19 / 27
(冬空3.5)
しおりを挟む
美園は自販機で買ってきたホットカフェオレの入った紙コップを、危なっかしく指で持ちながら資料室に戻ってきた。
「熱すぎなのよ、まったく。考えろよ」
独り言を言いながら部屋のドアを開ける、と、いきなり後方から声をかけられた。
「美園さん」
美園は驚いて入口のほうを振り返りざま、指にカフェオレがかかる。
「熱っ」
「大丈夫ですか?」
入口の扉の死角から声をかけてきたのは榛瑠だった。
「大丈夫じゃないわよ」
美園は指に飛んだカフェオレを舐めながら言った。
「でも榛瑠なら許したげる。なんか用?」
そう言って自分のデスクに紙コップを置くと、榛瑠に向き直って、にっこり笑った。
「先程、佐藤さんに会ったのですが……」
「あん?」
「一花さんと喧嘩したって?」
美園は一瞬顔をしかめたが、すぐにまた笑顔に戻る。普段下がっている口角がぐっと上がった。
「やだ、心配してくれたの?」
わざとらしい甘えた声で聞く。
「叩かれた?」
「そうよお、痛かったわ。酷い女よね」
「彼女、頬赤かったけどね、あなたは大丈夫そうだ」
「会ったの?」
「この部屋の前ですれ違った」
ふーん、と美園は面白くなさそうに相槌したと思ったら笑い出した。
「お嬢様って本当に非力で笑うわ。頭に血が昇ったんでしょうけど」
「煽らない」
「手加減したのよ? か弱すぎるんだもん」
そうだね、と言った後、榛瑠は美園に笑いかけた。
「あなたが何とも無いのは、それはそれで良かったです」
「へえ、ありがと」
美園は心が全くこもってなさそうに礼を言うと、榛瑠の肩に手を置いた。
「ねえ、それより、アメリカ行き楽しみね?」
「まあ、そうだね。でも余計なこと言って煽らないでね?」
榛瑠は微笑みながら言う。
「言わないわよ、そんな面倒くさい」
「この前の夜、わざと一花さんと会うよう仕組んだでしょう」
「まさか。そんな上手くいくわけないわよ。たまたまおんなじような場所にいただけじゃん?
ま、わたしはとびきりツイてる人だけどねー」
榛瑠は苦笑しながら軽くため息をついた。
「嫌ってますね」
「まさか。最上級に気に入らないだけよ」
「何にしろこの辺までです。あなただって別に叩かれて嬉しいわけじゃないでしょう?」
そう言って榛瑠は美園の手をどかしながら、彼女の頬に軽く触れた。
美園が鼻で笑った。
「そろそろ戻ります」
「はーい。また連絡しまーす」
「はい。あと蛇足ですが、約束は守ってくださいね」
「何だっけ?」
美園さん、と榛瑠がやや低い声を出した。
「じょーだん。わかってるって。あんたが秘密にしてた事をバラすなってんでしょ」
「今は訂正もできないのでね。不必要な揉め事は起こされたくない」
「……でもさ、あたしが悪気なくめちゃくちゃ口軽い可能性あるじゃん?」
「それはないです」
「なんでよ」
榛瑠は微笑を浮かべた。
「それなら僕がそもそも、あなたを友人にする筈がない」
美園は真顔で榛瑠を見た後、皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「凄い自信。忘れてるくせに」
「誰かさんが右も左もわからない人間に、天才だのなんだの吹き込むから」
美園は口の端に笑いを浮かべたまま、呟くように言った。
「……まあ、約束は守るわよ」
そして榛瑠とひっつくほどに半歩前にでた。
「ねえ、さっきのとこ、指痛いんだけど」
そう囁いてカフェオレが飛んだ指を口元に掲げた。榛瑠はちらっと美園の顔を見ると「ごめん」と言って、その指をそっと舐めた。
そのまま美園は榛瑠の頬に手をやると自分のほうに向くように誘導する。
そのまま二人はキスを交わした。
榛瑠が出ていくと、美園は自分のデスクに戻り、だいぶ冷めて飲み頃になったカフェオレを口にした。そして、「あーあ」と言って反るようにイスの背にもたれた。イスがぎっと鳴った。
「秘密ねえ、なんでしょうねー」
そう独り言を言いながらイスを回転させてぐるぐるする。
「やばい事で稼いでた時期があったことかなー、今でもヒキがある事かなー、ストーカー製造機な事かなー。それか、死ぬほど忙しいのに黙ってあいつのために時間作ってた事とかー? それともあれかー、十代の時から男女関係なくヤッてた事かなー」
イスを止めると、再びカフェオレを一口飲んだ。
「どれもあの女は知らんでしょうよ。……だからって何よ」
そしてまたイスの背に体重をのせるように上を向くと、目を瞑った。
「本当の秘密なんてこれっぽっちも漏らさなかったくせに。誰にもさ。あんたの頭の中にあっただけ。だからもう誰も知らないよ。……榛瑠が何者だったかなんて、誰ももう……私たちは誰も」
美園の脳裏に二年程前のある記憶が浮かぶ。
『何て? 日本に戻る?』
『そうです』
『は? ついにおかしくなった? 最近おかしかったけどさ』
『一応、正常です』
『だって、仕事どうすんの? だいたい何しにいくのよ、何もないじゃん』
『……一花に会いに行く』
美園は眉を寄せる。
『え、何って言った? 何それ、もしかして人の名前? 何なの?』
榛瑠の口元にはうっすらと微笑みが浮かんでいる……。
その時、部屋の扉が開いて室長が入って来た。手にはコンビニのビニールを持っている。
「すみません、遅くなりました」
美園はぐるっとイスを半回転して向き合った。
「しつちょー」
「えーと、ついでにコンビニ寄っちゃって……」
「ねー、どっかにいい男いない?」
「え? えーと、目の前?」
「馬鹿じゃん?」
言って美園は再び半回転してもとに戻ると、だるそうにカフェオレを飲む。
室長はそんな美園のデスクに近寄りながら、ゴソゴソと袋の中に手を突っ込んだ。
「ドーナツあるよ?」
そういってチョコドーナツを取り出す。
「天才」
美園は無愛想に言うと手を伸ばした。
「熱すぎなのよ、まったく。考えろよ」
独り言を言いながら部屋のドアを開ける、と、いきなり後方から声をかけられた。
「美園さん」
美園は驚いて入口のほうを振り返りざま、指にカフェオレがかかる。
「熱っ」
「大丈夫ですか?」
入口の扉の死角から声をかけてきたのは榛瑠だった。
「大丈夫じゃないわよ」
美園は指に飛んだカフェオレを舐めながら言った。
「でも榛瑠なら許したげる。なんか用?」
そう言って自分のデスクに紙コップを置くと、榛瑠に向き直って、にっこり笑った。
「先程、佐藤さんに会ったのですが……」
「あん?」
「一花さんと喧嘩したって?」
美園は一瞬顔をしかめたが、すぐにまた笑顔に戻る。普段下がっている口角がぐっと上がった。
「やだ、心配してくれたの?」
わざとらしい甘えた声で聞く。
「叩かれた?」
「そうよお、痛かったわ。酷い女よね」
「彼女、頬赤かったけどね、あなたは大丈夫そうだ」
「会ったの?」
「この部屋の前ですれ違った」
ふーん、と美園は面白くなさそうに相槌したと思ったら笑い出した。
「お嬢様って本当に非力で笑うわ。頭に血が昇ったんでしょうけど」
「煽らない」
「手加減したのよ? か弱すぎるんだもん」
そうだね、と言った後、榛瑠は美園に笑いかけた。
「あなたが何とも無いのは、それはそれで良かったです」
「へえ、ありがと」
美園は心が全くこもってなさそうに礼を言うと、榛瑠の肩に手を置いた。
「ねえ、それより、アメリカ行き楽しみね?」
「まあ、そうだね。でも余計なこと言って煽らないでね?」
榛瑠は微笑みながら言う。
「言わないわよ、そんな面倒くさい」
「この前の夜、わざと一花さんと会うよう仕組んだでしょう」
「まさか。そんな上手くいくわけないわよ。たまたまおんなじような場所にいただけじゃん?
ま、わたしはとびきりツイてる人だけどねー」
榛瑠は苦笑しながら軽くため息をついた。
「嫌ってますね」
「まさか。最上級に気に入らないだけよ」
「何にしろこの辺までです。あなただって別に叩かれて嬉しいわけじゃないでしょう?」
そう言って榛瑠は美園の手をどかしながら、彼女の頬に軽く触れた。
美園が鼻で笑った。
「そろそろ戻ります」
「はーい。また連絡しまーす」
「はい。あと蛇足ですが、約束は守ってくださいね」
「何だっけ?」
美園さん、と榛瑠がやや低い声を出した。
「じょーだん。わかってるって。あんたが秘密にしてた事をバラすなってんでしょ」
「今は訂正もできないのでね。不必要な揉め事は起こされたくない」
「……でもさ、あたしが悪気なくめちゃくちゃ口軽い可能性あるじゃん?」
「それはないです」
「なんでよ」
榛瑠は微笑を浮かべた。
「それなら僕がそもそも、あなたを友人にする筈がない」
美園は真顔で榛瑠を見た後、皮肉っぽい笑いを浮かべた。
「凄い自信。忘れてるくせに」
「誰かさんが右も左もわからない人間に、天才だのなんだの吹き込むから」
美園は口の端に笑いを浮かべたまま、呟くように言った。
「……まあ、約束は守るわよ」
そして榛瑠とひっつくほどに半歩前にでた。
「ねえ、さっきのとこ、指痛いんだけど」
そう囁いてカフェオレが飛んだ指を口元に掲げた。榛瑠はちらっと美園の顔を見ると「ごめん」と言って、その指をそっと舐めた。
そのまま美園は榛瑠の頬に手をやると自分のほうに向くように誘導する。
そのまま二人はキスを交わした。
榛瑠が出ていくと、美園は自分のデスクに戻り、だいぶ冷めて飲み頃になったカフェオレを口にした。そして、「あーあ」と言って反るようにイスの背にもたれた。イスがぎっと鳴った。
「秘密ねえ、なんでしょうねー」
そう独り言を言いながらイスを回転させてぐるぐるする。
「やばい事で稼いでた時期があったことかなー、今でもヒキがある事かなー、ストーカー製造機な事かなー。それか、死ぬほど忙しいのに黙ってあいつのために時間作ってた事とかー? それともあれかー、十代の時から男女関係なくヤッてた事かなー」
イスを止めると、再びカフェオレを一口飲んだ。
「どれもあの女は知らんでしょうよ。……だからって何よ」
そしてまたイスの背に体重をのせるように上を向くと、目を瞑った。
「本当の秘密なんてこれっぽっちも漏らさなかったくせに。誰にもさ。あんたの頭の中にあっただけ。だからもう誰も知らないよ。……榛瑠が何者だったかなんて、誰ももう……私たちは誰も」
美園の脳裏に二年程前のある記憶が浮かぶ。
『何て? 日本に戻る?』
『そうです』
『は? ついにおかしくなった? 最近おかしかったけどさ』
『一応、正常です』
『だって、仕事どうすんの? だいたい何しにいくのよ、何もないじゃん』
『……一花に会いに行く』
美園は眉を寄せる。
『え、何って言った? 何それ、もしかして人の名前? 何なの?』
榛瑠の口元にはうっすらと微笑みが浮かんでいる……。
その時、部屋の扉が開いて室長が入って来た。手にはコンビニのビニールを持っている。
「すみません、遅くなりました」
美園はぐるっとイスを半回転して向き合った。
「しつちょー」
「えーと、ついでにコンビニ寄っちゃって……」
「ねー、どっかにいい男いない?」
「え? えーと、目の前?」
「馬鹿じゃん?」
言って美園は再び半回転してもとに戻ると、だるそうにカフェオレを飲む。
室長はそんな美園のデスクに近寄りながら、ゴソゴソと袋の中に手を突っ込んだ。
「ドーナツあるよ?」
そういってチョコドーナツを取り出す。
「天才」
美園は無愛想に言うと手を伸ばした。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
あなたの側にいられたら、それだけで
椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。
私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。
傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。
彼は一体誰?
そして私は……?
アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。
_____________________________
私らしい作品になっているかと思います。
ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。
※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります
※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)
私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜
月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。
だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。
「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。
私は心を捨てたのに。
あなたはいきなり許しを乞うてきた。
そして優しくしてくるようになった。
ーー私が想いを捨てた後で。
どうして今更なのですかーー。
*この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる