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遡行願う記憶
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彼って、ほんとに凄いなぁ。
凄く明るくて、元気で、色んな人を遊びに誘う。俺の事も、当然誘ってさ。
初めましての人だって、女の子だって、お構いなし。
誰とでも仲良くなって、皆で遊ぶ。
鬼ごっこ、缶けり、ドッヂボール……皆で遊ぶのは、やっぱり楽しいな。
俺一人じゃこんなことは出来ないよ。凄いなぁ。
そんな凄い彼は、俺の親友だ。
彼の一番の友だちになれて、誇りに思う。
彼のママも、とってもいい人なんだ。
一緒に出掛けてハンバーガー食べたり、映画を見たり。
二人だけでゲームをしたり遊んだり。
二歳上のお兄さんも、時々一緒に遊んでくれたりする。
俺たち、ずっと親友なんだろうな。
……最近、ヒロに絡まれる。
最初はちょっかい出してきてうざいな程度だったけど……もう、ちょっかいじゃすまなくなってきた。
でぶとか、のろまとか、影でも目の前でも悪口言われるのも、乗っかられたり叩かれるのも、辛い……辛いよ……。
いつの間にか、クラスの皆の目も変わった。
そして、俺を叩いたり馬鹿にするのは、ヒロだけではなくなっていた。
親友は、こんな俺のことを心配して、ヒロやクラスメイトが来ないように休み時間とかは一緒に居てくれるけど、それでも辛い。
「相談してくれよ」
って、言ってくれるけど、怖くて、親友にもママにもパパにも、本当のことは知ってほしくなくて、ずっと大丈夫だって答えるしかなかった。
学校に行きたくない。
でも、行かなきゃ……。休んだら、先生に怒られるかも。
ママも、きっと怒る……。
葉が死んで散り、新たな緑が何食わぬ顔で芽吹く。
クラスが変わった。俺に微笑む女神なんていなくて、またヒロと同じクラスになった。非情になりきれないのか、親友とも同じになったけど。
いつのまにか、慣れてしまった。
ううん、慣れてなんかない。
いじめられてなかった日の記憶をすっかり塗り潰して、助けや奇跡に期待するのをやめただけ。
全てが痛い。消えてしまいたい。
だけど、それを心の中で叫ぶのさえ疲れてしまった。
何日経ったかな。
いつまで、続くのかな。
ある放課後。夕暮れの橙と、窓枠が作った影の紺に染まった教室。
脅され残された二人だけの空間。
ヒロが馴れ馴れしく肩を組んで、提案する。
親友と友だちをやめて、そして彼をいじめれば、俺をいじめるのを辞めてくれるって。
それって……親友を裏切るってこと? そんな、最低なこと。
ヒロは、答えなど聞かずともわかると笑って、俺をあざの残らない程度で蹴り飛ばしてから帰っていった。
ヒロが遠くに行くのを待ってから、俺は帰り道につく。
今日に限って、親友は用事で先に帰ってしまった。
ああ、ここにいたら、もう今までのことをすべて話してしまうのに……。
この馬鹿げた提案の答えなんか、決まってる。
決まってるはずなのに、どうして悩んでいるのだろう。
俺……本当に辛いんだ。
毎日が薄暗くて、惨めで、時々死にたくなって。
彼は、俺と違って誰とも仲良くなれるから、友だちたくさん居るだろうし……。
きっと、逆にヒロをやっつけちゃうよね?
それに、俺なんかが友だちじゃなくなっても……すぐに新しい親友が出来るはず。
木の芽のように、切られた雑草のように、まるで前の葉っぱなんか無かったように新しく。
彼は強くて、優しくて、明るくて、良い人だから。
こんな俺のそばにずっといてくれたぐらいだから。
……ごめんね……。
木枯らしが、俺を軽蔑するように耳元で唸る。
俺の前にそびえる暗黒の影は、ずっとずっと向こうへと伸びていた。
次の日。
再び放課後。
昨日と同じ、四角い橙と紺に満たされた世界。
他のクラスメイトが帰った中で、全く動こうとしない俺を不思議がりながらも横に居続けてくれていた友に、絶縁の言葉を放つ。
「ヒロに言わされてるんだろ? あいつ本当にギャグセンス無いよな。なあ?」
差し伸べられた手を振り払った。
泣いてしまいそうで、取ってしまいそうで、怖かったから。
その瞬間、見たことがない、酷く悲しい顔を見てしまった。
いつも明るい友が、こんな顔をするなんて。
胸に棘が刺さったような気がした。
でも、もっと辛いのは親友……だった彼だ。
彼は、歯を食いしばり……ランドセルからキーホルダーを引きちぎ……ろうとして、やっぱりやめて普通に外す。
「なら、返す」
無理やり押し付けられたのは、昔々、一緒に買ったペアのキーホルダー。
金色の龍と剣のキーホルダー。
俺のは甲羅が盾の銀亀。二つは組み合わさって一つになる、剣と盾、玄武の形。
昔々、彼の家族と一緒に旅行へ出かけた時に買った、親友の証。
……これは、現実なの?
本当に、俺たちは友だちじゃなくなってしまうの?
彼の家族とただの他人になるの?
一生……?
急に怖くなって、やっぱり取り消そうと思ったのに。
どこかで待ち伏せていたヒロがやってきて、俺と肩を組んだ。
「前からさぁ、一緒にお前のことうざったらしいと思ってたんだよな~! ねっ、おでぶちゃん! 何も出来ない雑魚のくせに、ヒーローぶってんじゃねえよ、ってな!」
違う、そんなことない!
叫び声は出なかった。
肩に手を回すフリしてこっそり強い力で締められてて、それが酷く怖くて、息が吐けなかった。
彼は何も言わず、俺と目も合わせず、走り去った。
何も言ってくれなかった。
何も、言ってはくれなかった。
友だちは、親友は、消えてしまった。
ごめん、ごめん……。
ヒロの約束通り、俺はいじめから解放された。
よそよそしい周りも、暴言を吐かれるよりはマシ。
けれど。
どうして?
どうしてこんなことに。
どうして、こんなことを……。
どうして誰も、彼を庇わない?
どうして、皆、親友を虐めるの!?
クラスメイトは、小学生は、俺が思っているよりもずっとずっと酷く汚くて、残虐だった。
俺のいじめが始まるちょっと前まで、一緒に遊んでたじゃないか。
仲良しだったじゃないか!
誰一人彼を庇わない。
俺の替わりにして、傷付けるだけ。
やめてくれと嘆く悲痛の声を、こんなのはおかしいと訴える声を、無視するか、加害に加わるだけ。
いじめを、エンターテインメントとして楽しんでいる。
自分たちより劣った存在だと思うために、容姿や家庭環境を馬鹿にして。
正当化する理由をつけるために、彼の粗探しをして。
ときには、根も葉もない嘘まで作って。
こんなはずではなかった。
見ていられなかった。罪に押しつぶされそうだった。
数日経って、あの取引を取り消して貰おうと、ヒロに訴えた。
「は? 嫌だね」
嘲笑われ一蹴されて、更に俺に釘刺した。
「またいじめられたいの? そうだねえ、アイツ、君のこと、と~っても恨んでると思うけどなあ? さあ、今度は誰が守ってくれるのかな~? それに、君、承諾したじゃないか! アイツをイジメのターゲットにするってことを。君が主犯なんだよ? 君がきっかけなんだよ?」
俺は、酷い人間だった。
彼と同じ勇気を持ち合わせてはいなかった。
またあの日々が帰ってくるのが嫌で、これ以上言葉を絞り出せなかった。
もう、他人のフリをするしかなくなった。
お願い、そんな目で見ないで。
ごめんなさい、俺の事は忘れて。
あの日々は、塗り潰して、消してしまってください。
時々、助けを求められているのか、それとも憎んでいるのか、見つめられるのが苦しかった。
俺を見つめるだけ。
泣きもせず、憎しみも向けず、怒りも呆れも何もなく、暴力の檻の隙間から俺を見る。
憧れだった、明るくて元気な彼が、卑屈に、無口になっていくのが辛かった。
胸が苦しくて、このまま呼吸が止まってしまいそうだった。
どうして見るの?
期待しているの?
恨んでいるの?
俺を見ないで。
もう耐えられない。
ヒロが囁いた。
突き落とさないと、彼は君と関わろうとし続けると。
頷いてしまった。
失望してもらおうと思って、ついに俺も彼に手を出した。
彼の前で、思ってもない身も蓋もないことを言いのけた。
「俺を見るな、いい加減うざいし、キモいんだよ……」
吐きそうになった。
「いままでのは、いままでのは、何だったんだよ……」
「うるさい!」
俺はあまりにも弱い。
言葉を聞きたくなくて、彼の腕を平手で叩いた。
そんなに強くはない。彼を傷付けたいという意思はなかった。
本当に、本当は、本当に……傷付けたくなかったのに。
彼は大声で泣き始めた。
今まで彼が声を出して泣いている姿なんか見たことがなかった。
負けず嫌いで、ゲームや成績で負けて涙を滲ませることはあったけど、少なくとも、俺が彼のこんな姿を見るのは、初めてだった。
俺が、彼の心を一番傷付けた。
なんとか耐えていた柱を、折ったんだ。
仲間と言いたげにクラスメイトが俺と肩を組んで、机に伏せる彼から俺を引き離す。
ヒロが彼の机を蹴り飛ばして、何かを言っている。
ああ、ああ……。
取り返しのつかないことをしてしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、もう、学校には行けない……。
もう、行きたくない!
不登校になってから、ママに毎日ずっと心配された。
ずっと我慢して、振る舞っていたから……急に閉じこもっちゃったように見えて、びっくりしたんだよね。
ああ。
夢に君が出る。
君は闇の中で俺を見ている。
現実と同じように、何も言わず。
君は今、どうしているの?
俺のように閉じこもれたかい?
それともまだ学校で苦しんでいるの?
知る余地はない。
自由である心の中の君にまで、そんな顔をされたら……。
罪悪が俺の首に巻き付いて、ゆっくりと締め付けていく。
起きているときも、寝ているときも、休みはなく、毎日責め立てられる。
いじめられてる時よりも苦しくて、辛くて、死んでしまいたくなった。
こんなことになるんだったら、こんなことになるとわかっていたら、あんな言葉聞かなかった。
親友の声を聞いて、大人に助けを求めるべきだった。
こんなはずじゃなかった……。
でも、時は戻らない。
ある日、もう抑えきれなくなって、隠していたいじめのことを全て話した。
……ううん、親友のことは話さなかった。
話せなかった。
親友は、親友でなくなってしまったことだけ話した。
ママにまで、嫌われたくなかった。
俺は、本当に卑怯者だった。
こんなの、いじめられて当然だよなぁ。
……あはは。
ママはすっごく悲しんで、大泣きして、パパにも話した。
パパも大泣きして、二人に抱きしめられて……俺も大泣きした。
そして、すぐに引っ越すことになった。
……彼とは会えなくなってしまう、遠くの街に。
俺に優しくしてくれる最後の両親まで失うことが怖くて、結局友のことは最後まで話せなかった。
新しい学校は、悪いところではなさそうだけど……行きたくないまま。
また、ヒロみたいな奴がいたらどうしよう。
友を見捨てたことを知られたら、そんな腐った心の持ち主だと知られたら、ヒロがいなくてもいじめられると思うと、もう家から出たくなくて。
誰にもこれ以上自分を知られたくなくて。
それに、裏切った俺だけが普通のいじめのない学校生活を送るなんて、許されることなの?
年が変わっても、新しい学校の人たちが親切にしてくれても、罪悪感が消えることはなかった。
気分の晴れぬまま、中学生になった。
親友を裏切らなくとも、俺が勇気を出して伝えられてさえいれば、まともな日々は手に入ったんじゃないだろうか。
怯えずに不登校を選んでいれば、なんの問題も無かったんじゃないか。
親友は、無駄な犠牲だったんじゃないだろうか。
人の声が怖い。
声を発するのが怖い。
俺よりも普通の生活を送るべきだった親友を陥れた悪魔だと、今にでも知られてしまうんじゃないだろうか。
皆、俺に聞こえないようにしているだけで、裏でのろまだとかグズだとか、あのクラスメイトのように囁いているんじゃないだろうか。
やっと気がついたのが、ほんとに馬鹿げてる。
俺は、自業自得で笑われていたんだ。
俺は、そうあるべき存在だったんだ。
行きたくない、生きたくない、深泥の気持ちは日に日に嵩を増す。
もう人の目に見られたくない。
中学にも、いつの間にか通えなくなっていた。
二人の心配する声に耳をふさいで。
眠れないベッドの上にずっとうずくまって。
同じ一日が繰り返されるだけ。
もはや日常が腐っていた。
そんな中、時々、願う。
もし、過去に戻れたら。
親友への言葉を無かったことにして、ずっと仲良く生きていけたのなら。
ううん。
駄目だ。
許される訳がない。
仲良く生きていける訳がない。
……それに、本当は、彼だって俺のこと、哀れんで……悦に浸ってたでしょ?
そうだよね?
俺を守るメリットなんて、なんもないのに。
そうだろ?
そうだよな?
……なら、もっと昔に戻りたい。
何にも考えずに遊び続けた、あの幼少の頃へ。
もしも、力があれば。
あの頃に戻れる奇跡があれば。
今度こそは失敗しない。
欲しい、力が欲しいよ。
ああ、もしも、俺がヒーローだったら、主人公だったら……。
凄く明るくて、元気で、色んな人を遊びに誘う。俺の事も、当然誘ってさ。
初めましての人だって、女の子だって、お構いなし。
誰とでも仲良くなって、皆で遊ぶ。
鬼ごっこ、缶けり、ドッヂボール……皆で遊ぶのは、やっぱり楽しいな。
俺一人じゃこんなことは出来ないよ。凄いなぁ。
そんな凄い彼は、俺の親友だ。
彼の一番の友だちになれて、誇りに思う。
彼のママも、とってもいい人なんだ。
一緒に出掛けてハンバーガー食べたり、映画を見たり。
二人だけでゲームをしたり遊んだり。
二歳上のお兄さんも、時々一緒に遊んでくれたりする。
俺たち、ずっと親友なんだろうな。
……最近、ヒロに絡まれる。
最初はちょっかい出してきてうざいな程度だったけど……もう、ちょっかいじゃすまなくなってきた。
でぶとか、のろまとか、影でも目の前でも悪口言われるのも、乗っかられたり叩かれるのも、辛い……辛いよ……。
いつの間にか、クラスの皆の目も変わった。
そして、俺を叩いたり馬鹿にするのは、ヒロだけではなくなっていた。
親友は、こんな俺のことを心配して、ヒロやクラスメイトが来ないように休み時間とかは一緒に居てくれるけど、それでも辛い。
「相談してくれよ」
って、言ってくれるけど、怖くて、親友にもママにもパパにも、本当のことは知ってほしくなくて、ずっと大丈夫だって答えるしかなかった。
学校に行きたくない。
でも、行かなきゃ……。休んだら、先生に怒られるかも。
ママも、きっと怒る……。
葉が死んで散り、新たな緑が何食わぬ顔で芽吹く。
クラスが変わった。俺に微笑む女神なんていなくて、またヒロと同じクラスになった。非情になりきれないのか、親友とも同じになったけど。
いつのまにか、慣れてしまった。
ううん、慣れてなんかない。
いじめられてなかった日の記憶をすっかり塗り潰して、助けや奇跡に期待するのをやめただけ。
全てが痛い。消えてしまいたい。
だけど、それを心の中で叫ぶのさえ疲れてしまった。
何日経ったかな。
いつまで、続くのかな。
ある放課後。夕暮れの橙と、窓枠が作った影の紺に染まった教室。
脅され残された二人だけの空間。
ヒロが馴れ馴れしく肩を組んで、提案する。
親友と友だちをやめて、そして彼をいじめれば、俺をいじめるのを辞めてくれるって。
それって……親友を裏切るってこと? そんな、最低なこと。
ヒロは、答えなど聞かずともわかると笑って、俺をあざの残らない程度で蹴り飛ばしてから帰っていった。
ヒロが遠くに行くのを待ってから、俺は帰り道につく。
今日に限って、親友は用事で先に帰ってしまった。
ああ、ここにいたら、もう今までのことをすべて話してしまうのに……。
この馬鹿げた提案の答えなんか、決まってる。
決まってるはずなのに、どうして悩んでいるのだろう。
俺……本当に辛いんだ。
毎日が薄暗くて、惨めで、時々死にたくなって。
彼は、俺と違って誰とも仲良くなれるから、友だちたくさん居るだろうし……。
きっと、逆にヒロをやっつけちゃうよね?
それに、俺なんかが友だちじゃなくなっても……すぐに新しい親友が出来るはず。
木の芽のように、切られた雑草のように、まるで前の葉っぱなんか無かったように新しく。
彼は強くて、優しくて、明るくて、良い人だから。
こんな俺のそばにずっといてくれたぐらいだから。
……ごめんね……。
木枯らしが、俺を軽蔑するように耳元で唸る。
俺の前にそびえる暗黒の影は、ずっとずっと向こうへと伸びていた。
次の日。
再び放課後。
昨日と同じ、四角い橙と紺に満たされた世界。
他のクラスメイトが帰った中で、全く動こうとしない俺を不思議がりながらも横に居続けてくれていた友に、絶縁の言葉を放つ。
「ヒロに言わされてるんだろ? あいつ本当にギャグセンス無いよな。なあ?」
差し伸べられた手を振り払った。
泣いてしまいそうで、取ってしまいそうで、怖かったから。
その瞬間、見たことがない、酷く悲しい顔を見てしまった。
いつも明るい友が、こんな顔をするなんて。
胸に棘が刺さったような気がした。
でも、もっと辛いのは親友……だった彼だ。
彼は、歯を食いしばり……ランドセルからキーホルダーを引きちぎ……ろうとして、やっぱりやめて普通に外す。
「なら、返す」
無理やり押し付けられたのは、昔々、一緒に買ったペアのキーホルダー。
金色の龍と剣のキーホルダー。
俺のは甲羅が盾の銀亀。二つは組み合わさって一つになる、剣と盾、玄武の形。
昔々、彼の家族と一緒に旅行へ出かけた時に買った、親友の証。
……これは、現実なの?
本当に、俺たちは友だちじゃなくなってしまうの?
彼の家族とただの他人になるの?
一生……?
急に怖くなって、やっぱり取り消そうと思ったのに。
どこかで待ち伏せていたヒロがやってきて、俺と肩を組んだ。
「前からさぁ、一緒にお前のことうざったらしいと思ってたんだよな~! ねっ、おでぶちゃん! 何も出来ない雑魚のくせに、ヒーローぶってんじゃねえよ、ってな!」
違う、そんなことない!
叫び声は出なかった。
肩に手を回すフリしてこっそり強い力で締められてて、それが酷く怖くて、息が吐けなかった。
彼は何も言わず、俺と目も合わせず、走り去った。
何も言ってくれなかった。
何も、言ってはくれなかった。
友だちは、親友は、消えてしまった。
ごめん、ごめん……。
ヒロの約束通り、俺はいじめから解放された。
よそよそしい周りも、暴言を吐かれるよりはマシ。
けれど。
どうして?
どうしてこんなことに。
どうして、こんなことを……。
どうして誰も、彼を庇わない?
どうして、皆、親友を虐めるの!?
クラスメイトは、小学生は、俺が思っているよりもずっとずっと酷く汚くて、残虐だった。
俺のいじめが始まるちょっと前まで、一緒に遊んでたじゃないか。
仲良しだったじゃないか!
誰一人彼を庇わない。
俺の替わりにして、傷付けるだけ。
やめてくれと嘆く悲痛の声を、こんなのはおかしいと訴える声を、無視するか、加害に加わるだけ。
いじめを、エンターテインメントとして楽しんでいる。
自分たちより劣った存在だと思うために、容姿や家庭環境を馬鹿にして。
正当化する理由をつけるために、彼の粗探しをして。
ときには、根も葉もない嘘まで作って。
こんなはずではなかった。
見ていられなかった。罪に押しつぶされそうだった。
数日経って、あの取引を取り消して貰おうと、ヒロに訴えた。
「は? 嫌だね」
嘲笑われ一蹴されて、更に俺に釘刺した。
「またいじめられたいの? そうだねえ、アイツ、君のこと、と~っても恨んでると思うけどなあ? さあ、今度は誰が守ってくれるのかな~? それに、君、承諾したじゃないか! アイツをイジメのターゲットにするってことを。君が主犯なんだよ? 君がきっかけなんだよ?」
俺は、酷い人間だった。
彼と同じ勇気を持ち合わせてはいなかった。
またあの日々が帰ってくるのが嫌で、これ以上言葉を絞り出せなかった。
もう、他人のフリをするしかなくなった。
お願い、そんな目で見ないで。
ごめんなさい、俺の事は忘れて。
あの日々は、塗り潰して、消してしまってください。
時々、助けを求められているのか、それとも憎んでいるのか、見つめられるのが苦しかった。
俺を見つめるだけ。
泣きもせず、憎しみも向けず、怒りも呆れも何もなく、暴力の檻の隙間から俺を見る。
憧れだった、明るくて元気な彼が、卑屈に、無口になっていくのが辛かった。
胸が苦しくて、このまま呼吸が止まってしまいそうだった。
どうして見るの?
期待しているの?
恨んでいるの?
俺を見ないで。
もう耐えられない。
ヒロが囁いた。
突き落とさないと、彼は君と関わろうとし続けると。
頷いてしまった。
失望してもらおうと思って、ついに俺も彼に手を出した。
彼の前で、思ってもない身も蓋もないことを言いのけた。
「俺を見るな、いい加減うざいし、キモいんだよ……」
吐きそうになった。
「いままでのは、いままでのは、何だったんだよ……」
「うるさい!」
俺はあまりにも弱い。
言葉を聞きたくなくて、彼の腕を平手で叩いた。
そんなに強くはない。彼を傷付けたいという意思はなかった。
本当に、本当は、本当に……傷付けたくなかったのに。
彼は大声で泣き始めた。
今まで彼が声を出して泣いている姿なんか見たことがなかった。
負けず嫌いで、ゲームや成績で負けて涙を滲ませることはあったけど、少なくとも、俺が彼のこんな姿を見るのは、初めてだった。
俺が、彼の心を一番傷付けた。
なんとか耐えていた柱を、折ったんだ。
仲間と言いたげにクラスメイトが俺と肩を組んで、机に伏せる彼から俺を引き離す。
ヒロが彼の机を蹴り飛ばして、何かを言っている。
ああ、ああ……。
取り返しのつかないことをしてしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい、もう、学校には行けない……。
もう、行きたくない!
不登校になってから、ママに毎日ずっと心配された。
ずっと我慢して、振る舞っていたから……急に閉じこもっちゃったように見えて、びっくりしたんだよね。
ああ。
夢に君が出る。
君は闇の中で俺を見ている。
現実と同じように、何も言わず。
君は今、どうしているの?
俺のように閉じこもれたかい?
それともまだ学校で苦しんでいるの?
知る余地はない。
自由である心の中の君にまで、そんな顔をされたら……。
罪悪が俺の首に巻き付いて、ゆっくりと締め付けていく。
起きているときも、寝ているときも、休みはなく、毎日責め立てられる。
いじめられてる時よりも苦しくて、辛くて、死んでしまいたくなった。
こんなことになるんだったら、こんなことになるとわかっていたら、あんな言葉聞かなかった。
親友の声を聞いて、大人に助けを求めるべきだった。
こんなはずじゃなかった……。
でも、時は戻らない。
ある日、もう抑えきれなくなって、隠していたいじめのことを全て話した。
……ううん、親友のことは話さなかった。
話せなかった。
親友は、親友でなくなってしまったことだけ話した。
ママにまで、嫌われたくなかった。
俺は、本当に卑怯者だった。
こんなの、いじめられて当然だよなぁ。
……あはは。
ママはすっごく悲しんで、大泣きして、パパにも話した。
パパも大泣きして、二人に抱きしめられて……俺も大泣きした。
そして、すぐに引っ越すことになった。
……彼とは会えなくなってしまう、遠くの街に。
俺に優しくしてくれる最後の両親まで失うことが怖くて、結局友のことは最後まで話せなかった。
新しい学校は、悪いところではなさそうだけど……行きたくないまま。
また、ヒロみたいな奴がいたらどうしよう。
友を見捨てたことを知られたら、そんな腐った心の持ち主だと知られたら、ヒロがいなくてもいじめられると思うと、もう家から出たくなくて。
誰にもこれ以上自分を知られたくなくて。
それに、裏切った俺だけが普通のいじめのない学校生活を送るなんて、許されることなの?
年が変わっても、新しい学校の人たちが親切にしてくれても、罪悪感が消えることはなかった。
気分の晴れぬまま、中学生になった。
親友を裏切らなくとも、俺が勇気を出して伝えられてさえいれば、まともな日々は手に入ったんじゃないだろうか。
怯えずに不登校を選んでいれば、なんの問題も無かったんじゃないか。
親友は、無駄な犠牲だったんじゃないだろうか。
人の声が怖い。
声を発するのが怖い。
俺よりも普通の生活を送るべきだった親友を陥れた悪魔だと、今にでも知られてしまうんじゃないだろうか。
皆、俺に聞こえないようにしているだけで、裏でのろまだとかグズだとか、あのクラスメイトのように囁いているんじゃないだろうか。
やっと気がついたのが、ほんとに馬鹿げてる。
俺は、自業自得で笑われていたんだ。
俺は、そうあるべき存在だったんだ。
行きたくない、生きたくない、深泥の気持ちは日に日に嵩を増す。
もう人の目に見られたくない。
中学にも、いつの間にか通えなくなっていた。
二人の心配する声に耳をふさいで。
眠れないベッドの上にずっとうずくまって。
同じ一日が繰り返されるだけ。
もはや日常が腐っていた。
そんな中、時々、願う。
もし、過去に戻れたら。
親友への言葉を無かったことにして、ずっと仲良く生きていけたのなら。
ううん。
駄目だ。
許される訳がない。
仲良く生きていける訳がない。
……それに、本当は、彼だって俺のこと、哀れんで……悦に浸ってたでしょ?
そうだよね?
俺を守るメリットなんて、なんもないのに。
そうだろ?
そうだよな?
……なら、もっと昔に戻りたい。
何にも考えずに遊び続けた、あの幼少の頃へ。
もしも、力があれば。
あの頃に戻れる奇跡があれば。
今度こそは失敗しない。
欲しい、力が欲しいよ。
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