったことはバレているだろうか。なんと言ってドアを開けよう。ただいま、では違う気がする。
「ただいま戻りましてよ~」
上ずる声は裏声にして隠した。
「どうした急に、お嬢様みたいなこと言って」
「いやあ、お嬢さん可愛いねってナンパされちゃったから」
「なんぱ?」
軽薄な性格の者が、異性に声をかけることだ。簡単に説明しながら笑い、ライカは普段通りの態度を装っていった。心の距離を測るのは、魔物との間合いを測るより難しい。
「外……ひと、たくさんいましたか?」
森で生きてきたユニマにとって、初めての海だ。興味もあるのだろう。ただ、人間の目は怖い。
「行ってみる? さらにナンパされると思うけど」
気を削ぐようなライカの言葉は、半分本音だ。やはりどう見てもユニマは可愛い。
「じゃあ、俺がいれば問題ねーんじゃ」
「そうだね。……あ、その前に。ユニマ、ですますで話すのやめようか」
「えっ?」
驚くユニマをよそに、トラメが歯を出して笑う。
「俺もいつ言おうかと思ってた。ほら、ユニマの姉ちゃんと話す感じ」
「よし決めた♪ 名前も呼び捨てね」
トラメもライカも、この健気な少女を傷付けたくないだけだ。冷たい目線が自分たちにも刺さるのは、どうでも良い。対等な連れがいれば、少しは和らげられるだろう。ふたりのまっすぐな優しさを受け取り、少女は微笑む。
「いっしょに行こうよ。海、見てみたい」
笑みを返しながら、ライカの胸はちくりと痛む。守りたいひとはこうして増えていくのに、自分はなかなか強くなれない。
(頑張らなくちゃ……手がかりのひとつ、見つける前から弱気になるな)
新しい旅で出会った彼らを、守りたいと思った。天使を探す理由が増えた。今は、それでいい。それで精一杯。
半ばやけを起こしている。もういい、今だけ本当にやけになってしまおう。ライカが思い切って言ったことに、ユニマは「ほぇ?」と面食らって首をかしげた。
「その地味な服じゃ、かえって目立つでしょ。おしゃれしよ、おしゃれ♪」
雨上がりに沸く人々は、空ばかり見ていてライカ達を気にしない。彼女の赤い目も、ユニマがコリトであることも注目を集めなかった。頭一つ抜けたトラメの身長も。
ぐいぐいユニマの手を引いて服屋や雑貨店をめぐるライカを見て、このまま笑顔の仮面を外してくれればいいのにとトラメは思う。楽しげに店の服とユニマを重ね見て、吟味する表情には翳りが混じる。簡単には友達になれない──ふたり旅になった当初の言葉が蘇った。
(同じ女の子でも、すぐ友達とはいかねえか)
女物の並ぶ店では、トラメは居心地が悪い。取り留めのないことを考えていると、普段着をベースにしたユニマのコーディネートが出来上がっていた。瞳の色と合わせた薄紫のジャケットは、紺色のワンピースと相性がいい。
そうしていくつかの店を回って、旅の準備が整うまでの間、訝しげな顔で三人を見る者があった。常人より色素の薄いユニマに気付いたのかもしれない。せっかく晴れた空を拝めた今は、コリトの逆鱗に触れるまいと口を閉じたのだろう。しかし冷やかな目線は彼女に刺さっていて、船に乗って陸を離れれば、目線の温度は更に下がった。
「そういや、船に乗るの初めてか?」
「うん。ずっと、森の中にいたので……」
船室の中では景色が見えず、空気がこもって酔いやすい。でもユニマに元気がないのは、船酔いのせいではない。だから、ライカはちょっと風にあたると言って、ひとりで甲板に出たのだろう。
さらりとした髪は風によくなびく。ライカは甲板を船首のほうへ歩き、ちょうどいい居どころを探した。何組かが海を眺めたり、雑談をしたりと思い思いの過ごし方をしている。
(ついつい構っちゃうよねぇ……それがダメだって分かってるんだけど。ユニマ、かわいいんだもん)
よく、彼女の親が外に出そうと決断したものだ。好奇の目にさらされ、謂われない罪を着せられる亜人種の立場を知っているはずなのに。特にコリトは、明らかな異形でないぶん隠れにくい。
(気付かないひとも多いけどさ。気付いたひとの冷たさが刺さる。あんまり泣かせたくないなあ……妹がいるってこんな気持ち?)
「お嬢さん、可愛いね。ひとり?」
若い男が声をかけてきて、思考が中断する。ライカにとって幸いなことだが、「お嬢さん」というのが引っかかる。
「ヒマなら、ちょっと話さない?」
可愛いとの言葉は素直に受け取るが、下の年齢に見られがちな顔を、ライカは少し気にしている。お喋りが楽しい相手ではなさそうだ。ひとりじゃない、と言うのを寸前でやめて、冷ややかな目線を向ける。
「……お姉さん、って言ってくれたら考えたね。残念でした」
声だけで笑い、立ち去る。必然的に甲板を降りることとなり、一歩ずつ船室に近づく。
どんな顔をしてドアを開けよう。ユニマが人目にさらされるのを避け、甲板に誘わなかったことはバレているだろうか。なんと言ってドアを開けよう。ただいま、では違う気がする。
「ただいま戻りましてよ~」
上ずる声は裏声にして隠した。
「どうした急に、お嬢様みたいなこと言って」
「いやあ、お嬢さん可愛いねってナンパされちゃったから」
「なんぱ?」
軽薄な性格の者が、異性に声をかけることだ。簡単に説明しながら笑い、ライカは普段通りの態度を装っていった。心の距離を測るのは、魔物との間合いを測るより難しい。
「外……ひと、たくさんいましたか?」
森で生きてきたユニマにとって、初めての海だ。興味もあるのだろう。ただ、人間の目は怖い。
「行ってみる? さらにナンパされると思うけど」
気を削ぐようなライカの言葉は、半分本音だ。やはりどう見てもユニマは可愛い。
「じゃあ、俺がいれば問題ねーんじゃ」
「そうだね。……あ、その前に。ユニマ、ですますで話すのやめようか」
「えっ?」
驚くユニマをよそに、トラメが歯を出して笑う。
「俺もいつ言おうかと思ってた。ほら、ユニマの姉ちゃんと話す感じ」
「よし決めた♪ 名前も呼び捨てね」
トラメもライカも、この健気な少女を傷付けたくないだけだ。冷たい目線が自分たちにも刺さるのは、どうでも良い。対等な連れがいれば、少しは和らげられるだろう。ふたりのまっすぐな優しさを受け取り、少女は微笑む。
「いっしょに行こうよ。海、見てみたい」
笑みを返しながら、ライカの胸はちくりと痛む。守りたいひとはこうして増えていくのに、自分はなかなか強くなれない。
(頑張らなくちゃ……手がかりのひとつ、見つける前から弱気になるな)
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