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第 9話 ワンショットバー

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 深夜の繁華街。

 ビルの地下に有るワンショットバーに先島は来ていた。
 昔、先島が公安時代に懇意にしていた情報屋がマスターをしている店だ。マスターはかつてCIAの情報分析官をしていた。その時代のコネもあって、今でも表裏の様々な情報が入って来るらしい。
 捜査に行き詰まるとここに来てヒントを貰う事がある。

 先島が店に入るとマスターがグラスを磨いていた。バーなどで良く見られる光景だ。
 店内には客が少なかった。平日のせいでもあるが、ビルの奥まった所に有る店に分かりづらい。

「今日も静かだね……」

 そして、先島は一人になれる所が気に入っている。

「ええ、今は外で飲む人が少なくなってますし、会社の経費で飲む機会も無いですからね」

 今時の若い人はお酒を飲む習慣が無くなりつつ有るらしい。大学や会社の仲間同士でコミュニケーションを作るのに、酒は必要が無くなっているのかもしれない。
 バーなどの飲食店でも、非喫煙者用に禁煙スペースを設けても需要が復活しないのだそうだ。時代の流れであろう。

「まあ、喧しいのは苦手だから構わないですけど……」

 そう言ってマスターは苦笑いしていた。CIAを引退してからは悠々自適の生活を楽しんでいるようだ。

「それはこっちも同じだよ」

 先島も愛想笑いを浮かべながら相槌を打った。

「で、今日は何を聞きたいんだい?」

 普段、無愛想な男が愛想笑いをする時は、頼み事がある時だと知っているマスターは先に質問をしてきた。


「御代わりを下さい……」
「ところでマスター。 クーカって名前の殺し屋を聞いた事があるか?」

 先島はバーボンの御代わりを頼むついでに聞いてみた。

「ええ? 今の時代に殺し屋?」

 マスターは鼻で笑っていた。久しく聞いていない職業だからだ。今は暴対法の取り締まりが厳しくなっている。殺し屋が逮捕されると連座して同程度の量刑を喰らうので、暴力団は使いたがらなくなっているのだ。

「ああ、チョウを知っているだろう?」

 先島はそんな事は気にせずに質問を続けた。

「あんたの目の前で弾かれたんだってね……」

 流石は情報屋である。警察で発表していない情報まで知っている。

「チョウが弾かれる寸前に、クーカに狙われていると俺に言ったんだ」

 チョウは狙われていると言ってた割に怯えていなかったのを思い出した。

「そうか、ならクーカの名前を聞いて逃げるのを諦めたんだろうね……」

 マスターはクーカの名前を知っているらしかった。つまりは有名な殺し屋だとういう事だ。

「チョウは何をやって自分の組織に睨まれたんだ?」

 先島はチョウが殺害される間際に『ドジを踏んだ』と言っていたのが気になったいた。

「あいつが臓器売買に手を染めているのは知っていたろう?」

 先進国では健康的な臓器が中々手に入らない。
 ドナー登録する人も増えてはいるが、移植希望者の需要には追い付けてはいないのだ。
 それに例え本人がドナー登録していても、遺族が提供を拒否してしまうケースが非常に多いのだ。

 そこで臓器移植を希望する人は、貧しい国々に行って臓器移植を受ける事が良くある。
 しかも、外国では日本の保険制度は利かないので、相応の高額な料金がかかってしまう。必然的に金持ちが貧乏人を搾取する構図が出来上がっているのだ。

「主にC国から入手して中南米の国に輸出してたんだが……」

 C国から死刑囚の臓器が売買されているのは結構有名な話だ。
 もちろんC国では公に臓器売買を認めてなどいない。それに本当に死刑囚なのかも不明だ。

「その取引先が米国の特殊部隊に潰されたんだよ」

 中南米の密麻薬は米国に輸出され、米国社会に深刻な影を落としている。麻薬を密輸出している国は機能していない事が多く、米国は直接に麻薬駆除に乗り出す事が良く有る聞いた事がある。

「それで取引がお釈迦になって、しかも臓器まで駄目になってしまって組織は激怒したのさ」

 日本では中南米の事件が報道される事はあまりない。先島も当然知らなかった。

「見せしめに奴の家族が労働矯正所送りになったと聞いた」

 チョウが何か諦めた感じだった理由が分かった気がした。

「あの収容されると囚人のほとんどが餓死すると言われている?」

 もちろん、噂で聞いているだけだ。だが、過酷な環境に置かれたのは間違いなさそうだ。あの国では人権は無いに等しい。

「そう。 更に悪い事は重なるもんでね……」

 マスターが更に話を続ける。

「C国から輸出する時に臓器が足りないって言うんで、その辺をうろついてる浮浪児をかっさらって輸出したんだ」

 C国では母親が押す乳母車から赤ん坊が攫われる事が有る。それくらいに児童の誘拐事件も多く、C国の警察も対応が追い付かないと新聞に書いて有ったのを思い出した。

「つまり……」

 輸出と言っても人間を生身のままで連れまわすのは効率が悪い。彼等は解剖されてバラバラにされたのは明白だった。

「そういう事だ」

 マスターはきっぱりと言った。
 先島は見た事も逢った事も無い浮浪児たちの運命を思うと悪酔いしそうだった。

「ところが、その中にC国の黒社会幹部の孫娘が交じっていたんだ」

 マスターがため息を付いた。

「それでチョウは始末される事になったんだな……」

 どうやって孫娘が『輸出』されたと知ったのかは分からない。だが、北安共和国はC国に頭が上がらないのは有名だ。チョウの家族が労働矯正所送りになった原因はこれであろうと先島は思った。

「ああ、ところがお前さんも知っての通りチョウの逃げ足はピカイチだ」

 もちろん逃げ足の速さは知っている。どうやってかは分からないが、東京で目撃された翌日には上海にいたりもする。人物を安全に移動させる秘密のルートがどこかに在るらしい。

「それで殺しの依頼がクーカにいったのか……」

 ようやくチョウとクーカの関係が見え始めた。


 何故、マスターがチョウの事に詳しいのかは謎だ。恐らくは米国の諜報機関もクーカの事を探っているに違いないからだ。その関係で情報が流れて来ていると推測していた。
 だが、敢えて追及しなかった。マスターを追い込むのは得策ではないと思っているのだ。
 相手は辞めたとは米国の諜報機関。自分は日本のなんちゃって諜報機関。目標とする所が大分違っているからだ。

 今の憑かず離れずの関係がお互いにとって良いのだ。

「クーカはヨーロッパの方ではしゃいでるってのは聞いた事があるね」

 マスターがはしゃいでいるという時には活躍していると言っている時だ。しかも、相手が気に入ってる時に使う。

「ヨーロッパ?」

 C国関連の人間だと思っていた先島は面食らってしまった。

「ああ、優秀な猟犬で確実に目標を仕留める狩人として評判になってるよ」

 マスターが人を褒めるのは珍しいなと思った。

「ウクライナの富豪を暗殺したと聞いてるよ。 ついでに警護していたスペツナズ上がりをナイフ一本で全滅させたそうだ」

 スペツナズとはロシアの特殊部隊の総称だ。一般的にテロ事件発生などの時に、犯人制圧用に投入されると言われている。

「ただ……」

 マスターが少し顔を曇らせる。

「ただ?」

 先島は怪訝な顔になった。

「聞いているのは噂だけ…… 彼女は証拠を残さないからね」

 マスターの話を聞いて先島は驚愕してしまった。

「えっ…… 彼女?」

 もっとも、驚く単語が出て来たのだ。
 先島は殺し屋と言われてから、クーカの事を筋肉が盛り上がってるマッチョな男だとばかり思い込んでいたのだ。

(先入観は良くないと、後輩には偉そうに説教しているのにな……)

 グラスに口を付けながら苦笑してしまった。

(ヨーロッパの情報機関への問い合わせは藤井に頼むか……)

 取り敢えずは聞いた話を元にして情報を探って貰おう事にしたようだ。詳細な情報はマスターからは貰わないようにしている。彼を事件に巻き込むのは避けるためだ。

「死神に愛されているのさ。 だから、彼女は銃弾程度では倒せない、銃弾の方が彼女を避けて行くんだ」

 銃弾が避けて行くと言うのが想像できないが、捕まえにくそうな相手であることは確かなようだ。

「そして死体の山を築くと……」

 先島はため息を付いた。仕事が終わった彼女は日本から脱出している可能性もあるなと考えたからだ。

「ああ、死神が愛した娘と呼ばれているよ」

 マスターは先島のグラスにバーボンを継ぎ足した。

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