ライカ

こま

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3章 森羅万象と生きる者

3_④

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 姉妹は眠っているだけのようだ。まだ、入れ替わった心が元に戻ったかはわからない。それに、未だコリトたちの家は静まり返っている。雲の切れ間から久しぶりの星が見えているが、このまま外にいても姉妹を休ませることはできない。とりあえず、先に通された客間に運ぶことにした。
「うぅ……」
「ユニマ?」
 ライカが抱き起こそうとすると、少女が目を覚ました。ライカの呼びかけにぼうっとした目を向け、それから自分の掌を見た。トラメが抱えている女性に気付くと、立ち上がろうとして転ぶ。
「わわ、大丈夫、眠ってるだけだよ」
 少女を受け止め、ライカが微笑む。ユニマは元の体に戻ったようだ。

 客間でユニマの姉が目覚めるのを待つ間、ユニマは本来の鈴を転がしたような声でライカとトラメに礼を言った。落ちつかなげな所を見ると、閉じ込められている両親を解放しなくては、とか、みんなに事を説明しなくては、とか、色々と考えることがあるようだ。一応、立って歩く力は残っていたが、ここに来るのもライカに支えられてのことで足元が覚束なかった。姉のことも心配で、ひとまず椅子に座って休んでいる。
「お姉ちゃんは……元のお姉ちゃんでしょうか」
 不安からこぼれた一言に、トラメが首をかしげた。そういえば、初めて会ったときからロイスに憑かれていたので、そもそも、どういう人なのか知らなかった。
「お姉ちゃん子なんだな」
 ユニマを見ていれば、姉のことが大好きなのはわかる。トラメに言われて、あどけない照れ笑いを浮かべるのが可愛らしい。
「苦しいとき、気が付いて助けてくれるのは、いつもお姉ちゃんなんです。きっと、それで……甘えていたんですね」
 今回も、どこかで姉の助けを待っていた。本当は、助けを求めていたのは姉の方だったかもしれないと、ユニマは俯いた。たとえ姉を想ってでも、放っておいたのが事実なのだ。
「……まあ、姉ちゃんが起きたら謝ってみようぜ。話はそれからだ」
 言わなければ、伝わらないこともある。トラメがユニマを励ます様子を、ライカは窓際に立って、見るともなく見ていた。
 しばらくして、ユニマの姉が目を覚ました。一族の外の者がいるので強張った表情でいるが、妹が傍に来ると肩の力が抜ける。
「ごめんね、お姉ちゃん……」
 ユニマは泣き顔で言って布団に顔を伏せてしまい、あとの言葉が出てこない。その頭を撫でてやろうとして出した手を、姉は途中で止めた。段々意識がはっきりしてきて、ロイスに憑かれていた間のことを思い出したようだ。
「どうして泣くの? どうして謝るの? 私は魔物に気を許して、一族ばかりか、チェルアの人達を困らせていたのよ。ユニマを利用して」
 淡々と言うのを聞き、ライカも似たような物言いをするときがあると、トラメは思った。気持ちを言葉にする前、何かを考えている感じ。ユニマは姉のそんな態度に壁を感じて悲しくなった。
「私ひとりじゃ、お姉ちゃんを助けることもできなかった。私と入れ替わって、力があって、幸せならいいって……何もしなかった。でも、違うでしょ? みんなを困らせてたのは、魔物なんだよね?」
「そうね、半分はそうよ」
 姉の声に自嘲が混じる。ユニマは顔を上げ、その続きに聞き入った。
「この閉ざされた一族を、町の人間を、困らせてやりたいと思っていたのは私なの。コリトが人里に住めるのなら、よかったわ。力がなくとも、普通に人として生きていける」
 天井に目を凝らし、何かを睨んでいる。時々口を引き結んで、途切れながらも話し続けるのは、今までしまいこんでいた本音が抑えきれなくなったからか。
「だけど、天使が救ったっていう世界は。私達を森の奥に閉じ込めている。災禍がなくなったのに何も変わらない。魔物が壁を作らせていても、正直どうでもよかった。どうせ、ここは元から閉ざされているんだから。魔術の力量が立場を作る、狭い世界なんだから」
 自分で気付いているのか、流れるままに涙が頬を伝っていた。
「虐げられるとわかっていて、外に出たいとは思わないけど……ここにも居場所はない。いっそ、全てを魔物に委ねて壊してしまえばよかった!」
 両手で顔を覆う姉を見て、ユニマは言葉を探した。ただの人間に生まれていれば、という思いはユニマにもある。家にある本に描かれた世界はコリトに、亜人種に冷たい。ここで、森に溶けるように生きていて、この先何があるというのだろう。同じ気持ちでいて、姉の虚無感を吹き飛ばすなんてできるのか。浮かんだ先から言葉は消えていく。
「何をしても半端。晴れやかな気持ちになったこともない。こんな人生……嫌になる」
 沈黙が訪れた。姉妹の様子を、ライカとトラメは静かに見守る。考えては飲み込み、また考えて、やがてユニマはぽつりと言った。
「どうして、壊さなかったの?」
 力を得ても、思うままに発散しなかったのはなぜか。魔物に抵抗していたように見えた。ユニマの姉はしばらく黙っていたが、じっと待っていると顔を覆った手を離した。天井を睨むのを止め、ユニマと目を合わせる。
「たったひとつ、居場所があるとしたら……ユニマのお姉ちゃんでいること、だから」
 ユニマが力を鼻にかけるような憎たらしい妹なら、魔物に身を委ねるのに躊躇しなかったという。ユニマは周りの大人に幾らちやほやされても、「お姉ちゃん」と慕って後をくっついてきた。全てを壊してしまったら、唯一の居場所も失うことになる。
「正直、鬱陶しく思うこともあった。でもユニマと一緒にいれば、私はここにいるんだって、安心できたわ。それだけが引っかかって……このまま、取り込まれてしまうのは駄目だって気が付いたの」
 それを聞き、泣いているのか笑っているのか、ユニマは複雑な顔をした。どちらからともなく手を握る。それぞれ魔物の動きを抑えていたのは、互いの存在あってのことだった。
「……お姉ちゃん、これからは、もっと色々話そうよ。もう、頼りきりにしないから。私もお姉ちゃんの助けに、なりたいから……」
 ユニマは言いながら涙を流している。自分でも情けないと思うのか、顔が赤い。それでも、溜め込まずに言ってくれたほうが嬉しいという気持ちは伝わっていた。
「うん。もっと早くに言えばよかったわ。こうして、受け止めてくれるんだものね……」
 姉妹が久しぶりに対話できた穏やかな空気の中、トラメは小声でライカに語りかけた。
「ロイスって……怖い魔物なんだな」
 人の心の暗いところに擦り寄ってきて、取り入る。気が付いたときには、自分の意思では動けなくなっている。それは、自身が魔物になったような気分ではないか。そう考えると、大事にしていた人やものさえ、どうでも良くなってしまいそうだ。ユニマ達には抵抗しうるだけの力や気持ちがあったが、誰もがそうとは限らない。
 素直に「怖い」という表現が出たことに、ライカはちょっと意外そうに片眉を上げて、すぐ溜息と共に下げた。顔は姉妹のほうに向ける。
「そうだよねえ」
 こうやって他人事みたいに言うとき、ライカは裏に深い想いを隠している。というより、隠そうとして失敗している。しばらく行動を共にしていると、段々わかってきた。
(まだまだ、内緒か。いいさ、そのうち本音も言うようになるって)
 トラメはそれ以上深く考えなかった。ロイスについて思ったことを言って、答えが返ってきて、とりあえず会話が成立するのだから、いい。ライカの肩をぽんと叩く。振り向く頬に、わざと立てた人差し指が当たった。
「よかったんだよな、これで」
 トラメの悪戯にちょっとムッとした目を向けて、ライカはすぐに姉妹へと視線を戻す。
「あのふたりが、よかったって思えれば、いいんじゃないかな」
 押し込めた言葉を出せた。全てのわだかまりは解けていないかもしれないが、これから交わす言葉も、過ごす時間も、姉妹を助けてくれるはずだ。ライカの声に、ほっとした内心がにじみ出ていた。
 ユニマは姉に向かって、両親を解放しに行こうと言い出した。自分達が引き起こしたことを、皆に説明しなくてはならない。
「一緒に、怒られようよ」
 姉妹は、手を取り合って歩き出した。
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