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第78話 疫病神

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見知った天井。

(うぅぅぅ…… ここはどこだ?)

 ディミトリは眩しそうに目を開けた。眩しいのは自分の頭上にある蛍光灯のせいのようだ。
 だが、視界が定まらないのかグルグルと部屋が回っているような感覚に襲われている。いつもの既視感である。

(くそ…… またかよ……)

 どうやら、お馴染みの大川病院であるようだ。
 ディミトリはジャンたちが使っている産業廃棄物処理場にヘリコプターを着陸させた。ここなら無人であると思っていたのだが、考えていた通りに誰も居なかった。ヘリコプターのような爆音を立てる物が着陸したのに誰も出てこなかったからだ。
 だが、着陸は左手が使えないのでかなり苦労したのを覚えている。微妙な操作でヘリコプターの速度を制御しないといけないので、両手を使う必要があったのだ。それを右手だけで行ったのでヘリコプターが激しく揺れてしまったのだ。

 着陸してエンジンを停止する操作までは覚えているのが、そこで記憶は途切れてしまっている。
 だが、今は病院に居ると言うことはアオイがどうにかしてくれたのだろう。

(それにしてもアチコチ痛いな……)

 ディミトリは上半身を起こしてみた。左肩がギブス状の物で固定されている。触ると柔らかめの物で、骨折の時に使われる石膏のギブスでは無い様だ。
 部屋の中を見回してみたが誰も居なかった。いつもの大部屋と違って個室だった。

(やはり肩の骨に異常があったのか……)

 ヒビが入ってるのかも知れない思ってギブスを撫でていると看護師が入ってきた。

「ここは大川病院ですか?」
「ええ、そうですよ。 今、担当の先生を呼んできますからちょっと待っててくださいね……」

 看護師が出ていくのと入れ替えで祖母が入ってきた。ディミトリが起き上がって居たのにビックリしたようだ。
 それでも心配だったのか、優しく声を掛けてきた。

「タダヤス…… 大丈夫かい?」
「大丈夫」
「本当に男の子はヤンチャで困るわねぇ」
「心配かけてゴメンナサイ……」

 ディミトリは祖母には素直になるのだ。大好きな祖母に頭を撫でられて泣きそうになってしまった。
 果たして祖母にどう説明したものかと考えていたら、病室のドアがノックされてどやどやと男たちが入ってきた。

 一人は白衣を着ていたので医師だと分かったが、残りの男二人はスーツを着ていた。しかも眼付が鋭い。

(こういう眼付の悪いのは刑事と相場は決まってるな……)

 医者は頭痛はするかとか、吐き気は無いかとか質問していた。

「こちらは所轄署の刑事さんたちだ」

 そう刑事たちを紹介した。車の事故が通報されて、刎ねられた若者が連れ去られたと手配されていたのだ。
 捜査していると似たような背格好の男が病院に入院しているので調べに来たらしい。

「病状が安定してませんので、質問は手短にお願いしますね?」
「はい……」

 刑事たちが医者に頭を下げると、それが合図だったかのように看護師を従えて出ていった。

「やあ、事故の事を詳しく聞かせて欲しいんだよ……」

 ディミトリの方に向き直った刑事たちが尋ねて来た。

「道路を渡ろうとしたら車に刎ねられたんです」
「横断歩道じゃない所だよね?」
「ええ…… 信号機の所まで行くと時間が掛かりそうだったので……」

 ここで刑事たちは何事か耳打ちをしていた。そして、今の話をメモ書きするする振りをしながら質問を重ねて来た。

「誰かに追いかけられていたと証言する人が居るんだけどね?」
「いえ、そんな事無いですよ」

 やはり何人かに目撃されて居たようだ。まあ、パチンコ店に車で突っ込んだのだからしょうが無いことだろう。

「当日、パチンコ店に車が激突してたんだが、運転していたのは君にソックリだと言われているんだけどね?」
「車の免許は持ってないですよ?」
「目撃者の証言する年格好が同じに見えるだけどね?」
「さあ、そう言われてもね…… 見ての通り何処にでも居る小僧ですよ?」

 パチンコ店には至る所に防犯カメラが有るはずだ。それにディミトリが映っている筈なのだが刑事たちの歯切れが悪い。
 ひょっとしたら、正面や横から取った映像が無いのかも知れないとディミトリは考えた。

「渡る時に道路の安全は確認したのかね?」
「はい、しました」
「逆走する車が居るとは夢にも思わなかったです」
「事故を起こした車の運転手は、君がワザと飛び出して来たと言ってるんだけど?」
(あの爺……)

 どうやら逆走して歩行者を刎ねているのに、自分は悪くないと言い張っているようだ。
 ここで、ディミトリは有ることを思いついた。

「君を連れ去った男たちのことは覚えているかね?」
「頭と肩をぶつけたので良く覚えていないですよ……」

 刑事たちもディミトリの病歴は調べているだろう。記憶喪失の病歴も知っているに違いない。ならば、それを利用させてもらう。

「そういえば僕を連れ去った男たちは、逆走してきた爺さんを社長と呼んでいましたね……」

 もちろん嘘だ。後で何かを言われたら記憶が混乱していたとでも言えば良いと思ったのだ。
 そして、これで時間稼ぎが出来るはずだ。

「あの人が何かを知っているんじゃないですか?」
(逆走しておきながら逆ギレするような迷惑野郎だ構うものか)

 これで捜査の目を撹乱できるだろう。その時間稼ぎの間にパスポートを入手して、外国に逃げ出そうと考えていた。

「そうですか…… お疲れなのに時間を取らせてしまって申し訳ない」
「また、来ますね」

 刑事たちはそう凄んで帰っていった。ディミトリの話を半分は信じて、残り半分は嘘だと見抜いているのだろう。
 彼らは心理戦のプロだ。その場しのぎの嘘は通じない。

(次の尋問はもっとキツくなるだろうな……)

 ディミトリはそんな事をぼんやりと考えていた。
 十代の頃に自動車の窃盗で捕まった事がある。その時に、相手の刑事に嘘を並べ立てたがどれも通用しなかった。
 最初から全部バレていて全て反論されて自白させられたのだ。
 自分では整合性を合わせているつもりでも警察には通用しない。何しろ悪知恵の回る嘘つき相手の商売だ。小悪党の浅知恵など通用しないのだ。

 刑事たちを病室の入り口まで見送った祖母は、戻ってくるなりディミトリに尋ねてきた。

「タダヤス…… お前は何をしてるんだい?」

 祖母はディミトリが無断外泊していた事は言わなかったようだ。ふらりと居なくなったかと思えば、車に刎ねられて病院に入院している。何を考えているのか心配でしょうがないのだろう。

 自分はどうやって病院に来たのかと尋ねたら、緊急病室のベッドの上にいつの間にか居たのだそうだ。
 幸いタダヤスの顔を知っている看護師が、若森忠恭の事を思い出してくれたらしい。彼は長いこと入院していたのだ。
 傷だらけでベッドの上に放り出されていたので騒動になったのも頷ける。それで警察が呼ばれたらしかった。

 もちろん、祖母はディミトリの本性は知らない。タダヤスの脳に人工的にディミトリィの魂が埋め込まれているなどと知らせるつもりは無いのだ。それは彼女の為にならないだろう。

「ん……」

 不意に頭痛がディミトリを襲った。彼の顔がたちまち曇っていった。

「痛むのかい?」
「ああ、少し横になるよ……」

 そう言ってベッドに横になった。この偏頭痛は副作用的なものであるらしい。
 無理やり書き込んでいるので、脳の処理が追いつかず肥大化する原因になっていると予測している。脳の活動が活発になりすぎているのだろう。やがて脳が肥大化しすぎて機能停止するとも博士が言っていたような記憶がある。

(それって、結構ヤバイ状態じゃないのか?)

 ディミトリは頭痛の理由が分かり少し焦りを覚えた。今のところはディミトリの人格が現れているに過ぎない。外見的にはタダヤスである。
 ディミトリを追いかけ回す連中も事情は知っているのだろう。だから、焦っているのかも知れないとディミトリは思った。

 目的はディミトリが持っている資産だ。
 それは、中南米の某銀行に預けられている。百億ドル(約一兆円)にもなる金だ。
 だから、魂が消えてしまう前にお宝の在り処を聞き出す必要があるのだ。

(連中が躍起になって俺を追いかけ回す訳だわな……)

 困り事が益々増えていく事態に、ディミトリはどうしたものかと途方にくれてしまっていた。
 日々の生活や身体にも馴れて来たとは言え、ディミトリの居場所でないことは確かだ。

 夕焼けの中。一人見知らぬ国の見知らぬ病室から空を眺めている。
 烏だろうか。一羽の鳥がどこかを目指して飛んでいった。

(自分で空を飛べたら良いのに……)

 どうせ生まれ変わるのなら鳥が良かったと、ディミトリは子供の頃からそう願っていた。

「あの日交通事故に遭わなければ……」

 きっと、ワカモリタダヤスは普通に進学して普通に就職しただろう。
 そして、何となく就職して普通に家庭作って、平凡なまま朽ち果てていく人生だったに違いない。
 だが、ディミトリの記憶を上書きされて違う人生を歩む羽目になってしまった。

「すまねぇな。 俺は生まれ変わっても疫病神のままだ……」

 そんな言葉を口にしてフッと笑ってしまった。
 『疫病神』とは最後に父親に罵られた言葉だ。それ以来逢っていない。
 殴られたので殴り返しただけなのだが、彼は気に入らなかったようなのだ。

「……」

 明日が見えない中。ディミトリはいつまでも空を眺めていた。


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