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15. 終章・光の庭 ⑤
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そんなこと、考えてみたこともなかった。榛瑠をどうするかなんて。
ただ、そばにいてほしくて。それが当たり前で。
でも、一方で、彼の言うとおり、婚約者がいるのも当たり前だった。なにもなければ今頃結婚していたかもしれない。
矛盾している、と初めて思った。でも、自分の中ではずっと、それが当たり前だった。
わたしが榛瑠を好きなのと、別の誰かと結婚して跡継ぎを生むことは別のことで、自分の中では疑問はなかったのだ。
おかしい、と今ならわかる。というか、今初めてわかったのは遅すぎじゃない?
榛瑠は押さえつけていた手を離すと、わたしの手首にキスをした。
「まったく……」
耳元で声がした。笑いをふくんだ、穏やかな声だった。
「まあ、しょうがないんですよ?あなたは当時まだ中学生で、それでなくても幼かったし。わかってたんだけどね」
ああ、そうか。わたし、あなたを悲しませたのね?
「ごめんなさい」
わたしは彼の首にしがみつくように両腕を回した。ごめんなさい、ごめんね。
榛瑠が姿勢を変えてわたしの横に来る。彼の顔が横にあった。
「うん、まあ、どっちもどっちです。私に謝らなくていい。それが嫌でというより、何もできない自分が嫌で、何かしでかしそうな自分が怖くて、逃げ出したんだから。一花が泣くってわかっててもね。もう、どうでもよかったんですよ」
その最後の言葉に胸がはっきりと痛むのがわかった。でも、何も言う言葉はない。
「うん、ごめんね……」
声が震える。榛瑠がわたしを抱きしめた。
「だから、勝手に誰かと幸せになってくれって思っていたのに。……結局、無理でしたね。時間、かけたんだけどな」
最後は小さな呟きになっていた。私は彼を感じながら考える。私はどう思っていたのだろう。忘れてしまった。顔見たときに全部忘れてしまった。
でも再会以来、でも、ずっとどこかがドキドキしていて。
「あ、そうか」
「なに?」
私は上半身を起こすと彼を見た。
「……榛瑠、背広汚れるよ」
「なんだ、それ。今そこなの?別にいいのに」
そう言いながら彼も起き上がる。「で、なにが、そうか、なんです?」
「私、きっとあなたを扉の前に立たしておく気だったんだと思うわ」
「うわ、悪趣味ですね。申し訳ないけど私はそういう趣味ないですからね」
うん、だよね。でもね。
「私もなんでもよかったんだと思うの」そうよ。「あなたがいさえすればなんでも良かったのだと思うわ」
あなたのいない時間はすぐに忘れてしまえるくらいだったんだもの。
「榛瑠がいないとどうやら私の感情は動かなくなるみたい。他のどんな男性と会っても何も感じなかったし」
再会するまで私の心は静かだった。色のない世界で動かないでいた。ただそこで、風の音だけを聞いていた。その事に気づきもしないで。
今は毎日がとても鮮やかだ。ドキドキずっとしている。
「なんだか新婚旅行にも付いて来いとか言われていたような勢いですね」
「言ったかも」
おかしくて笑ってしまった。
「最低」
榛瑠は微笑しながら言うと、私の胸元に顔を近づける。
リボン! 解けたままだし!
榛瑠が口づけする。思わず目を閉じる。
「いたっ」
榛瑠が離れたあとを見るとうっすらと赤くなっている。
「所有物の印つけておいただけだよ」
なんなのよ、もう!
「なんならもう少しわかりやすい場所につけてあげましょうか?」
「いらない!バカ!」
焦ってリボンを結ぶ。でも、うまく結べない。
そんな私の手をどけさせて榛瑠がきれいに結んでくれる。
制服のリボンを毎日結んでいたのに私が全然上達しなかったのは、代わりに結んでくれる人がいたからだわ。我ながら成長してないし。
しかめっ面をしているであろう私に彼は言った。
「言っときますけど、私はあなたがいない時間を充実させてましたからね」
……わかってるわよ。味園さんとの会話を盗み聞きした時に感じたわよ。でも言わなくてもいいじゃない。
「……いぢわる」
榛瑠はにっこり笑った。この人、私に嫌われるとか思わないのかな。
「あんまり意地悪してるとちょっと嫌いになるかもよ」
と、言ってみる。
「ならないでしょう?」笑顔のまま榛瑠は言う。「だって、9年ほっといて嫌いになってなかったんだから」
「でも、怒ってたよ。すごく!」
「そう?でもレストランで再会した時、今にもとびついてきそうな顔してたよ、あなた」
一気に顔があつくなった。いや、そんなはずはない。泣きそうにはなったけど、でも、間違いなく怒っていたし。でも。
……ああ、もうやだ、もう。ちゃんと我慢したのに!!
榛瑠は今にも笑い出しそうな顔をしている。死ぬほど悔しい。
「どうせ後からバカにしてたんでしょう」
「バカにはしてませんよ、全く。でも、あなた方が帰ったあと爆笑させていただきました」
「……!もういい!しらない!」
私が怒って立ち上がろうとするのを引き止めて榛瑠が後ろから抱き寄せる。
「ごめん、ごめん。だってあんまり可愛かったから」
そう楽しそうに笑いながら言う。
ただ、そばにいてほしくて。それが当たり前で。
でも、一方で、彼の言うとおり、婚約者がいるのも当たり前だった。なにもなければ今頃結婚していたかもしれない。
矛盾している、と初めて思った。でも、自分の中ではずっと、それが当たり前だった。
わたしが榛瑠を好きなのと、別の誰かと結婚して跡継ぎを生むことは別のことで、自分の中では疑問はなかったのだ。
おかしい、と今ならわかる。というか、今初めてわかったのは遅すぎじゃない?
榛瑠は押さえつけていた手を離すと、わたしの手首にキスをした。
「まったく……」
耳元で声がした。笑いをふくんだ、穏やかな声だった。
「まあ、しょうがないんですよ?あなたは当時まだ中学生で、それでなくても幼かったし。わかってたんだけどね」
ああ、そうか。わたし、あなたを悲しませたのね?
「ごめんなさい」
わたしは彼の首にしがみつくように両腕を回した。ごめんなさい、ごめんね。
榛瑠が姿勢を変えてわたしの横に来る。彼の顔が横にあった。
「うん、まあ、どっちもどっちです。私に謝らなくていい。それが嫌でというより、何もできない自分が嫌で、何かしでかしそうな自分が怖くて、逃げ出したんだから。一花が泣くってわかっててもね。もう、どうでもよかったんですよ」
その最後の言葉に胸がはっきりと痛むのがわかった。でも、何も言う言葉はない。
「うん、ごめんね……」
声が震える。榛瑠がわたしを抱きしめた。
「だから、勝手に誰かと幸せになってくれって思っていたのに。……結局、無理でしたね。時間、かけたんだけどな」
最後は小さな呟きになっていた。私は彼を感じながら考える。私はどう思っていたのだろう。忘れてしまった。顔見たときに全部忘れてしまった。
でも再会以来、でも、ずっとどこかがドキドキしていて。
「あ、そうか」
「なに?」
私は上半身を起こすと彼を見た。
「……榛瑠、背広汚れるよ」
「なんだ、それ。今そこなの?別にいいのに」
そう言いながら彼も起き上がる。「で、なにが、そうか、なんです?」
「私、きっとあなたを扉の前に立たしておく気だったんだと思うわ」
「うわ、悪趣味ですね。申し訳ないけど私はそういう趣味ないですからね」
うん、だよね。でもね。
「私もなんでもよかったんだと思うの」そうよ。「あなたがいさえすればなんでも良かったのだと思うわ」
あなたのいない時間はすぐに忘れてしまえるくらいだったんだもの。
「榛瑠がいないとどうやら私の感情は動かなくなるみたい。他のどんな男性と会っても何も感じなかったし」
再会するまで私の心は静かだった。色のない世界で動かないでいた。ただそこで、風の音だけを聞いていた。その事に気づきもしないで。
今は毎日がとても鮮やかだ。ドキドキずっとしている。
「なんだか新婚旅行にも付いて来いとか言われていたような勢いですね」
「言ったかも」
おかしくて笑ってしまった。
「最低」
榛瑠は微笑しながら言うと、私の胸元に顔を近づける。
リボン! 解けたままだし!
榛瑠が口づけする。思わず目を閉じる。
「いたっ」
榛瑠が離れたあとを見るとうっすらと赤くなっている。
「所有物の印つけておいただけだよ」
なんなのよ、もう!
「なんならもう少しわかりやすい場所につけてあげましょうか?」
「いらない!バカ!」
焦ってリボンを結ぶ。でも、うまく結べない。
そんな私の手をどけさせて榛瑠がきれいに結んでくれる。
制服のリボンを毎日結んでいたのに私が全然上達しなかったのは、代わりに結んでくれる人がいたからだわ。我ながら成長してないし。
しかめっ面をしているであろう私に彼は言った。
「言っときますけど、私はあなたがいない時間を充実させてましたからね」
……わかってるわよ。味園さんとの会話を盗み聞きした時に感じたわよ。でも言わなくてもいいじゃない。
「……いぢわる」
榛瑠はにっこり笑った。この人、私に嫌われるとか思わないのかな。
「あんまり意地悪してるとちょっと嫌いになるかもよ」
と、言ってみる。
「ならないでしょう?」笑顔のまま榛瑠は言う。「だって、9年ほっといて嫌いになってなかったんだから」
「でも、怒ってたよ。すごく!」
「そう?でもレストランで再会した時、今にもとびついてきそうな顔してたよ、あなた」
一気に顔があつくなった。いや、そんなはずはない。泣きそうにはなったけど、でも、間違いなく怒っていたし。でも。
……ああ、もうやだ、もう。ちゃんと我慢したのに!!
榛瑠は今にも笑い出しそうな顔をしている。死ぬほど悔しい。
「どうせ後からバカにしてたんでしょう」
「バカにはしてませんよ、全く。でも、あなた方が帰ったあと爆笑させていただきました」
「……!もういい!しらない!」
私が怒って立ち上がろうとするのを引き止めて榛瑠が後ろから抱き寄せる。
「ごめん、ごめん。だってあんまり可愛かったから」
そう楽しそうに笑いながら言う。
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