ふたつぶの涙

こま

文字の大きさ
上 下
27 / 32
7 ふたつぶの涙

7_②

しおりを挟む
 すっかり夜が明けたので、出発はすぐになる。行き先は近いけれど、弟妹は言いつけの通り工房に残るという。お化け屋敷と化したここに、彼らを残していくのは心配だ。ユッポはムウタにトロット、コーダを三人まとめて抱きしめた。
「ごめんね。わたしたち、出かけるけど……こわくない? だいじょうぶ?」
皆のお姉ちゃん、というよりは、小さな母親だな。トロットとコーダは、しばらくユッポにしがみついていた。せっかく再会できたのに、また離れるのは淋しいのだろう。
「だいじょうぶだよ!」
僕達を元気付けるように、胸を張って見せてくれたのはムウタだ。先にユッポから離れて、下の子の肩に手を置く。
「アンバーもビッテも、おれにトロットやコーダをまかせたんだ。きっとそうだよ」
残った中では、一番上のお兄ちゃんだ。ムウタはその自覚から、無鉄砲な性格を改めようとしている。少し怒った口調なのは、他の兄妹も守りたかったからだろう。
 いい子にしているから、今度はパパと一緒に帰ってきてねと口々に言い、皆の目は僕にも向いた。いつの間にか、僕もここへ帰ってくるひとりに数えられているのか。なんだか、こそばゆい気分だな。
 ユッポとふたりで、朝もやが残る中を歩く。森に届く朝日は少なく、まだ冷たい空気で目が冴える。焦りから、つい足を早める僕に、ユッポはときどき小走りになって付いて来た。
点々とある切り株は、それぞれ若芽が生えている。いずれまた森になるその場所に、ドアの小屋がある。
「すごい、ドアがいっぱいだ」
遠くで鳥がさえずるくらいの静けさに遠慮して、ユッポは声をひそめた。枯れ葉を踏む音の方が大きい。弟子達が去って使うことがなかったせいか、小屋は少し傷んだ風に見える。
 近付くとひとつのドアが開いて、背の高い男が現れた。
「ハノン……」
久しぶりだな、なんて、親しげな台詞は続けられない。相変わらずの嫌な笑みは、仮面を被っているみたいに見えた。きちんと櫛でなで付けた髪型が、その印象を強くしている。
「よく来たな、待っていたよ。……もっとも、お前が来るとは思ってなかったけどさ」
「馬鹿言え、わかっていただろう。あんな高さに書き置きを残して」
工房をめちゃくちゃにしたのが誰かは、ユッポに説明した。僕が名前を呼んだことで、目の前にいる男が皆を壊した人物だと気付いたはずだ。怒りに任せて突っかかることはないだろうが、僕はハノンとの間に立ちふさがるように、一歩前へ出た。不愉快なことに、虫かごを観察する目線でなぞられる。
「まさか、ずっとそれと旅を?」
あごで「それ」と指すユッポには視線を当てない。完全に物扱いか。
「立ち話をしに来たんじゃない。師は?」
「ああ、小屋の中にいる。病にさわるから、静かにな」
問いに答えがなかったことを気にせず、ハノンはにやりと笑った。目線が少し下がって、今度はユッポを観察する。小さな手は僕のコートの裾を握っていた。
不安からか、ドア一枚を開ければ師と会えるのに、ユッポはなかなか手を離さない。でも、せっかくここまで来たんだ。師とユッポをふたりにしてあげたい。僕はユッポの頭をなでた。
「ユッポ、行っておいで」
「……うんっ」
笑顔の向こうに恐れがあるまま、ユッポはドアの前へ駆けていった。ノブに手をかけて、ゆっくり瞬きをする。それから、思い切ってドアを開いて、そろりと部屋に入って行った。ドアが閉じられ、ユッポの姿が見えなくなるまで見守り、僕はハノンの方に向き直った。
「何が、目的なんだ?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

1000歳の魔女の代わりに嫁に行きます ~王子様、私の運命の人を探してください~

菱沼あゆ
ファンタジー
異世界に迷い込んだ藤堂アキ。 老婆の魔女に、お前、私の代わりに嫁に行けと言われてしまう。 だが、現れた王子が理想的すぎてうさんくさいと感じたアキは王子に頼む。 「王子、私の結婚相手を探してくださいっ。  王子のコネで!」 「俺じゃなくてかっ!」 (小説家になろうにも掲載しています。)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

処理中です...