ふたつぶの涙

こま

文字の大きさ
上 下
24 / 32
6 あの町へ

6_③

しおりを挟む
 新しい腕を微調整する間に、トロットの顔はすっかりスベスベになった。あとは、折れた部品を外して、付け替えるだけだ。頼むから、目を覚ましてくれよ……
「トロット」
見た目は元通りになったが、ユッポが呼んでも反応がない。じっと黙っている。
「わたし、ユッポだよ。もう、こわいひとはいないからね」
「……ユッポ、ねえちゃん?」
 やっと声が聞けたと思ったら、開いた目で僕を見るや、ユッポにしがみつく。
「だっ! だ、だだだ、だれ?!」
震えると、球体関節が隣り合うパーツに当たり、カタカタと音を立てる。知らない人が目の前にいたのだから、当然の反応だ。ひどく怯えた様子なのは、僕を侵入者と錯覚したせいかもしれない。
「よかったぁ……トロット。このひとはね、セコっていうの。トロットの腕を、なおしてくれたんだよ。こわくないからね」
 弟の頭に自分のあごを重ねるようにして抱きしめ、ユッポは柔らかく語りかけた。優しく頭をなでられるうち、トロットは段々に落ち着いてくる。それから、はにかむ感じで僕にお礼を言ってくれた。
おっとりした末の弟は、鈍感というわけではなく、かえって敏感な怖がりであると見えた。声はまだ震えているし、僕に対して腰が引けている。ここで何があったか聞くのは、まだ早いかな。
 ユッポもそう思ったらしく、誰からともなく他の弟妹を探し始めた。木材の乾燥室を出て、それぞれ一階を見てまわる。部屋と呼べるような、仕切られた空間は乾燥室以外にない。
 トロットが目覚めたことで、穏やかな気分でいられたのは束の間だった。二階へと続く階段の下をのぞき込んだ瞬間、落胆が声になって出た。
「ああ……」
そこには、人形だった部品が散らばっていた。弟妹の誰なのか、僕では判別できない壊され方だ。関節を成す球体は割れて、あるいは外れて落ちている。頭は、顔側と後頭部側の間を走る継ぎ目がはく離し、ぽっかりと空洞を見せている。中に詰まっているはずの、目や口を動かすカラクリも、床にばら撒かれていた。瞳のガラス玉も見当たらない。まるで、どんな作りになっているかを確認して行ったような……そこまで考えて、少しでも観察の目で──無機物を見る目で、ユッポの弟妹を見た自分を嫌悪した。
「たぶん、ティピカだよ……いっしょに、一階にいたはずだから」
立ち尽くす僕の後ろで、トロットが記憶をたどって言った。ユッポと三人で、集まるだけの部品を集めてみたけれど、結果として修理ができないことを証明しただけだった。どんな人形師も、皆を作った師でさえも、ティピカを元通りにするのは不可能だ。長い時間をかければ、似た人形を作ることはできるかもしれない。新しく作られたそれは、きっとティピカじゃない。
「……他の……みんなを、探そう」
言葉を発するのに、こんなにも苦労するなんて。直せないとは言いたくなくて、ようやく選び出した言葉だった。
悔しい。よく一緒に歌を歌った妹は、ユッポの帰りを楽しみに待っていただろう。まだ姿を見ていない皆だって、きっとそうだ。
探さなくては。無事とは思えないが、せめて、この手で直せる状態でいてほしい。
 僕は先頭に立って、注意して階段を上る。人の気配が全くない中、上から何か転がる音がする。隙間風や、僕達が歩く振動に誘われてか、少しずつ近付いてくる。あと何段かで上りきる、というところで、僕の前にボールがひとつ、転がり落ちてきた。拾い上げて、改めて二階に目を向けると、手すりの傍に、紐を握りしめた手が見えた。
手、だけだった。手首から先が床に落ちている。握った紐の端は、手すりの格子に結わえてあった。
「ビッテ」
トロットよりは大きく、ユッポよりは少し小さい手が誰のものか、ユッポにはすぐわかったようだ。お気に入りの短い癖っ毛を、指先でくるくるいじっていた妹。ユッポが路銀のために長い髪を切った時は、たいそう残念がっていたという。自分と対照的な姉の髪も、好きだったみたいだ。気の強い性格から、工房に残った弟妹のまとめ役を担っていた。
 次の踏み板に足を置き、そろそろと首を伸ばす。薄暗い二階ホールには、廊下に向かって点々と、ビッテであった残骸が落ちていた。
「いやだよ……ビッテ!」
ユッポは駆け出して、僕を追い越して二階に上った。床にいくつも転がっていたボールやガラス玉で転びながらも、形が残っていた頭部の前に座り込み、抱え上げる。大きな瞳が入っていた穴は空洞で、開いたままの口がものを言うことはなかった。
いつの間にか、トロットは僕のコートの裾を握っている。僕の中にある悔しさや悲しさが、自分の気持ちと重なったのかもしれない。
 頭の中で工房の状況を反芻して、仮説が立てられた。ビッテの手が握っている紐。これは手すりに結わえた高さからして、二階に上った者に対し、足かけの罠を張ったものだ。
「……ビッテ達は、遊びでこんな散らかし方をするかい?」
「しない! コーダが、ころんじゃうもん。ふんだらころぶの、わかってる」
僕の問いに、ユッポは激しく首を振った。そうだよな。それに、病気を人に移すからと、工房の中に押し留められていた皆だ。言いつけ通り、人を避けるのが自然だ。立ち向かった形跡があるのはおかしい。よく見渡せば、ホールから廊下まで、ガラス玉や花瓶が転がしてある。何でも全部を出したようだ。踏んでも転ばない、ぬいぐるみまで落ちていた。
 侵入者は、悪意を持ってトロットとティピカを壊した。その騒ぎを聞いて、あとの皆は慌てて隠れた。ビッテが足かけの罠を張ったのならば、アンバーも共に抵抗したのだろう。ムウタやコーダが見つかってしまい、守るために飛び出したかもしれない。
「トロット……きいてもいい? 誰が、こんなことをしたのか」
ビッテの頭を抱いたまま、ユッポはつとめて感情を抑えて尋ねた。
コートの裾を握る手に力が入り、しばしの間を置いてから、トロットは話し出した。
「……わかんない。しらないひと。パパをしってるひと」
玄関には、鍵がかけてあった。裏手に回って窓を割った侵入者は、ガラスを粉々にする腕力のある大人。師を知る大人は何人もいるが、侵入者は町の住人ではないような気がした。
「ぼくを見て、パパのさがしものじゃないって言って……」
隠れる間はなく、木材の乾燥室の前で追い詰められた。共に一階にいたティピカも、どうしていいかわからず、階段の下から動けなかったという。言葉が途切れ、覚えているのはここまでのようだ。
 ビッテの頭を、近くにあったクッションの上に置き、ユッポは階段の前まで戻ってきた。僕達も二階に上がりきる。
「話してくれてありがとう、トロット」
哀しみを微笑みで覆って、ユッポはトロットの頭をなでた。僕のコートの裾をつかむ手を離し、トロットは照れくさそうに肩をすくめる。仕草は人間のそれで、笑みが見えるようだった。
皆、それぞれの心を持ち、互いを思いやって暮らしていた。それを何者かが壊した。一体何のために? 夕焼けも終わり、夜に近づく暗い所にいたら、僕の心まで真っ暗になってしまいそうだ。
「明かりを、点けてもいいかな。皆を探そう」
 アンバーとムウタ、コーダはまだ見つかっていない。まず手持ちのランプに火を灯してから、室内の明かりに火を移して歩く。転がっているものを避けつつ、その中にビッテの瞳がないかと気になる。まあ……状況からすると、見つかるのは割れた瞳か。ティピカと同様、僕に直せるような状態ではなかった。
 ビッテが倒れた先、弟子達が暮らした大部屋は、今はユッポ達の部屋だ。そのドアと師の寝室のドアを守るような位置で、アンバーが無残な姿になっていた。最初に作られた弟だから、長男。ユッポが、師を探しに出るかどうか悩んだとき、「それは姉ちゃんにしかできないことだから」と、背中を押してくれたそうだ。皆のために師を探したい気持ちは、アンバーも一緒だったのだろう。ひび割れた瞳が辛うじて顔に収まってはいるが、面立ちをカガミと比べるなど、とても無理だった。ビッテが壊されていくのを止めようと、何度も飛びかかっては、跳ね返されたのかもしれない。ランプでうっすら照らすだけの廊下で、残骸がアンバーだとわかったのは、その一か所に小山のように積もっていたからだ。腕や足が折れ、動けなくなっていっても、兄として弟妹を守ろうとした。奥へ行かせまいと、廊下を塞いでいるようでもある。呼びかける声を失い、アンバーの前で立ち尽くすユッポとトロットから、僕は目を逸らした。
 本当に、ユッポが言っていた通りだ。怒りは痛い。立っている足の裏を、下から突き刺されるような気持ちがして、その場にいるのが辛い。僕はアンバーを踏まないよう注意して、大部屋の前に移動した。ドアノブに手をかける。ムウタ、コーダ……大丈夫だろうか。
 緊張して、ひとつ深呼吸をする間に、ユッポとトロットも大部屋の前に来た。三人とも中を見る準備が出来て、うなずき合う。思い切ってドアを開けると、ここへ来て初めて、荒らされていない空間があった。
「ムウタ……コーダ……?」
 恐る恐る、弟妹の名前を呼ぶユッポ。大部屋は僕の修行時代のまま、いくつかのベッドと棚があるだけだ。ランプの火を、ドア横の壁に付いた明かりに移す。様子をよく見ようと、手持ちのランプを部屋の中にかざした。しんとした空気に、ユッポとトロットの声が溶けていく。何度か名前を呼ぶうちに、物音がした。耳を澄ましてやっと聞こえる、髪と布の擦れ。すると、一番奥のベッドの陰から、少しずつお下げ髪が現れた。
「ユッポ、おねえちゃん?」
「うん! ただいま、コーダ!」
僕を見て、もう一度引っ込もうとする小さな妹を、ユッポは部屋に飛び込んで抱きしめる。幸い、コーダは無事だった。誰より小柄なので、ベッドの下に隠れてやり過ごせたんだ。
僕が何者か、ユッポがコーダに説明してなだめる間に、また束の間の安堵は去っていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

異世界転生者〜バケモノ級ダンジョンの攻略〜

海月 結城
ファンタジー
私こと、佐賀 花蓮が地球で、建設途中だったビルの近くを歩いてる時に上から降ってきた柱に押しつぶされて死に、この世界最強の2人、賢王マーリンと剣王アーサーにカレンとして転生してすぐに拾われた。そこから、厳しい訓練という試練が始まり、あらゆるものを吸収していったカレンが最後の試練だと言われ、世界最難関のダンジョンに挑む、異世界転生ダンジョン攻略物語である。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

1000歳の魔女の代わりに嫁に行きます ~王子様、私の運命の人を探してください~

菱沼あゆ
ファンタジー
異世界に迷い込んだ藤堂アキ。 老婆の魔女に、お前、私の代わりに嫁に行けと言われてしまう。 だが、現れた王子が理想的すぎてうさんくさいと感じたアキは王子に頼む。 「王子、私の結婚相手を探してくださいっ。  王子のコネで!」 「俺じゃなくてかっ!」 (小説家になろうにも掲載しています。)

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

処理中です...