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第26話 通告

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 鹿目の自宅。

 鹿目の家系は江戸時代初期まで遡れる武家の出らしい。
 元々は勉強が苦手で志望校をことごとく落ち、仕方なく米国の大学に留学した。そこで、超大国のありようをまざまざと見せつけられた鹿目は日本もそうあるべきと考える様になった。

 親の地盤を引き継いで政治家になり、党内で様々な役職を経験した。現在は内閣官房長官になっている。
 もちろん、党内ににらみを利かせる為に、自分の派閥は盤石な体制を敷いていた。
 そんな政界の大物らしく立派な洋館に住んでいる。しかし、家族がいない鹿目はいつも一人だった。
 朝、秘書が迎えに来るまでは日中のお手伝いさん以外は人が居なくなる。

 鹿目自身は寂しいとは感じていない。むしろ人付き合いに煩わされない分助かっているとさえ思っていた。
 そんな鹿目が携帯電話で誰かと話している。

『……彼らは約束を守れと言っている』

 相手はかなり立腹しているようだ。

「守っているじゃないか」

 そんな怒りなど気に留めてないかのように鹿目は話していた。
 暖炉を模した電熱器からの照り返しが鹿目の顔を仄かに赤くしている。
 広大な屋敷にも関わらず、夜になると屋敷には鹿目一人きりだ。鹿目の声だけが部屋に響いていた。

『粗悪品では駄目だと言っているんだよ…… 実際にあれは成分分析でも違う物だと分かるぞ?』

 相手は取引商品の苦情を言っているようだった。

「いいや、中身に相違は無いよ。 連中の成分分析が間違っているんだろう」

 鹿目は飄々とした様子で答えていた。粗悪品だろうがなんだろうが内容は同じはずだ。

『北の連中は何人も代金分を払っているのに、掴まされたのは粗悪品だと怒っているんだよ』

 北の連中とは北安共和国の事だ。
 北安共和国は非常に貧しい。それは国際社会に馴染もうとしないので当然ではある。だが、他国と取引しようとする時に外貨が足りないと言う問題に直面してしまう。
 今回はかなり高額なのでドルも円も無い彼らは、自国の人間の臓器を代金支払いに充てて来たのだ。
 日本は臓器移植を希望する人は多いが、提供者は絶望的に少ないのが現状だ。そこに付け込んだ闇のビジネスが生まれるのも道理だ。

『約束を守らない見せしめとして、爆弾を爆発させたと言っているんだ』

 先の首相暗殺未遂を言っているらしい。本人は親切のつもりなのだろう。だが、鹿目は知っていたのか動じる気配が無い。

「殺し屋を使う件は諦めたのか?」

 鹿目は電話の相手にそう言った。クーカの事を言ってるのだろう。
 クーカが入国した情報はロシア情報部からもたらされていた。それを保安室に流して監視させていたのだ。

『ああ、あれは駄目だ。 俺の部下たちを皆殺しにしやがった』

 相手はクーカが自分に従わないと悟ったらしかった。かなり手痛い出費をさせたみたいだ。
 そして、公安がクーカと接触している情報は教えていなかった。

「爆弾の件は、そちらでなんとかしてくれ……」

 何かのエサを与えれば大人しく引っ込む様な相手では無い。しかし、恫喝に応じたのでは今後の取引の主導権が握れなくなってしまう。それを鹿目は嫌がっていた。

『どうにかするのはそちらだ。 これは最終通告だと思ってくれて良い…… 次は君の工場が爆破される番だ……』

 相手は完全に脅しに掛かっている。

「大関君……」

 鹿目は電話相手に語りかけた。どうやら、電話の相手は魔轟仏教の教祖とされている大関光彦(おおぜきてるひこ)だ。
 魔轟仏教は戦後に興された新興宗教だ。仏教を基本としているが、その教えは来世の救済であり、その為には現世を一度整理しなけばならないと言う。要するに末法思想の宗教団体だ。

「千葉の工場なら爆弾一つでどうにか出来る代物じゃないよ……」

 鹿目が所有する化学工場の事を言っているのだと思ったらしい。しかし、あそこは埋め立て地をブロックごと使っている大型工場だ。爆破するには爆撃機でも使わないと無理な話だ。

『沖合にある工場を連中が知らないとでも思っているのか?』

 大関が言って来た。

「……」

 鹿目は黙ってしまった。その工場は埋め立ての際に地下部分を作って、そこに作ったのだがバレていたらしい。外国とは言え専門の諜報機関を有する国である。

「この話は君が持ちかけて来たんじゃないか、美味しい所は持って行って、リスクは全てこちらでは話は通らないよ?」

 鹿目は今度は抗議を始めた。

『美味しい所? 何のことだ?』

 大関がとぼけたように言い出す。相手との仲介で損な役回りをしているのは自分だとでも言いたげだ。

「臓器を移植してやる代わりに帰依して言う事を聴けと、信者を増やしていったじゃないか」

 鹿目は大関の動向を部下に見張らせているらしい。元々はそれなりに勢力を誇っていたが、最近は家族ぐるみで信者の入信が激増しているのだそうだ。

『その見返りは十二分に答えているだろう?』

 もちろん、非公式にだが自分の支持者に移植を希望する者が居る時には便宜を図ったりもした。

「それに今回の事は君が部品では無く、生体を持って来たのが発端だと僕は考えているよ……」

 部品とは移植用臓器の事だ。そして生体とは生きている人間の事だ。

『生きの良い生体を望んだのは自分だろ? だから、そのまま密入国させてたのさ』

 宗教を隠れ蓑して密入国までやっている。

「冷凍物でも良かったんだがね」

 一般に移植用の臓器は取り出してから数時間の内に使われる物だ。そうしないと移植対象に定着しなくなってしまうからだ。

『苦労して持ち込んだ生体を逃がしたのは、お宅の部下だろ?』

 どこの組織にも良心に目覚める者がいるものだ。

「まあ生体を燃やし損ねたのは失態だったがね……」

 鹿目はようやく自分の落ち度を認めたようだ。

『一家全員を皆殺しにしておいてそれは無いだろう……』

 大関が笑いながら言っていた。

「ちゃんと事故として処理させたよ……」

 鹿目は薄笑いを浮かべていた。

『おまけに陰謀の匂いを嗅ぎ付けたライターも殺しているじゃないか……』

 金が動く処には群がるハイエナが寄って来るものだ。

「あのライターは金を掴ませて黙らせる予定だったのさ」

 鹿目が笑いながら話す、今までもこうして来たからだ。金になびかない者などいないし、そういう奴は信用できないのも知っている。

「酔っぱらって死んだのはこちらの落ち度じゃないね」

 これは本当だった。きっと生活がだらしない奴だったに違いない。

『……』

 大関は黙ってしまった。返事が無いのが了解の印と受け取ったのか、鹿目は電話を切ってしまった。

「ふむ……」

 鹿目は静かにため息をついた。このところ不手際が目立ち始めている。仕切り直しの必要性を感じ始めているのだ。

(そろそろ大関たちを排除するか……)

 使えなくなった駒は捨てる。これが鹿目の生き方だ。親しい友人など必要とはしていない。


 同じ時刻。鹿目邸付近の民家の屋根にクーカが居た。屋根の上で星を見上げるかのように寝転がっていた。

(……)

 クーカは耳にはイヤホンをしていた。それは小型の受信機とパッドタイプのパソコンに繋がっていた。
 ヨハンセン特製の盗聴セットだ。警察のデジタル無線も盗聴出来ると豪語していた。

(やはり、秘密工場があるのか……)

 彼女は鹿目の携帯電話を盗聴しているのだ。
 一般的にアナログ方式に比べて、デジタル方式の携帯電話は盗聴しにくいと言われている。デジタル化されているとはいえ、相手の携帯電話に届いた時に復号しているのだ。
 方式さえわかればどうという事の無い技術だ。むしろ相手を特定しやすい分だけ楽な技術と言えるのかもしれない。
 米国のエシュロンシステムを見れば分かる通り。あのシステムは爆弾などのキーワードで、対象の携帯電話を盗聴し続けて位置情報を蓄積していく。それを元にしてテロリストを追い詰めていっているのだ。

(まだ、揺さぶりが足りないみたいね……)

 クーカは追い詰められた鹿目が動くのを待っているのだ。彼女は鹿目の秘密工場の場所が知りたかった。
 これまでの偵察から目的の物が保管されている場所に目星は付いた。しかし、近付くには鹿目が生きている必要がありそうだとヨハンセンが言って来たのだ。

(生きている必要があるという事は、鍵を開けるのに生体認証が必要なのね……)

 場所さえわかればどうにか出来る自信はあるが、地下金庫だったらちょっとだけ厄介だなと思った。

(網膜の血液流量を図るタイプかしら……)

 似たような方式の鍵を突破しようとした作戦があった。その時には、キーになる目玉を抉り出して使った。
 ところが、似たような手口が続出した為、網膜の中を流れる血流量を図るタイプが流行っているのだそうだ。
 そうしないと財産を守る装置の為に、確実に殺されてしまうと分かったからだろう。

(もう一つの工場…… ね……)

 新しい手掛かりを得たクーカは起き上った。

「ふぅ……」

 星を見上げながらクーカは一つため息を付いた。
 盗聴が終ったのでここには用は無い。

(熱いコーヒーが飲みたいな……)

 クーカは勢いよく跳躍して隣の家の屋根に飛んで行った。

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