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【本編後】蓮が咲いたら
キツネノカミソリ
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退魔の依頼で笹熊を目指す道中から、なんとなく予感はあった。基本的に冷静で割り切りが早く、やると決めたら絶対に引かない性格。弱みなど見せてくれないお姉さん……かと思えば、どこか危なっかしいのが添花という人だ。この人は退魔の仕事には向かないんじゃないか。現世に魂を残した人の未練を代わりに晴らしてやって、成仏を助けるなんて。霊の心に寄り添うぶん向こうに引っ張られるから、きちんと学んだ者は絶対に避けるやり方だ。
青い目に宿る信念は何だろう。髪の手入れはぞんざいだし、道中の宿泊が橙狐と同室でも気にしない。女性らしい気遣いや警戒心は薄く、もちろん色気なんかない。一度だけ衝立の向こうを覗いてみようとしたら、目線が刺さったので未遂に終わった。あれは恥じらいではなくて、胸糞悪くて睨んだのだと思う。
話せば真剣に聞いてくれるし、聞けばある程度は答えてくれる。そこそこ仲良くなるのは円滑にいった。それでお互い分かるのは、危うい行動の理由は過去だということ。
「前の大きな仕事でテンがやられちまって。俺も生きててびっくり位の怪我をしたから、墓守に復帰したのは割と最近だ」
なるべく明るい声を作ったのに、添花には見透かされた。痛いような顔をして橙狐の耳あたりを見る。
「じゃあ、その耳飾りのふさふさってもしかして」
「見えるんだ。そう、これはテンの尻尾。こうして一緒に退魔の仕事をしてりゃあ、いつか霊気に触発されて体を取り戻せる……はず。書物にそう書いてあっても、本当にできたって話は聞いたことがない」
しんみりすると沈黙が長引いてしまうから、橙狐は「信じればきっと叶うよって慰めて」と茶化して頼んでみるが、裏声が気持ち悪かったのか断られた。
「ま、なけりゃ前例は作るもんじゃない?」
女の身で準師範を務めたり、繋がりの希薄だった青と緑の道場を行き来したり。何かと例のないことに縁があるようだ。経験からくる言葉は力強い。
「へへっ、良いなそれ」
叶うまで諦めなければ前例を作れる。橙狐がお願いした台詞と意味は似ているが、鼓舞するような色がある。今は不在の相棒も、こういうことを言いそうだ。
間も無く蓮橋という頃には、割に女好きの橙狐も添花を女性として扱わなくなってきた。どちらかというと男友達みたいだ。淡白な物言いをしても、やっぱり奥に情を秘めている。それが隠し切れずに見える瞬間があるから、もっとテンを思い出した。本音を言えばひとりで退魔に行くのは不安だったが、添花となら出来る気がする。
橙狐が使う退魔法がどんなものかは小規模な実演で見せたし、添花の気功術も見せてもらって切り札を用意した。笹熊に同行する師範は雑な口を聞いても許される性格。添花が怪異の気を引いて、橙狐が陣を描く時間を確保する作戦は概ねうまくいっていた。初めて怪異を相手取る添花が危機に陥るまでは想像の範囲内、しかし切り札をなかなか使わないから冷や汗が背筋を撫でる。使えないほど追い込まれている?
翔雲が心配して駆け寄りそうなので、橙狐は慌てて止める。
「だめだ! あんまり騒ぐと陣に気づかれる。あんたはあれに対抗できない」
戦いが始まる時に、添花の目は私を信じろと言っていた。テンを心配して余計な手を出し、相棒も自分もずたずたになったあの時の、二の舞にするものか。
怪異の目を焼く退魔の光は、添花と橙狐がほぼ同時に放った。地面に投げ出された添花はかなり息が荒い、締め落とされる寸前だったろう。なのに青い目は強い光を宿し、私には帰るところがあると言い切る。言葉ではっきり怪異を拒絶し、気を強く持つことだけを武器に黒い手を引っ掴んで、陣へと投げた。呆れるほど豪快だ。
事が収まって緊張が緩むと泣き出したが、声がか細いのは怪我のせいなので可愛くはない。どれだけ精神が強くても、あれだけ深く怪異に触れられたら心がきしむ。わかりやすいよう簡潔にしていたが、もっと詳しく退魔のことを説明しておけばよかった。そうしたら、添花がこんなに苦しむことはなかったかもしれない。申し訳なく思って術式の意味を教えると、あっという間に涙が止まって驚いた。この調子なら、今後も協力してもらえそうだ。
蓮橋を発つ朝は、町外れまで見送りに来てくれた。
「橙狐、テン、また今度ね。町の澄詞さんにもよろしく」
「ああ。添花も怪我、大事にしてな」
代赭にあてた書簡には、必要に応じ心霊案件では協力を要請したいと書いてある。白緑龍の方が霊感を持つ者が多いから、紹介するつもりがあるとも。まことに上首尾だ。
こうして良い知らせを持ち帰ったのに、三十八代目はしばらく不機嫌で困っている。橙狐は三日目くらいに痺れを切らして、何を怒っているのか聞いてみた。
「別に怒ってなんかいません。橙狐が添花さんの話ばかりするから……」
「なんだよ、やきもちか?」
前を歩いていた澄詞がくるりと振り返る。橙狐の耳飾りに触れるぎりぎりに手を伸ばして、泣きそうな顔になる。
「テンがいない今が寂しいのは分かります。添花さんがどこか似ていたから、今回の遠征は楽しかったんでしょうね。でもそれでテンを忘れてしまったら、絶対に帰って来ない……尻尾が、少ししおれている気がするの」
「えっ」
いつも身につけて相棒の存在を感じるため。必ず行く先々に連れて行って一緒に仕事をするため。とはいえ、耳飾りにつけていたら自分の目では見ない。
もしかして、蓮橋を発つ時わざわざ添花がテンに声をかけたのも? 急に手が震える。耳飾りへと自分の手を運ぶ。澄詞の手が引っ込んで、欠けた小指の断面に尻尾が触れた。微弱な霊力は感じる。
「テン……俺、忘れてないよ。添花とお前が似てたから、一緒に戦う感じを思い出したんだ。またお前と退魔士やりたい。だから、怖くても頑張ることにしてる」
「やっぱり、怖かったのね。あなたいつまで経っても空元気でいるから、きっとテンも心配しています。時にはこうして、素直な気持ちを態度に出してください……橙狐の元気も、テンを形作る力なのですから」
澄詞は袂から手拭いを取り出し、橙狐に差し出す。まだこぼれていないが、細い目には涙が溜まっていた。耳飾りを撫でた手はそれを受け取らず、顎を上げて堪える。口は笑えたから、これから元気になれると思う。
「ありがとな。俺もけっこう孤独じゃねえわ。テン、お前に会わせたいやつが増えていく予定なんだ、そのうち添花にもお前の可愛さ見せつけてやろうぜ」
ふわり。尻尾が動いて首筋を撫でる。くすぐったくて目を瞑ったら、ちょっと涙がこぼれてしまった。テンに動く力があるのなら、橙狐の心もそれだけ癒えたということだ。もうちょっと、涙がわいてきた。
青い目に宿る信念は何だろう。髪の手入れはぞんざいだし、道中の宿泊が橙狐と同室でも気にしない。女性らしい気遣いや警戒心は薄く、もちろん色気なんかない。一度だけ衝立の向こうを覗いてみようとしたら、目線が刺さったので未遂に終わった。あれは恥じらいではなくて、胸糞悪くて睨んだのだと思う。
話せば真剣に聞いてくれるし、聞けばある程度は答えてくれる。そこそこ仲良くなるのは円滑にいった。それでお互い分かるのは、危うい行動の理由は過去だということ。
「前の大きな仕事でテンがやられちまって。俺も生きててびっくり位の怪我をしたから、墓守に復帰したのは割と最近だ」
なるべく明るい声を作ったのに、添花には見透かされた。痛いような顔をして橙狐の耳あたりを見る。
「じゃあ、その耳飾りのふさふさってもしかして」
「見えるんだ。そう、これはテンの尻尾。こうして一緒に退魔の仕事をしてりゃあ、いつか霊気に触発されて体を取り戻せる……はず。書物にそう書いてあっても、本当にできたって話は聞いたことがない」
しんみりすると沈黙が長引いてしまうから、橙狐は「信じればきっと叶うよって慰めて」と茶化して頼んでみるが、裏声が気持ち悪かったのか断られた。
「ま、なけりゃ前例は作るもんじゃない?」
女の身で準師範を務めたり、繋がりの希薄だった青と緑の道場を行き来したり。何かと例のないことに縁があるようだ。経験からくる言葉は力強い。
「へへっ、良いなそれ」
叶うまで諦めなければ前例を作れる。橙狐がお願いした台詞と意味は似ているが、鼓舞するような色がある。今は不在の相棒も、こういうことを言いそうだ。
間も無く蓮橋という頃には、割に女好きの橙狐も添花を女性として扱わなくなってきた。どちらかというと男友達みたいだ。淡白な物言いをしても、やっぱり奥に情を秘めている。それが隠し切れずに見える瞬間があるから、もっとテンを思い出した。本音を言えばひとりで退魔に行くのは不安だったが、添花となら出来る気がする。
橙狐が使う退魔法がどんなものかは小規模な実演で見せたし、添花の気功術も見せてもらって切り札を用意した。笹熊に同行する師範は雑な口を聞いても許される性格。添花が怪異の気を引いて、橙狐が陣を描く時間を確保する作戦は概ねうまくいっていた。初めて怪異を相手取る添花が危機に陥るまでは想像の範囲内、しかし切り札をなかなか使わないから冷や汗が背筋を撫でる。使えないほど追い込まれている?
翔雲が心配して駆け寄りそうなので、橙狐は慌てて止める。
「だめだ! あんまり騒ぐと陣に気づかれる。あんたはあれに対抗できない」
戦いが始まる時に、添花の目は私を信じろと言っていた。テンを心配して余計な手を出し、相棒も自分もずたずたになったあの時の、二の舞にするものか。
怪異の目を焼く退魔の光は、添花と橙狐がほぼ同時に放った。地面に投げ出された添花はかなり息が荒い、締め落とされる寸前だったろう。なのに青い目は強い光を宿し、私には帰るところがあると言い切る。言葉ではっきり怪異を拒絶し、気を強く持つことだけを武器に黒い手を引っ掴んで、陣へと投げた。呆れるほど豪快だ。
事が収まって緊張が緩むと泣き出したが、声がか細いのは怪我のせいなので可愛くはない。どれだけ精神が強くても、あれだけ深く怪異に触れられたら心がきしむ。わかりやすいよう簡潔にしていたが、もっと詳しく退魔のことを説明しておけばよかった。そうしたら、添花がこんなに苦しむことはなかったかもしれない。申し訳なく思って術式の意味を教えると、あっという間に涙が止まって驚いた。この調子なら、今後も協力してもらえそうだ。
蓮橋を発つ朝は、町外れまで見送りに来てくれた。
「橙狐、テン、また今度ね。町の澄詞さんにもよろしく」
「ああ。添花も怪我、大事にしてな」
代赭にあてた書簡には、必要に応じ心霊案件では協力を要請したいと書いてある。白緑龍の方が霊感を持つ者が多いから、紹介するつもりがあるとも。まことに上首尾だ。
こうして良い知らせを持ち帰ったのに、三十八代目はしばらく不機嫌で困っている。橙狐は三日目くらいに痺れを切らして、何を怒っているのか聞いてみた。
「別に怒ってなんかいません。橙狐が添花さんの話ばかりするから……」
「なんだよ、やきもちか?」
前を歩いていた澄詞がくるりと振り返る。橙狐の耳飾りに触れるぎりぎりに手を伸ばして、泣きそうな顔になる。
「テンがいない今が寂しいのは分かります。添花さんがどこか似ていたから、今回の遠征は楽しかったんでしょうね。でもそれでテンを忘れてしまったら、絶対に帰って来ない……尻尾が、少ししおれている気がするの」
「えっ」
いつも身につけて相棒の存在を感じるため。必ず行く先々に連れて行って一緒に仕事をするため。とはいえ、耳飾りにつけていたら自分の目では見ない。
もしかして、蓮橋を発つ時わざわざ添花がテンに声をかけたのも? 急に手が震える。耳飾りへと自分の手を運ぶ。澄詞の手が引っ込んで、欠けた小指の断面に尻尾が触れた。微弱な霊力は感じる。
「テン……俺、忘れてないよ。添花とお前が似てたから、一緒に戦う感じを思い出したんだ。またお前と退魔士やりたい。だから、怖くても頑張ることにしてる」
「やっぱり、怖かったのね。あなたいつまで経っても空元気でいるから、きっとテンも心配しています。時にはこうして、素直な気持ちを態度に出してください……橙狐の元気も、テンを形作る力なのですから」
澄詞は袂から手拭いを取り出し、橙狐に差し出す。まだこぼれていないが、細い目には涙が溜まっていた。耳飾りを撫でた手はそれを受け取らず、顎を上げて堪える。口は笑えたから、これから元気になれると思う。
「ありがとな。俺もけっこう孤独じゃねえわ。テン、お前に会わせたいやつが増えていく予定なんだ、そのうち添花にもお前の可愛さ見せつけてやろうぜ」
ふわり。尻尾が動いて首筋を撫でる。くすぐったくて目を瞑ったら、ちょっと涙がこぼれてしまった。テンに動く力があるのなら、橙狐の心もそれだけ癒えたということだ。もうちょっと、涙がわいてきた。
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