ふたつぶの涙

こま

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 歩ける道でも、冬の旅人は少ない。何台かの荷馬車には追い越されたが、行く人も来る人もなく行程を消化していく。珍しい鳥が飛んでいれば何かと聞かれ、たくましい植物を見かければ名を聞かれる。頭の中の図鑑から、おそらく正しいものを答えた。
 そのうち煙が見えてきて、細い金属製の煙突が付いた小屋に差しかかる。
「あ、さっきの馬車が止まってる」
「国境だ。荷物の中身や、通る人の身分を確認している」
小屋の隣には簡単な門が建てられ、国の境目には点々と杭が打ってある。歩ける範囲は、見張りの目を届けて管理していた。通過には一定の料金がかかる。どんな場所なのかを人形に説明してみるが、またわからない言葉があったようだ。
「ミブンって、なあに?」
「簡単に言えば……どこの誰か、ということさ。一緒にいる大人に身分証があれば、子どもは国境を通過できる」
人形が人形に見えるのならただの荷物だが、人間に見えてしまうだろうな。すると、どんな関係かを聞かれる。うまく切り抜けるには、何と言えばいいだろう。
 考えていると、人形は肩から提げた鞄を探り始めた。すぐに、小さな革袋を取り出す。じゃらりと音がして、しっかり紐で結ばれた中身に想像がつく。今、なぜ財布を出した。
「通行料金がかかるのは、大人だけだ」
「そうなんだ。でも、わたしがパパを探すのに、セコがお金をつかうのって、なにか、へんじゃない?」
僕からすると、存在したかわからない髪と替えたお金のほうが変だ。
本音を言ったら話が面倒な方向に転がりそうで、眉間にシワが寄ってしまう。宿泊や移動で会計があるたびに、言い争っていられない。
「何が、変なんだ。手伝うとは言ったが、君が頼んだことではないよな」
「そうだけど……」
「僕はいつだって、自分の工房に帰ることができる。今は探したいから、師を追いかけることにした。僕の旅だ。それこそ、お金を出してもらう理由がない」
「そう……なの?」
「ああ、この話はおしまい」
納得させたかによらず、押し切ることに決めた。人間の顔色をうかがうのも難しいのだから、色の変化しない人形の頭の中なんて知るもんか。
 人形に財布をしまわせて、馬車の方へ歩いていく。荷物の確認には時間がかかるから、人の通行は別の係員が対応する。僕の身分証に問題はなかったけれど、連れとの関係を聞かれると困ってしまう。嘘をつくとうるさそうだもんな。
「セコはね、パパの、でしなんだよ」
なぜ、得意げな言い方をするんだ。
「そうか、住み込みの職人見習いさんなのかな」
「ええ。依頼先に後から追いつく事になっています」
ここは、進んで口を挟んでくれて助かった。難しそうな言葉を混ぜて、とっさに話をつなぐ。もう独立しているのに見習い扱いは癪だけど、早くここを離れたい。
 手のひらほどの小冊子型をした身分証に、ここを通過した証の判子を押してもらう。あとは料金を払って通過するだけだ。
「紙のお金を出したら、輪っかのお金になったね」
「お釣りだ。多いぶんは返してもらうんだよ」
次の出来事に興味を示したので、本当にさっさと先へ進む。国境がずいぶん遠くなってから、そこを師が通ったか確かめなかったのを後悔した。

 メイズに着いたのは、二度目の野宿を経た昼ごろ。道中、やはり人形は物を食べないことを知った。言動が人間じみていても、無機物なんだから当たり前か。少しでも、食べるかなと思った僕がおかしい。
 突然に、平坦な日常を飛び出したから、まだ混乱しているのかもしれない。時として、自分を平静に保つ客観的な視点を、忘れている。再びもたらされた災難が、その事実を浮き彫りにした。
町に入ると、僕たちは商店街を目指した。人ごみは嫌いだが、情報収集のためには仕方がない。
「た、助けてくれっ」
 店の呼び込みや、焼いた肉を売る屋台の煙を割って、焦ったような声が届いた。雑踏は声の主を避けて知らん顔。男は、反応が遅れた余所者の方へ進路を決めた。
継ぎ当てのある祖末な身なりに対し、男が握りしめているのは丁寧な刺繍の施された華美な鞄だ。助けるも何もない、彼は……
「どうしたの?」
 しまった。止める間もなく、人形は男に寄って行く。
「追われてるんだ、なぜだか! 助けてくれよ~」
大袈裟な困り顔をしても無駄だ。通りの向こうから保安官が走ってきているぞ。それでも足を止めたのは、逃げるのに都合がいい道具を見つけたからか。
さて。人形は、この嘘つきをどう見るだろう。
「良く言うよ。君、物取りか何かじゃないのか」
横やりを入れると、人形は僕に向き直って首をかしげた。
「モノトリ?」
「強盗か……ひったくりか。誰か、他の人の物を取ったやつのことだ」
難しい言葉を知らない人形に解説してやると、男は追い詰められて悪い顔を出した。
「へっ、分かってる割に悠長だなぁ」
 懐からナイフを取り出し、マフラーを掴んで人形を引き寄せる。抜身を突きつけられ、人形は大きな目を更に見開いた。さりげなく僕達を避けていた雑踏が、刃物の登場で一気に遠のく。凍りついた空気に、威勢のよかった商店街の客引きも黙る。
「おじさん、悪い人なの?」
人形は目だけを男に向け、悲しげな声を発した。利口なことに、抵抗する素振りはない。悪人であるとの答えを得てから、放り投げるつもりなのかな。怪力らしいし。人形の問いかけには、男の代わりに保安官が答えた。
「子どもを盾に取る気か! 泥棒の罪で済まなくなるぞ」
「はん、捕まりさえしなければいいんだよ」
ナイフをひらひらと振る態度には、すっかり慌てた様子がなくなっていた。逃げる手駒を得て、安心したのかもしれない。ここでいったん小休憩というところか。荒くなった息を整えている。
人の輪に囲まれて、僕たちの立ち位置はまるで円形の舞台だ。この男は、人形を抱えて虚勢を張る笑い者。滑稽なものだな。木でできた人形の構造としては、多少は手荒な扱いをしても、簡単には壊れない。しかし、刃物を持っていたとは。万が一、布張りに傷がついたら、ここで正体が露見する。人形が自分で動いているなんて、物取りより余程、大騒ぎだ。かえって逃げる好機ができてしまうか。観衆の中に、見世物小屋の連中がいないとも限らない。怪我の心配はないとたかをくくっていたが、思いのほか厄介なことになったな。
 場の空気が切迫する中、僕は内心で男を小馬鹿にしつつ、観衆のひとりであるはずだった。不意に、人形はきゅっと拳を握って口を開く。
「おじさん、うそつき。追いかけられる理由、わかってたんだ」
声に悲哀がにじむ。
「うそつき、うそつき、うそつき! ひとのこと、困らせたらダメだよー!」
 君がそれを言うのか。この男を避けていれば、こんな困ったことにはならなかったぞ。呆れながら、なぜか僕は動き出していた。突然わめいた人形に気圧された男を、保安官が捻りあげる。僕が人形を刃物から引き離すのと、ぴったり息が合った。静寂を挟んで、どっと歓声が沸きあがる。
「くそぉ~」
情けない声が埋もれて、騒ぎは終幕となった。
「君、人ひとり振り解くくらい、簡単だったんじゃないのか」
「ふり……? えっとね、町が安全のおじさんのほうに、投げようとしたんだよ。でもね、できなかった。前は、持ち上げようとおもったら、何でも持てたのに」
「ふうん」
どこまで本当なんだろう。人形に何か変化があったなら、きっかけがあるんだよな?
「いや、助かりました。ナイフを出されたときはどうなるかと思ったが、あなたの勇敢な行動のおかげで、怪我人も無く済みましたよ」
 疑問が浮かんだところで、考えている場合ではなくなった。引きずられていく男を見送り、その場に残った保安官のひとりが笑みを浮かべる。差し出した手は、僕に握手を求めているらしい。
「僕は、別に何も」
男が刃物を出す原因を作ったのは僕だ。どちらかというと、事態をかき回した。男を立ち止まらせ、隙を作り、捕まえるきっかけになったのは……
「……この子の、おかげですよ」
どうにか、辿り着いた一言だった。横目に人形を見る。これが、自然な言い方だよな。
「ああ、お嬢ちゃんにもお礼を言わなきゃね。ありがとう、怖くなかった?」
「うん、大丈夫だよ!」
元気な様子が周囲を和ませる。周囲の目が散っていき、やがて雑踏は元の流れを取り戻した。
 もしも性格というものがあるのなら、ユッポは「おせっかい」なんだろう。困りごとと見るや、手を貸そうと駆け寄っていく。今回は上手くやりすごせたものの、毎度厄介に巻き込まれては、時間がかかるばかりだ。師に追いつく前に、木の体が壊れてしまうかもしれない。
 前途は多難。いったい、この旅路をどう考えているのやら。去っていく保安官に手を振る横顔、ガラスの瞳には、頭の中はうかがえなかった。
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