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第37話 遠吠え

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霧湧神社

 月野姫星が姉が居ると言ってきた。宝来雅史はそちらを見たが発見出来なかった。

「どこにいるの?」

 雅史は姫星に訊ねた。

「あそこに…… あれ?」

 姫星が指差す方を見たが美良はいなかった。村人たちが祭りの後片付けを見ているだけだった。更に雅史は周りをキョロキョロと見回したが、美良の姿は見えない。”見間違いじゃないのか?”と言おうとしたら先に姫星が喋り出した。

「でも、お気に入りの水色のワンピース着ていたよ」

 姫星が雅史の方を、ちょっと見た隙に美良は見失っていたのだ。姫星は背伸びしてキョロキョロと見回している。

「…… それなら知っている。 僕が買ってあげた奴だ」

 誕生祝に何が良いのかと、尋ねた時に美良がねだってきたものだ。一緒にデパートまで行って選んだのを覚えている。美良の買い物は多くの女性がそうであるように、とてもとてもとっても長い。雅史は女性の買い物に付き合うのは苦手だった。

「おねぇに買ってあげたワンピース…… 私も欲しい……」

 姉大好き少女の姫星は、小さい頃から姉の物を何でも欲しがる。美良がクスクス笑いながら、困り顔で言っていたのを雅史は思い出した。

「ええ?!…… そ、その話は後で…… ちょっと山形さんに聞いてみるよ」

 もう一度森の方を見てから、雅史は山形誠に聞いてみる事にした。

「山形さん。 ちょっとすいません」

 雅史は村の若い衆と話し込んでいる誠に声をかけた。祭りの後片付けの手順を説明しているらしかった。

「はい、なんでしょうか?」

 若い衆は祭りの後かたずけをするために立ち去った。誠は結果はともかく無事に終了して安心したようだ。

「すいません。 姫星が祭りの最中に、姉を見かけたと言っているんですが……」

 雅史は誠に訊ねた。

「んー? 美良さんが村に来てるなんて聞いてませんよ」

 誠はニコニコしながら答えた。

「こんな小さな村ですから、誰か来たら直ぐに噂が広まりますしね」

 確かに村人ネットワークの情報伝達速度は驚異的だった。それは力丸爺さんの家を訪ねた時に証明されている。雅史はそれもそうだなと頷いていた。

「それに水色のワンピースでは、夜中には判別しづらいでしょう。 薄暗いですし…… 見間違えでは無いですか?」

 それもそうかと雅史は思った。確かに夜中だし灯りは祭りの会場以外には設置されてない。その灯りも松明の炎だ。

「…………」

 だが、姫星は誠の話に妙な点がある事に気が付き、そしてその意味を理解した。


「…… どうしてなの……」


 姫星の目から涙が一滴零れ落ちた。


「どうして…… みんなで嘘を付くの?」

 しくしくと泣き出した姫星に驚いた雅史は何事かと振り返った。誠はいきなり泣き出した姫星に困りはてた顔で見ている。

「…… どうしたの? いきなり……」

 雅史は姫星が昼間に見たという、幻影が見え始めたのかと心配になってしまった。『神御神輿』の見学は、霧湧神社の本殿に入る訳では無いので、警戒していなかったのだ。
 だが、姫星は顔を上げて誠を睨みつけながら尋ねた。その毅然とした目つきは、幻想に怯えている訳ではなさそうだ。

「わたしが見た姉の服装は、行方不明になった当日の物です。 山形さんは知っているはずが無いです……」
「あっ……」

 誠は目を見開いたままで押し黙ってしまった。彼は自分が致命的なミスを犯したのに気が付いたのだ。

「どういうことだ!?」

 姫星の話の真意に気が付いた雅史は、目を見開いて誠に一歩近寄った。誠は額に珠のような汗を浮かべ始めている。
 雅史は村を訪ねた時から、殊のほか親切にしてくれていた誠に感謝はしていたが、こういう裏切りがあるとは予想していなかった。

「前にコケシ塚に行った時に、観印は現れてないと言ってましたよね?」

 姫星は力丸爺さんに身体を向きなおして言った。

「以前に現れたのは先々代の長老だと仰いた…… だから力丸さんは見た事が無い筈です」

 姫星は初めてコケシ塚に行った時に、力丸爺さんが話していた内容を覚えていたのだ。

「じゃあ、見た事も無い観印をどうして知っていたの? 姿も大きさも具体的にです……」

 力丸爺さんが押し黙っていた。

「実際に見たんでしょ? 観印が現れていたのを……」

 姫星の追及は止まらなかった。ざわざわとした喧噪が村人たちの間に広がっていく。

「そうか、だから誰も居ないと即答が出来てたんだ」

 雅史は最初に力丸爺さんに、石塚のことを聞いたときに『誰も居ない』と即答されたのを思い出した。
 それは、すでに観印が現れていて、中の人物を出した後だったからだ。
 だから、観印は『今は』現れて無いと言ったのだし、中に人は居ないと言えたのだ。

 力丸爺さんは言葉を失って俯いてしまった。その目には哀しみが浮かび始めた。孫の様に可愛い姫星に嫌われる事が余程悲しいのだろう。

 姫星は村長の日村の方に向きを変えた。

「私がお寺で気分が悪くなったのも、特殊な音をお寺のスピーカーから流していたからなんでしょ?」

 霧湧神社に設置されている、監視カメラに付属していたスピーカーを姫星は思い出していた。建物の外に出ると不快な気持は治まった。ならば、原因はスピーカーであるはずだからだ。

「そして、私の体調が悪くなるようにして、家に帰らせようとしていた…… 違いますかっ?!」

 姫星は凛として日村に対峙している。村の人は美良を連れて帰られては困る事情があるらしい。しかし、無碍にも出来ない事情があるらしい。だから、姫星の体調不良を演出しようとしたのであろう。

「…………」

 日村は姫星を見つめたまま押し黙っていた。この状況をどう打開するか方策を考えているようだ。
 その時、木と木の間を黒い影が横切って行ったような気がした。
 村の中を回っていた時に感じていた視線。姫星は確信していた。



「おねぇちゃんっ! いるんでしょっ?! ずっと私たちを付け回していたじゃないっ!!」



 姫星が暗闇に向かって叫んだ。しかし、闇夜は姫星の声を押し包み、森には静寂が広がっている。

「……」

 唇を噛み締めた姫星が、一歩踏み出そうとするのを雅史が肩を掴んで止めた。

「……お待ちください。 ……私から御説明させてください」

 日村が横から進み出て来て雅史たちに言った。
 気が付くと雅史と姫星の周りを村人たちが取り囲まれている。話に夢中になる余り気が付かなかったのだ。

 村人たちは無言・無表情で雅史と姫星を見つめている。薪が火で爆ぜる音が、パチパチと聞こえるだけで、静かな空気が流れていく。かがり火に照らし出される無表情な顔が一層威圧感を増していた。

(かなり、不味い立場にいるみたいだな……)

 雅史は姫星を自分の背後に隠す様にして、ぐるりと周りを見渡して状況の打開策を思いあぐねていた。
 誠の話しぶりからして、美良が村に居るのは間違いない。問題は自分たちに『来ていない』と言って隠した事だ。拉致して監禁している可能性がある。姫星が見つけた時には、たまたま抜け出せていた時なのかもしれない。
 状況から考えて、ここに居る村人たちも全員『グル』で、美良が村に居る事を知っているに違いない。

「それでは、村長さんの家で話の続きを聞かせて貰いましょうか?」

 取り囲まれている状況は拙い。雅史は村人の包囲網を掻い潜る方法を咄嗟に思い付いた。日村の家で時間稼ぎをして脱出する手段を考えるつもりだ。

(姫星だけでも脱出させねば…… しかし、どうやって……)

 もっと解せないのは、自分たちが来た時に、さっさと追い返せば良かったのに、そうしなかった理由だ。わざわざ村の中を案内までしてくれている。

(まだ、何か隠している……)

 雅史は村の人たちの真意が分からなかった。

 日村を先頭にして、日村の家に向かう雅史と姫星。その後ろを何人かの村人も付いて来ている。懐中電灯を持たない者は松明を掲げていた。
 雅史と姫星は、そんな村人たちに囲まれたままで、日村の自宅を目指して歩いていた。

「すいません……」

 誠は小さな声で日村に謝っていた。

「気にする事は無いよ。 いずれ、お話しないといけないことだからね……」

 日村は前を見つめたまま、そう言って誠を慰めていた。

「彼らは、彼女を連れて帰ってしまうのでしょうか?」

 誠がおずおずと日村に聞いた。

「それは、大丈夫。 彼女が村に居る事を望んだからね」

 日村はやはり前を見たままに返事していた。

(それでも、説得に苦労しそうだな……)

 学者先生の方は筋道立てて話せば分かってもらえるだろうが、妹の方は感情優先で話を寄せ付け無さそうだなと日村は考えた。だからこそ、御帰還願いたかったのだが、最後の最後でダメになってしまったのだ。

(さて、どうしたもんか……)

 どこか遠くで唸り声のような『ゥォォォーーン』という音が聞こえる。それは、日本には居ないはずの狼の遠吠えの様だった。


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