天使は金の瞳で毒を盛る

藤野ひま

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13. 鬼塚の場所 ④

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「いっそ、お前も懐け。そしたらまとめて泊めてやる」

「冗談。絶対イヤですよ。ないだろうが」

そう言って笑う顔はむしろ無邪気で人懐っこくて、鬼塚は一瞬、見入ってしまった。

「おまえさ、会社で笑わないの正しいわ。仕事が手につかない女子社員が出かねんからな」

「何言ってんです。結構痛いな、あんた。まあ、俺のことはいいですよ」

俺って言ったぞ、今。だが鬼塚は気づかないふりをする。

四条の笑い声を聞いてなのか、一花が頭を起こした。

「一花、起きた?帰るよ」

「榛瑠?え、いや。榛瑠の車イヤ」

一花がむにゃむにゃ言う。こっちは名前呼びしてるしな、と鬼塚は思う。でもって、以前に嫌がられる事したわけだ。

「私じゃないです。あなたの家から呼びましたから」

「高橋さん?」

「そう」

「それなら帰る」

四条は会計をしようとカウンター向こうに声をかける。

「ああ、いいよ。馨に奢らせるから」

兄が勝手なことをいう。

「はあ?四条の分もかよ」

「ごちそうさまです」

「しゃあないなあ、まあ、いいけどよ」

礼を兄にも言うと、四条はもう一度、一花に声をかけた。

まだ半分寝てるような顔をした一花は「うん」と言って、ためらいもなく両腕を彼に伸ばした。

伸ばされた方はしょうがないなあ、と呟きながら彼女を抱き上げる。お姫様抱っこで。

店の中にいた数名の客がこちらを見る。鬼塚もはあ? と思う。なんなんだ、この近さは。普通の恋人同士よりよっぽど……。

「今更だけど、おまえら付き合ってるの?」

「いいえ。返事待ちです」

鬼塚を見て言う。一花もよくわからんなあ。普通なら、一も二もなく、っていう相手だろうに。

何かあるんだろうが。

もっともそれなら付け入る隙もある、か?本当に?

現実は厳しそうだ。あーあ、と鬼塚は思う。あーあ、つまらんな。

鬼塚は見送りがてら店の引き戸をあけてやると、外へ出た。後ろから二人が出てくる。店の近くに高級車が停まっていた。

「鬼塚さん、おやすみなさい」

一花が抱き上げられたまま半分寝た顔で鬼塚に言う。

「おう、無事帰れや」

いろんな意味でな、と鬼塚は思う。

「大丈夫~、バイバイ~」

一花がへにゃへにゃとした声で言う。

「バイバイじゃないわ」

鬼塚が苦笑しながら言うと、一花も抱き上げている男の腕から顔を出して笑った。

まだ酔ってるなあと思う。そして、その笑顔がやっぱり結構好きだな、と思う。誰かをこんな風に思うのは久しぶりな感じだ。

四条がここに現れなければ、どうなっていたんだろうか。いや、現れないわけがないと、俺自身も思っていた。

だから、どうにもならなかったということだ。

顔を出した一花に姿勢を崩されて四条の足取りが一瞬止まる。そして言った。

「暴れないで、お嬢様。落とすよ」

一花がじっとする。鬼塚は小さく笑った。確かにこれじゃあ、お嬢様だ。

そう思いながら女を抱えて去っていく長身の男の背中を見送る。

体に鈍い痛みを感じる。

まったく、嫌味な背中だ。なにが天涯孤独だよ。

そして、ふと思った。四条は社長の遠戚だよな。で、人の家で育って、一花とは幼馴染で。一花は父親をお父様と呼ぶ。そしてその一花を四条はお嬢様と呼ぶ。

……つまり?

つまり一花は……?

四条榛瑠が立ち止まると、体半分振り返って鬼塚を見た。

「鬼塚さん、しゃべらした責任は負ってもらいますよ」

そう言い残すと高級車に一花と乗り込んで帰って行った。

その車が見えなくなるまで店の前に立っていた鬼塚は、店内に戻ると先程まで座っていた席にもう一度ついて兄に言った。

「兄貴、水くれ」

すぐに出てきたグラスの水を鬼塚は一気に飲み干した。

一花が社長令嬢。

間違いない。四条はわざと口を滑らした。

あの野郎。

苦々しく思いつつ鬼塚は笑えてきた。その笑いが全身に広がって、声を押し殺しながら身を屈める。

それならわかる。社長の娘への溺愛ぶりは耳にしたことがある。さすがの奴もそうそう簡単には口説き落とせないってわけだ。ざまあみろ。

笑えてくるわ。笑える……。……くそっ、あいつ、容赦なくぶった斬りやがって。

完敗だった。

野の花と思っていたのは貴重な花だったというわけだ。決して手が届かない花。俺が見ていた姿は幻だったか。

鬼塚は俯いた。木っ端微塵に吹き飛んだ気分だった。こんなに負けを味わったのはいつぶりだろうか。

「完敗……」

呟きと同時に深いため息が漏れる。

「おい、馨?どうした?」

兄の声と一緒に、その手が頭の上に置かれる。確かな存在の温かさをそこに感じる。

「何でもないよ、大丈夫」

鬼塚は頭を起こして坐り直すと、残っていた酒を飲み干した。そして店を見渡す。

兄が常連客と話している。たわいもない話だ。どこかの名家とも金持ちとも何の関わりもないただの小さな飲み屋だ。そう、居心地が良くて酒を取り揃えているのが取り柄の。そして、それだけで十分だと知っている。

「兄貴帰るわ、清算して」

鬼塚は立ち上がると言った。

「歩いて帰るのか?もう少し待てるのなら車で送っていくぞ?」

「いや、大丈夫。酔い覚ましに歩くよ。ありがとな」

鬼塚は店を出ると息を大きく吸い込んだ。冬に向かう冷たい空気が肺に入り込む。

そしてゆっくり歩き出す。なんとなくぼんやりと明日の予定を考える。

明日、午後一でアポはいってるから、午前中に書類仕事終わらせて。発注もかけてしまいたいな。部長の決済待ちか。明日やれれば明後日は朝一から動けるんだが。

そして自分に向かって苦笑した。こんな気分の時でさえ、仕事かよ、俺は。そして、仕事の事考えていると落ち着くのも分かっている。

結局、それしかないしな。

それにいくら格好悪かろうとも、そこが今の俺の主戦場だ。

冷たい夜の匂いがゆっくり酔いを覚ましてくれる。

アパートに帰って、風呂に入ったらさっさと寝よう。朝、目覚めたら明日で、そしたら仕事だ。

夜空を見上げると細く三日月がかかっていた。綺麗だな、と思う。

……そうだな、それでももう少しだけ想ってみようか。自分の手をすり抜けて行った幻の花みたいな女のことを。

ここから明日までの間ぐらいなら許されるだろう。

鬼塚はゆっくりと細い月を眺めながら歩いた。



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