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2. 混乱の国際事業部 ①
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「はあ」
私はため息をつきながら机の上に置いた書類に突っ伏した。
「大丈夫?一花さん」
隣の席にいた同期の林さんが声をかけてくれる。
「大丈夫です。なんだか要領悪くて……すみません」
そんなことないよ、手伝えることあったら言って、と、林さんは笑って言ってくれた。
彼女は私と違って優秀で、仕事の処理も早い。品のいい可愛らしさのある人で国際事業部の中でもちょっと扱いが違う感じがある。
「でも、ため息でちゃうのわかります。課長が一昨日からいないし」
向かいに座っていた、今年入社した篠山さんが言う。
課長、というのは榛瑠のことだ。一昨日から部長と出張に出ていて、今日の午後あたりに帰ってくる予定になっている。
「あの人いない方が仕事減っていいじゃない」
私はふてくされながら言った。
一ヶ月前に来た四条課長は、なんて言うか、初日で女子の心をわしづかみにしていた。
わざわざ他部署からさりげなく覗きに来た人もいたくらいだった。
アメリカ帰りのエリートで、あの外見。初めは明るい茶色の髪のことを染めているのかと眉をひそめたおじさま方もいたけど、目を見ればわかるけど、自前だし。
その話もどこで聞き込んだのか、父親が外国人らしいとか、社長の遠戚らしいとか、びっくりする速さで情報が駆け抜けていった。
中には間違った情報もあったけど、結構合っていてそれもびっくりする。
ああ、私の情報が漏れないのはただ単に誰も興味を持たないせいなんだなって、今さら思ったり。
そんなわけで、女子の視線を集めた課長は必然的に男性社員の反感を買ったんだけど、一ヶ月もしないうちにそちらの信頼も得ていた。
あまり笑わないが怒りもしない。いつも落ち着いた態度で手際よく仕事をしていく。
部下への指示やフォローも的確で、安心して仕事ができると部署の男性が話しているのを聞いたこともあった。
前任者の課長が、その人もそれなりに能力のある人だったと思うけど、残業をしつつ片付けていた仕事を定時でこなして、場合によっては部下の仕事を手伝うありさまで、お陰でこちらに流れてくる書類も早くなり、で、しばしば私のところで止まりがちになって、で、残業になって、早く帰れと言われ……
「はあ」
またつい、ため息がでてしまった。
「ああ、あたしもため息出ちゃいます。」
篠山さんが言った。私は慌てて言った。
「ごめんね、うつっちゃうよね、気をつける」
「いえ、そうじゃなくって。早く課長帰ってこないかなあって」
「なんで?なにかあった?」
私の質問に彼女は首を振った。
「違いますよ、モチベーションの話です。課長いるとやる気出るんですよねえ」
「あ、それはわかるなあ」
林さんが言った。
「ですよね?なんか仕事に行きたくない日でも、課長いると思うと行く気になるっていうか。一ヶ月前までどうしていたのか思い出せませんもん」
そうそう、と林さんが相づちをうち、二人で盛り上がっている。
ごめんなさい、全然わかんない。むしろ私は彼が来てからモチベーションさがってますから。
その言葉を口に出すことなく、目の前の書類に取り組んだ。とにかく、やらないことには始まらないわけで。
と、どこかで内線がなった。少し離れた席にいる佐藤さんが受話器を取って話す声がする。二つ先輩の男性社員だ。
「ええ。はい。その件なら、え、あれ、ちょっと待ってくださいね」
書類から目をあげて彼を見ると、難しい顔をして電話しながらパソコンを打っていた。
「すいません、確認してまた後で連絡します、はい」
佐藤さんは受話器を置くと、厳しい表情でキーボードを打ち続けた。
30分後には部署内が騒然としていた。
今日にも着くはずの船が一隻入ってこないまま行方不明になっていた。先ほどの内線は発注かけた部署からの確認だったらしい。
それだけ、重要な荷だってことでもある。
「どうなるのかな、部長も課長もいないのに。」
篠山さんが不安そうな声を出す。うん、と私は言いつつ、遠巻きに見ていることしかできない。
林さんも黙ったまま立っていた。
「そもそもこれ、誰が処理したの?」
年長の女性社員の少々ヒステリックな声が聞こえてくる。誰がが書類をめくる音がする。
その時、部署の部屋のドアが開いて、スーツケースを引く音がした。同時に落ち着いた声がする。
「ただいま戻りました。」
私は反射的にドアの方を振り返った。榛瑠だ。帰って来た。予定より早い。
私はため息をつきながら机の上に置いた書類に突っ伏した。
「大丈夫?一花さん」
隣の席にいた同期の林さんが声をかけてくれる。
「大丈夫です。なんだか要領悪くて……すみません」
そんなことないよ、手伝えることあったら言って、と、林さんは笑って言ってくれた。
彼女は私と違って優秀で、仕事の処理も早い。品のいい可愛らしさのある人で国際事業部の中でもちょっと扱いが違う感じがある。
「でも、ため息でちゃうのわかります。課長が一昨日からいないし」
向かいに座っていた、今年入社した篠山さんが言う。
課長、というのは榛瑠のことだ。一昨日から部長と出張に出ていて、今日の午後あたりに帰ってくる予定になっている。
「あの人いない方が仕事減っていいじゃない」
私はふてくされながら言った。
一ヶ月前に来た四条課長は、なんて言うか、初日で女子の心をわしづかみにしていた。
わざわざ他部署からさりげなく覗きに来た人もいたくらいだった。
アメリカ帰りのエリートで、あの外見。初めは明るい茶色の髪のことを染めているのかと眉をひそめたおじさま方もいたけど、目を見ればわかるけど、自前だし。
その話もどこで聞き込んだのか、父親が外国人らしいとか、社長の遠戚らしいとか、びっくりする速さで情報が駆け抜けていった。
中には間違った情報もあったけど、結構合っていてそれもびっくりする。
ああ、私の情報が漏れないのはただ単に誰も興味を持たないせいなんだなって、今さら思ったり。
そんなわけで、女子の視線を集めた課長は必然的に男性社員の反感を買ったんだけど、一ヶ月もしないうちにそちらの信頼も得ていた。
あまり笑わないが怒りもしない。いつも落ち着いた態度で手際よく仕事をしていく。
部下への指示やフォローも的確で、安心して仕事ができると部署の男性が話しているのを聞いたこともあった。
前任者の課長が、その人もそれなりに能力のある人だったと思うけど、残業をしつつ片付けていた仕事を定時でこなして、場合によっては部下の仕事を手伝うありさまで、お陰でこちらに流れてくる書類も早くなり、で、しばしば私のところで止まりがちになって、で、残業になって、早く帰れと言われ……
「はあ」
またつい、ため息がでてしまった。
「ああ、あたしもため息出ちゃいます。」
篠山さんが言った。私は慌てて言った。
「ごめんね、うつっちゃうよね、気をつける」
「いえ、そうじゃなくって。早く課長帰ってこないかなあって」
「なんで?なにかあった?」
私の質問に彼女は首を振った。
「違いますよ、モチベーションの話です。課長いるとやる気出るんですよねえ」
「あ、それはわかるなあ」
林さんが言った。
「ですよね?なんか仕事に行きたくない日でも、課長いると思うと行く気になるっていうか。一ヶ月前までどうしていたのか思い出せませんもん」
そうそう、と林さんが相づちをうち、二人で盛り上がっている。
ごめんなさい、全然わかんない。むしろ私は彼が来てからモチベーションさがってますから。
その言葉を口に出すことなく、目の前の書類に取り組んだ。とにかく、やらないことには始まらないわけで。
と、どこかで内線がなった。少し離れた席にいる佐藤さんが受話器を取って話す声がする。二つ先輩の男性社員だ。
「ええ。はい。その件なら、え、あれ、ちょっと待ってくださいね」
書類から目をあげて彼を見ると、難しい顔をして電話しながらパソコンを打っていた。
「すいません、確認してまた後で連絡します、はい」
佐藤さんは受話器を置くと、厳しい表情でキーボードを打ち続けた。
30分後には部署内が騒然としていた。
今日にも着くはずの船が一隻入ってこないまま行方不明になっていた。先ほどの内線は発注かけた部署からの確認だったらしい。
それだけ、重要な荷だってことでもある。
「どうなるのかな、部長も課長もいないのに。」
篠山さんが不安そうな声を出す。うん、と私は言いつつ、遠巻きに見ていることしかできない。
林さんも黙ったまま立っていた。
「そもそもこれ、誰が処理したの?」
年長の女性社員の少々ヒステリックな声が聞こえてくる。誰がが書類をめくる音がする。
その時、部署の部屋のドアが開いて、スーツケースを引く音がした。同時に落ち着いた声がする。
「ただいま戻りました。」
私は反射的にドアの方を振り返った。榛瑠だ。帰って来た。予定より早い。
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