上 下
6 / 41

第 6話 自動車解体工場

しおりを挟む
 埼玉県内にある自動車解体工場。

「来ますかね……」

 その日、何度目かの質問を青木がしてきた。

「その内、来るだろう……」

 先島は何度目かの返答を返していた。元々、張り込みなどと言うのは空振りの方が多い。その事を年若い青木は知らない様だった。

 先島と青木の二人は、埼玉県内にある自動車解体工場の入り口を見張っていた。
 保安室の室長はマルボウに気兼ねしたのか、チョウと関東右山組幹部との接触情報を知らせたらしかった。

「ちょっと、アチラさんの手伝いをしてきてくれ……」

 室長に呼ばれた二人はそう言い渡された。
 見返りに彼らの関東右山組にいる内通者からの情報を知らせて来た。
 埼玉県内にある自動車解体工場で何らかの取引が有るそうだ。取引の内容については不明。
 『絶対に手を出すなっ!』との赤文字の但し書き付きでだ。身柄を持っていかれるのが嫌だとみえる。
 自動車解体工場は外国籍の社長が営んでいるが、犯罪歴などは無く暴力団とのつながりは分からない。

「分からない事だらけじゃねぇか……」

 先島は嘆いていた。本当は過去の取引相手への聞き込みをやりたかったのだ。
 しかし、今日は工場の監視したいので協力しろとのお達しだった。

「まあ、お仕事は有難く頂戴しておくか……」

 先島は誰に聞かれている訳でも無いのに独り言をつぶやいた。

「はあ、そう言うもんですか……」

 青木は気の無い返事をしながらスマートフォンの操作を行っている。

「藤井さんの方からは何も無いと言って来てますね……」

 保安室で留守を預かる藤井から、チョウの行動予測情報を得ようとしているらしい。現在は携帯電話の電源を切っているらしい。だが、万が一電源が入って基地局などに繋がってくれれば大体の位置が予測できるからだ。

「何のつもりか知らないがチョウは身を隠そうとしていないようなんだ」

 先島は自動車解体工場に通じる道の入り口を見ながら青木に言った。


 青木がスマートフォンから顔を上げると、白い塗装のトラックが曲がって来る所だった。

「あのトラック…… 怪しいな……」

 先島が呟いた。何か特徴があるトラックでは無かった。長年のカンでそう思ったのだけだ。
 先島の言葉に青木は反射的に望遠レンズ付きのカメラを構えていた。トラックの運転席には南米系と思われる彫りの深い外国人と、アジア系の薄い顔の男が見えていた。

「正解だな。 助手席にチョウが乗ってやがる……」

 先島は双眼鏡で見ていた。青木は構えたカメラで写真を撮っている。

「何だか楽しそうですね?」

 青木が覗くファインダーからは、チョウが運転手と何やら楽し気に話をしているのが見えた。

「ああ、呑気に笑ってやがる……」

 先島はどうにかしてチョウの指紋を手に入れる算段を考え始めた。チョウが偽造パスポートで入国しているのは間違い無い。し
かし、人間の持っている指紋までは偽造できないはずだ。

(そうすれば取り敢えずは検挙が出来るはずだ……)

 先島は双眼鏡の中で大口を開けて笑っているチョウを睨みつけた。

(今度はお前を逃がさない……)

 そんな事を先島が考えているとは知らないかのように、トラックは自動車解体工場に近付いて来た。
 そして、運転手が自動車解体工場の方を指差した時だった。
 いきなり運転手の頭がガクンと揺れたかと思うと、運転席の後ろ側が赤く染まってしまった。

「え? ペンキ??」

 青木がそんな事を言いだした。彼は荒事の発生する現場は初めてのようだ。

「違う。 あれは狙撃だっ!」

 先島の双眼鏡には、トラックのフロントガラスに小さいヒビが走っているのが見えている。

 石がぶつかった程度では開かない穴も開いている。考えられるのは銃で撃たれた可能性だけだ。

「運転手は死んだのか??」

 トラックはそれなりの速度を出していた様だ。運転手は項垂れたままでピクリとも動かない。トラックはたちまちの内にコントロールを失い迷走を始めてしまった。

「あれは…… 無理ですね……」

 隣に座って居るチョウが、慌てたようにハンドルを操作しようとしているのが見えていた。
 しかし、ハンドルに突っ伏した運転手が邪魔で操作できない。コントロールを失ったトラックは、そのままガソリンスタンドに突っ込んでしまった。

「あっ!」

 ガソリンスタンドには降り悪く給油中の車が居る。トラックはその車を弾き飛ばすように衝突してから停止した。しかし、どこかを損傷したのかトラックから灰色の煙が立ち上がり始めた。

 不幸は重なるものだ。給油中の車から外れた給油ホースが油圧に負けて暴れまわっている。
 通常なら給油ホースが外れた所で、配給が停止するようになっているはずなのに仕組みが動いていない。
 辺りにはガソリンと思われる液体が振り撒かれていた。

「不味いな……」

 先島がそう思った刹那に、トラックの下から煙の間から赤い炎がチロチロという感じで見え始めた。バッテリーがショートしたのかもしれない。
 嫌な予感は当たりたちまちの内に火が吹き上がり始めた。トラックは黒い煙と紅蓮の炎に包まれていく。

「消防に連絡だ。 油火災だから水をかけるのは不味い……」

 先島が言った。

「はい……」

 青木はカメラを膝に置いて電話を掛け始めた。しかし、電話をかける間も炎は広がりガソリンスタンドの屋根にまで届き始めた。
 ガソリンスタンドの職員が消火器を抱えて出て来た。だが、炎を見て逃げ出してしまった。火の勢いに自力での消化を諦めたのであろう。弾かれた車の客に逃げるように手招きしている。
 いきなりの事で唖然としていた客も、慌てて一緒に敷地外に逃げて行った。

 やがて、ひとしきり大きな音がしたかと思うと巨大なキノコ雲が上がり始めた。衝撃波で車が揺さぶられている。
 トラックの荷物が爆発したのであろう。

「トラックの中身は何だったんだよ」

 百メートル近く離れているのにも関わらずに熱さが伝わって来る。青木は舌打ちをしながらも写真を続けて撮っていた。

「ちくしょう……」

 先島が渋面を作りながらも事故現場を睨みつけていた。

「チョウは死にましたかね?」

 青木が尋ねてきた。青木の顔色はすぐれなかった。人の死をまざまざと見るのは初めてなのであろう。

「いいや……」

 先島は首を振りながら答えた。

「アイツはトコトン悪運の強い奴だからな……」

 もちろん、先島はチョウが死んだとは思っていない。
 チョウの事だから、何処かに身を隠してほとぼりが冷めた頃に密かに出国するに違いない。
 先島は捜査が降り出しに戻ってしまったと感じていた。

(さてさて…… 所轄やマルボウへの言い訳を考えないと不味いな……)

 自分たちが監視していたのを知っている連中から、つるし上げを喰らいそうだなと思っていた。監視してるからと言って狙撃が防げるわけは無いのだが、理不尽な理由で他人のせいにしたがるのはどこにでもいるものだ。

「取り敢えずは会社に戻るか……」

 先島は何度目かのため息をついていた。

「はい…… その前に吐いて来ていいですか?」

 青木が返事を聞かずに車を降りていった。

「しょうがないな……」

 先島は助手席から運転席に乗り移った。
 そして車のエンジンをスタートさせて青木の乗車を待つ事にした。青木は排水口に向かって盛んにエヅイている。
 死体などとは無縁な日常だったのだろう。無理は無い。

「さあ、急がないと…… 所轄に捕まると山のような書類と格闘する羽目になるぞ……」

 そう言って、先島は会社へと帰路に就いたのであった。

しおりを挟む

処理中です...