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第60話 同じくらいの嘘付き
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モロモフ号。
室内に居たのは船員だった。ベッドの上で両手を上げて固まっている。
窓が割れたかと思うと男が入ってきたのでビックリしたらしい。普通では考えられないからだ。
『お前は誰だ?』
銃を突きつけながら、ディミトリは英語で男に尋ねる。男はロナルドと名乗った。
『俺はただの船員だ。 この船でどんな物を運んでいるかまでは知らない……』
彼はフィリピン人なのだそうだ。船を運行させるのが専門だと言っている。
現在の貨客船ではフィリピン人の船員が欠かせない。大きい船ではそれなりの人員が必要だが、全てを自国の船員で揃えると結構な人件費がかかってしまう。そこでフィリピン人の船員を雇って人件費を抑えようというのだ。
『この船に秘密の区画とかあるか?』
『あんたが船に詳しいか知らないが、船はその気になれば何処にでも隠せる』
『そうか……』
質問を変える事にした。この男が連中の仲間かどうかを確認する手間が惜しいからだ。
『故障したボイラーとか載せていないか?』
故障したボイラーを二重構造にして、薬の密輸をしていた組織を強襲した事を思い出したのだ。
あの時には中に人間も入っていてビックリしたものだ。
『それならひとつ下の甲板にあるが……』
『赤毛のロシア人が出入りしていたか?』
『そこまでは分からない…… 彼らに近づかないようにしていたからな』
『それは賢い判断だ。 ありがとう……』
部屋を出ていこうとして、ディミトリは振り返った。
『静かになるまで外に出ない方が良いぞ』
『ああ、慣れているさ』
ロナルドはそう言って片目を瞑った。
部屋を出て扉を閉めると、上のデッキで走り回る音が聞こえていた。ディミトリを探しているのであろう。
船員の話を聞いたディミトリは金の探索は諦めた。探す所が多すぎる。アオイがゴムボートで逃げる時間を稼いだら、さっさと逃げ出そうと決めたようだ。
ディミトリは廊下を走って階段に近づこうとした。すると階段を降りてくる音が聞こえて来た。
(ちっ、機関室に隠れるか……)
階段を昇るのを諦めて下に降りていった。そして、廊下伝いに開いているドアを探し回った。隠れるためだ。
すると、突き当りのドアが開いていたので、滑り込むように中に入っていった。
その部屋には灯りが一つだけ点いていた。そして灯りの中央に椅子があり、元は男だったと思われる死体があった。
男の遺体は手足を椅子に縛られたまま放置されている。
裸体を見ると所々が削がれており、手足の指先には釘の様な物が差し込まれた跡が見える。激しい苦痛と恐怖と絶望を経験した後に死んだのは間違いないだろう。
その表情には死ぬことで開放される喜びを表していたのだ。
(相変わらず拷問を楽しんでやがるな……)
ディミトリは誰の仕業か直ぐに理解できた。チャイカだ。彼はGRU仕込みの拷問を行う事を得意としていた。
相手は誰だろうかと一瞬思ったが、人種が黄色い奴ぐらいしか分からなかった。梵字の入れ墨が有ったからだ。
(まあ、得意というより興奮するんだろうな……)
中々いけ好かない性癖だが、戦場で人の死に接していると何かが外れてしまう事も知っている。
きっと自分もその一人なのだと、分かっているディミトリには彼の事を責める気にはなれない。
それに、普段の彼は愉快で明るい奴なのだ。
(……まてよ……)
そして、ディミトリはある事に気が付いた。
チャイカは元が付くとは言えGRUの出身者だ。兵隊の中でもエリート中のエリートだ。
貧民出身で他に商売を知らなくて、傭兵になるしかなかったディミトリとは違う。
(奴が俺の行動を予測していない訳が無い……)
最初に思った違和感。見張りが一人だけだったのはディミトリを侵入しやすくする為。
今だって、殺ろうと思えば両側から挟み込めたのだ。そして、自分が拳銃しか持っていないのも知っているはずだ。
ディミトリが居た階層に敵が居なかったのは、彼をここまで誘導する為だったに違い無い。
(くそっ…… ここまで罠に嵌りに来ただけだったのか!)
ディミトリは奥歯をギリリと噛み締めた。自分の間抜けさ加減に頭に来たのであろう。
『よお! お前なら必ず来ると思っていたよ』
不意に背後から馴染みの声が聞こえてきた。
ディミトリが振り返って銃を向けると、入り口のシルエットの中に彼は居た。
『何だ? 俺を見ると左目が疼くのか?』
「……」
ディミトリの戦友であり本体が死ぬ原因になった男だ。
ユーリイ・チャイコーフスキイ。愛称がチャイカ。左手の指が全て拷問で切り取られている。
前の身体の時には、彼を助けるために左目を失うというハンデも負ってしまった。
『まあ、あの時にお前が助けてくれなかったら、俺は死んでいたろうがな……』
「……」
ディミトリは怒りに満ちた目で彼を睨みつけていた。だが、銃は構えたままだ。
撃てないのはチャイカの後ろの男たちが、カラシニコフを構えているのが見えるからだ。
『昔話はこの辺で良いだろう……』
「……」
ディミトリが何も言わずにいると、チャイカは少しだけ肩を竦めた。
『お互いにベテランの傭兵だ。 ビジネスの話をしようじゃないか』
チャイカはベラベラと旧知の友人に話しかける感じで喋っている。
多分、コカインをキメているのであろう。彼は薬物依存でGRUを首になっている。
『何。 話は簡単だ……』
「ソイツは何の話をしているんだ?」
ディミトリがチャイカの話を遮って周りに話し掛けた。
「誰か通訳してくれよ……」
銃はチャイカに照準したままだ。チャイカ以外の男たちは顔を見合わせていた。
確かに部屋の中央で日本人の少年が銃を構えているだけだ。
最初に聞いた話では、チャイカの元同僚のロシア人傭兵だったのだ。
『コイツはロシア語が出来ないみたいですぜ?』
部下の一人と思われる男がチャイカに進言している。ディミトリは分からない振りを続けていた。
アオイの話では通訳をする男が居たと言っていた。コイツがそうなのであろう。
『騙されるな…… コイツは間違いなくディミトリ・ゴヴァノフだ』
「俺を逃してくれれば、船の底に隠してある麻薬の事は警察には言わないでおくよ」
切り札を使うのは気が引けるが、まだ駆け引きが出来るか試してみることにした。
「十五分以内に船から脱出出来ない時には警察に通報するように女に頼んである……」
もちろん嘘だ。そんな打ち合わせをする暇は無かった。だが、ここに居る男たちは知らない事だ。
するとチャイカ以外の男たちの眼付が変わった。
『耳を貸すんじゃない。 ソイツは俺と同じくらいの嘘付きだ』
チャイカ以外の男が思わず笑い出した。
『俺には子供にしか見えないんですが……』
『それは見かけだけだ…… 中身がクズの傭兵なのは間違い無い』
そう言ってチャイカは笑った。ディミトリも釣られそうになったが我慢した。
一緒に笑うとロシア語が出来ないという設定が崩されるからだ。
「誰かと勘違いしてないか?」
ディミトリは尚も惚け続けた。認めるわけには行かないからだ。
「俺は日本人で若森忠恭って言うんだよ。 どう見てもロシア人じゃないだろうが!」
認めれば金の在り処を聞いてくる。折半にしようと言いだすが嘘だろう。彼は自分の金が減るのを好まない。
そして、必要なことを聞きだしたら殺されるのは目に見えている。
自分ならそうするからだ。
『いいや、お前がディミトリ・ゴヴァノフだってのは、そこの中国人に聞いたんだよ』
チャイカは椅子に座っている元人間を指差しながら答えた。
通訳の男が慌ただしく翻訳していた。話を聞きながらもディミトリはチャイカから目を離さなかった。
(死んでるのは、やっぱり中華系の連中の一人だったのか……)
ディミトリは中華系とロシア系の連中が連携していない理由が分かった気がした。
室内に居たのは船員だった。ベッドの上で両手を上げて固まっている。
窓が割れたかと思うと男が入ってきたのでビックリしたらしい。普通では考えられないからだ。
『お前は誰だ?』
銃を突きつけながら、ディミトリは英語で男に尋ねる。男はロナルドと名乗った。
『俺はただの船員だ。 この船でどんな物を運んでいるかまでは知らない……』
彼はフィリピン人なのだそうだ。船を運行させるのが専門だと言っている。
現在の貨客船ではフィリピン人の船員が欠かせない。大きい船ではそれなりの人員が必要だが、全てを自国の船員で揃えると結構な人件費がかかってしまう。そこでフィリピン人の船員を雇って人件費を抑えようというのだ。
『この船に秘密の区画とかあるか?』
『あんたが船に詳しいか知らないが、船はその気になれば何処にでも隠せる』
『そうか……』
質問を変える事にした。この男が連中の仲間かどうかを確認する手間が惜しいからだ。
『故障したボイラーとか載せていないか?』
故障したボイラーを二重構造にして、薬の密輸をしていた組織を強襲した事を思い出したのだ。
あの時には中に人間も入っていてビックリしたものだ。
『それならひとつ下の甲板にあるが……』
『赤毛のロシア人が出入りしていたか?』
『そこまでは分からない…… 彼らに近づかないようにしていたからな』
『それは賢い判断だ。 ありがとう……』
部屋を出ていこうとして、ディミトリは振り返った。
『静かになるまで外に出ない方が良いぞ』
『ああ、慣れているさ』
ロナルドはそう言って片目を瞑った。
部屋を出て扉を閉めると、上のデッキで走り回る音が聞こえていた。ディミトリを探しているのであろう。
船員の話を聞いたディミトリは金の探索は諦めた。探す所が多すぎる。アオイがゴムボートで逃げる時間を稼いだら、さっさと逃げ出そうと決めたようだ。
ディミトリは廊下を走って階段に近づこうとした。すると階段を降りてくる音が聞こえて来た。
(ちっ、機関室に隠れるか……)
階段を昇るのを諦めて下に降りていった。そして、廊下伝いに開いているドアを探し回った。隠れるためだ。
すると、突き当りのドアが開いていたので、滑り込むように中に入っていった。
その部屋には灯りが一つだけ点いていた。そして灯りの中央に椅子があり、元は男だったと思われる死体があった。
男の遺体は手足を椅子に縛られたまま放置されている。
裸体を見ると所々が削がれており、手足の指先には釘の様な物が差し込まれた跡が見える。激しい苦痛と恐怖と絶望を経験した後に死んだのは間違いないだろう。
その表情には死ぬことで開放される喜びを表していたのだ。
(相変わらず拷問を楽しんでやがるな……)
ディミトリは誰の仕業か直ぐに理解できた。チャイカだ。彼はGRU仕込みの拷問を行う事を得意としていた。
相手は誰だろうかと一瞬思ったが、人種が黄色い奴ぐらいしか分からなかった。梵字の入れ墨が有ったからだ。
(まあ、得意というより興奮するんだろうな……)
中々いけ好かない性癖だが、戦場で人の死に接していると何かが外れてしまう事も知っている。
きっと自分もその一人なのだと、分かっているディミトリには彼の事を責める気にはなれない。
それに、普段の彼は愉快で明るい奴なのだ。
(……まてよ……)
そして、ディミトリはある事に気が付いた。
チャイカは元が付くとは言えGRUの出身者だ。兵隊の中でもエリート中のエリートだ。
貧民出身で他に商売を知らなくて、傭兵になるしかなかったディミトリとは違う。
(奴が俺の行動を予測していない訳が無い……)
最初に思った違和感。見張りが一人だけだったのはディミトリを侵入しやすくする為。
今だって、殺ろうと思えば両側から挟み込めたのだ。そして、自分が拳銃しか持っていないのも知っているはずだ。
ディミトリが居た階層に敵が居なかったのは、彼をここまで誘導する為だったに違い無い。
(くそっ…… ここまで罠に嵌りに来ただけだったのか!)
ディミトリは奥歯をギリリと噛み締めた。自分の間抜けさ加減に頭に来たのであろう。
『よお! お前なら必ず来ると思っていたよ』
不意に背後から馴染みの声が聞こえてきた。
ディミトリが振り返って銃を向けると、入り口のシルエットの中に彼は居た。
『何だ? 俺を見ると左目が疼くのか?』
「……」
ディミトリの戦友であり本体が死ぬ原因になった男だ。
ユーリイ・チャイコーフスキイ。愛称がチャイカ。左手の指が全て拷問で切り取られている。
前の身体の時には、彼を助けるために左目を失うというハンデも負ってしまった。
『まあ、あの時にお前が助けてくれなかったら、俺は死んでいたろうがな……』
「……」
ディミトリは怒りに満ちた目で彼を睨みつけていた。だが、銃は構えたままだ。
撃てないのはチャイカの後ろの男たちが、カラシニコフを構えているのが見えるからだ。
『昔話はこの辺で良いだろう……』
「……」
ディミトリが何も言わずにいると、チャイカは少しだけ肩を竦めた。
『お互いにベテランの傭兵だ。 ビジネスの話をしようじゃないか』
チャイカはベラベラと旧知の友人に話しかける感じで喋っている。
多分、コカインをキメているのであろう。彼は薬物依存でGRUを首になっている。
『何。 話は簡単だ……』
「ソイツは何の話をしているんだ?」
ディミトリがチャイカの話を遮って周りに話し掛けた。
「誰か通訳してくれよ……」
銃はチャイカに照準したままだ。チャイカ以外の男たちは顔を見合わせていた。
確かに部屋の中央で日本人の少年が銃を構えているだけだ。
最初に聞いた話では、チャイカの元同僚のロシア人傭兵だったのだ。
『コイツはロシア語が出来ないみたいですぜ?』
部下の一人と思われる男がチャイカに進言している。ディミトリは分からない振りを続けていた。
アオイの話では通訳をする男が居たと言っていた。コイツがそうなのであろう。
『騙されるな…… コイツは間違いなくディミトリ・ゴヴァノフだ』
「俺を逃してくれれば、船の底に隠してある麻薬の事は警察には言わないでおくよ」
切り札を使うのは気が引けるが、まだ駆け引きが出来るか試してみることにした。
「十五分以内に船から脱出出来ない時には警察に通報するように女に頼んである……」
もちろん嘘だ。そんな打ち合わせをする暇は無かった。だが、ここに居る男たちは知らない事だ。
するとチャイカ以外の男たちの眼付が変わった。
『耳を貸すんじゃない。 ソイツは俺と同じくらいの嘘付きだ』
チャイカ以外の男が思わず笑い出した。
『俺には子供にしか見えないんですが……』
『それは見かけだけだ…… 中身がクズの傭兵なのは間違い無い』
そう言ってチャイカは笑った。ディミトリも釣られそうになったが我慢した。
一緒に笑うとロシア語が出来ないという設定が崩されるからだ。
「誰かと勘違いしてないか?」
ディミトリは尚も惚け続けた。認めるわけには行かないからだ。
「俺は日本人で若森忠恭って言うんだよ。 どう見てもロシア人じゃないだろうが!」
認めれば金の在り処を聞いてくる。折半にしようと言いだすが嘘だろう。彼は自分の金が減るのを好まない。
そして、必要なことを聞きだしたら殺されるのは目に見えている。
自分ならそうするからだ。
『いいや、お前がディミトリ・ゴヴァノフだってのは、そこの中国人に聞いたんだよ』
チャイカは椅子に座っている元人間を指差しながら答えた。
通訳の男が慌ただしく翻訳していた。話を聞きながらもディミトリはチャイカから目を離さなかった。
(死んでるのは、やっぱり中華系の連中の一人だったのか……)
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