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彼女 前編
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窓の外には青空が広がっている。
夏の息苦しくなるような日差しは気づいたら遠ざかり、気持ちの良い日々が続いていた。
視界に入る壁一面が窓と言っていいこの高層階のカフェに座っていると、温度のない高層ビルと空ばかりが目に入る。
「良い天気ね」
青空を背に彼女が微笑む。
「そうだね」
言いながら僕は華奢なティーカップの取っ手を持つ。カチャっと甲高い音が僅かにした。
「どうかしら?」
彼女は僕が飲むのを見ながら聞く。
カフェのざわめきが波のように漂う中、その声だけがはっきりと僕に届く。
「ああ、美味しいね。香りがいい」
良かった、と、彼女が微笑んだ。
「ここのホテルのカフェ、お気に入りなの。デザートも美味しいのだけれど、お紅茶が好きで」
彼女の声は優しくて、たおやかだ。
「でも、珈琲を頼んでくださってもよかったのよ?」
「いや、せっかくのお薦めなんだから」
そう言って、僕は普段は飲まない紅茶を口にする。家ではいつもコーヒーだ。毎日、豆から引いたものを自分で入れて飲んでいる。
急にどこかのテーブルからどっと笑い声がした。女性客のグループだった。笑い声はすぐに収まったが、つい心の中で毒づいてしまう。騒ぐような場所じゃないだろうに。
彼女は特に気にした様子もなく、ここの秋のお勧めらしいアップルパイを口にする。そして嬉しそうな顔をする。
「美味しそうに食べるね」
僕は思わず笑いがこぼれる。彼女は口元に手を添えて、ちょっと恥ずかしそうにする。
「だって美味しいもの」
そうだね、と答えつつ、彼女の可愛らしい仕草に自分の顔がだらしなくなっていないか心配になる。
「新しいお部屋はどう? 片付いた?」
「ああ、割と片付いたよ。言っても、普段使いしている物を段ボールから出した程度だけどね」
「やっぱり、お手伝いに行きましょうか?」
「いや、大丈夫。ぼちぼちやるさ」
「本当にいいの?」
「ああ。心配いらない。元々一人分の荷物なんて大した事ないし。君が越してくる頃までにはすっかり綺麗にしておくから」
そんな事心配してないわ、と言いながら彼女はちょっと恥ずかしそうにする。僕は微笑んでしまう。
「楽しみだな」
呟いてしまってから、ちょっと内心で照れ臭くなる。
「え?」
「えっと、だから、君の引っ越しがさ」
「ええ」
彼女は晴れやかに笑うと付け加えた。
「でも、私、荷物多いの」
「僕は少ない。だいぶ捨ててきたしね。だから気にせずなんでも持っておいで」
実際かなり捨ててきた。引っ越し後の片付けなんて付け足しに思えるぐらい、そっちの廃棄の方が大変だった。
あれは、予想外にすごく疲れた。
不必要になった物を捨てるだけだから、すぐに終わると思っていたのにな。
不意に、どこかから、着信音が小さくした。彼女が慌てて置いてあったバックから取り出して着信を切る。
「……母からだわ……」
彼女が画面を見ながら小さく呟いた。
「いいの? 出なくて?」
「ええ。きっとそんなに大した用事じゃないと思うわ。いつもそうだし……」
「気になるならかけ直すといい。僕のことは気にしないで」
「ええ、でも……」
彼女は躊躇したが、もう一度促すと、「じゃあ、かけ直すわ、ありがとう」と言って、ここではなんだからと、席を立った。
僕は一人残され視線を遠くに向けると、相変わらず青い空が目に入った。さっきまでいくつか浮かんでいた雲がなくなっている。日差しがちょうど良く室内に降り注いでいて、まるで絵に描いたような午後のカフェだな、と思う。
テーブルの上の彼女の食べかけのアップルパイの横に添えてあるバニラアイスが溶け出している。
僕は手持ち無沙汰でポットから二杯目の紅茶を注いで口にする。紅茶も悪くない。今まで食わず嫌いならぬ飲まず嫌いだったけど。
そう何気に思ったと同時に、「嘘だあ、どうしちゃったの?」と脳内で声がした。ついでに「静かに飲んでくれるならなんでもいいけど」と。
自分で自分の脳に出てきた映像相手に「別に蘊蓄なんて言ってないだろ」とむっとする。
夏の息苦しくなるような日差しは気づいたら遠ざかり、気持ちの良い日々が続いていた。
視界に入る壁一面が窓と言っていいこの高層階のカフェに座っていると、温度のない高層ビルと空ばかりが目に入る。
「良い天気ね」
青空を背に彼女が微笑む。
「そうだね」
言いながら僕は華奢なティーカップの取っ手を持つ。カチャっと甲高い音が僅かにした。
「どうかしら?」
彼女は僕が飲むのを見ながら聞く。
カフェのざわめきが波のように漂う中、その声だけがはっきりと僕に届く。
「ああ、美味しいね。香りがいい」
良かった、と、彼女が微笑んだ。
「ここのホテルのカフェ、お気に入りなの。デザートも美味しいのだけれど、お紅茶が好きで」
彼女の声は優しくて、たおやかだ。
「でも、珈琲を頼んでくださってもよかったのよ?」
「いや、せっかくのお薦めなんだから」
そう言って、僕は普段は飲まない紅茶を口にする。家ではいつもコーヒーだ。毎日、豆から引いたものを自分で入れて飲んでいる。
急にどこかのテーブルからどっと笑い声がした。女性客のグループだった。笑い声はすぐに収まったが、つい心の中で毒づいてしまう。騒ぐような場所じゃないだろうに。
彼女は特に気にした様子もなく、ここの秋のお勧めらしいアップルパイを口にする。そして嬉しそうな顔をする。
「美味しそうに食べるね」
僕は思わず笑いがこぼれる。彼女は口元に手を添えて、ちょっと恥ずかしそうにする。
「だって美味しいもの」
そうだね、と答えつつ、彼女の可愛らしい仕草に自分の顔がだらしなくなっていないか心配になる。
「新しいお部屋はどう? 片付いた?」
「ああ、割と片付いたよ。言っても、普段使いしている物を段ボールから出した程度だけどね」
「やっぱり、お手伝いに行きましょうか?」
「いや、大丈夫。ぼちぼちやるさ」
「本当にいいの?」
「ああ。心配いらない。元々一人分の荷物なんて大した事ないし。君が越してくる頃までにはすっかり綺麗にしておくから」
そんな事心配してないわ、と言いながら彼女はちょっと恥ずかしそうにする。僕は微笑んでしまう。
「楽しみだな」
呟いてしまってから、ちょっと内心で照れ臭くなる。
「え?」
「えっと、だから、君の引っ越しがさ」
「ええ」
彼女は晴れやかに笑うと付け加えた。
「でも、私、荷物多いの」
「僕は少ない。だいぶ捨ててきたしね。だから気にせずなんでも持っておいで」
実際かなり捨ててきた。引っ越し後の片付けなんて付け足しに思えるぐらい、そっちの廃棄の方が大変だった。
あれは、予想外にすごく疲れた。
不必要になった物を捨てるだけだから、すぐに終わると思っていたのにな。
不意に、どこかから、着信音が小さくした。彼女が慌てて置いてあったバックから取り出して着信を切る。
「……母からだわ……」
彼女が画面を見ながら小さく呟いた。
「いいの? 出なくて?」
「ええ。きっとそんなに大した用事じゃないと思うわ。いつもそうだし……」
「気になるならかけ直すといい。僕のことは気にしないで」
「ええ、でも……」
彼女は躊躇したが、もう一度促すと、「じゃあ、かけ直すわ、ありがとう」と言って、ここではなんだからと、席を立った。
僕は一人残され視線を遠くに向けると、相変わらず青い空が目に入った。さっきまでいくつか浮かんでいた雲がなくなっている。日差しがちょうど良く室内に降り注いでいて、まるで絵に描いたような午後のカフェだな、と思う。
テーブルの上の彼女の食べかけのアップルパイの横に添えてあるバニラアイスが溶け出している。
僕は手持ち無沙汰でポットから二杯目の紅茶を注いで口にする。紅茶も悪くない。今まで食わず嫌いならぬ飲まず嫌いだったけど。
そう何気に思ったと同時に、「嘘だあ、どうしちゃったの?」と脳内で声がした。ついでに「静かに飲んでくれるならなんでもいいけど」と。
自分で自分の脳に出てきた映像相手に「別に蘊蓄なんて言ってないだろ」とむっとする。
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