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お正月
三日夜 董也(ⅳ)
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◇ ◇ ◇
「え、あ、え? 何て言ったの?」
董也は聞き返した。紅葉した公園の木々が風に揺れ、足元の乾燥した落ち葉はかさかさと音を立てていた。
「だから、別れようって」
「え? ……何で? 急に? 僕、何かした? 最近、会えなかったから? でも、この前、来てくれてたよね、何かあった?」
所属していた大学の演劇集団の舞台で、初めてちゃんとした役が思わぬ経緯でやってきて、その稽古と後片付けでしばらく会えてなかった。
(でも連絡はしてたし、本番も見に来てくれて、良かったよって一言メッセージくれたのに。一言だけだったけど、凄く嬉しかったのに)
「……最近じゃなくて、ずっと思ってたから」
(嘘だ。そんな素振り感じなかった。それとも振られる時ってそんなもんなの? え? ……分からない、どういう事?)
「咲歩ちゃん、待って、意味わからない。僕はそんな……」
「ごめんなさい。もう、決めちゃったの。ごめん」
そう言って咲歩は頭を下げた。董也は怒りと悲しみと困惑で混乱した。でも、その後も何日かかけてやりとりした結果、どうにもならない事だけがわかった。
◇ ◇ ◇
咲歩が見に来てくれた舞台は、役者として一番最初の大事な芝居になった。元々演劇を成り行きで始めて、裏方なら面白そうと思って参加していたのに、リーダーの先輩の思いつきで、急に役者をやる羽目になった。シリアスな脚本の中で主役の考えを変える重要な役だった。
三日しかない舞台で、咲歩が見に来たのは確かバイトか何かの関係で、最終日だった。
初めは来てくれたと思って、恥ずかしさもあってヘンにテンション上がってやりにくかった。彼女は最前列から三列目くらい、やや右寄り、舞台上からも見える場所にいた。黒くて長い髪を垂らし黒い服を着ていて、暗い芝居小屋に紛れ込むようにそっと座っていた。
狭い小屋、黒い壁、スポットライトにきらめく埃、熱、汗の匂い、パイプ椅子、咲歩。
やがておかしな感覚になった。今までになく役に入れ込んで、まるでソイツ自身になったようだった。僕がセリフを言っているのではなく、ソイツが喋っている。でも頭の片隅が酷く冴えていて、自分の動きが外から見るようによくわかっていた。それに、人の感情が見える気がした。舞台上から客席から、見えないものが流れてくる。
終演後の挨拶で大きな拍手をもらった。満場の拍手ってこういうものかと思った。客席も明るくしての再挨拶で、狭い小屋の中で涙を流して手を叩いてくれている沢山の人を見た。
思ったんだ。この拍手は僕のものじゃない。この物語が見てくれた人の心を動かしたからだ。見てくれた人がこの物語を受け止めてくれたからだ。そして何より、今、見てくれた人の心の中にあった物語が、新たな物語を受け止めて涙を流させたのだ。
物語が、受け止められて完結する瞬間に、受け止めた人の中で新しい物語として始まる瞬間に、僕はいた。
僕は自然と客席に向かって拍手をした。そうしたらもっと大きな拍手が返ってきた。それを受けて丁寧に長いお辞儀をした。そして顔を上げた時にこわごわと咲歩ちゃんを見た。彼女も手を叩いてくれていた。大きな瞳からは涙が溢れていて、その涙を拭おうともせずに咲歩は僕を真っ直ぐに見ていた。
その時、不意に涙が溢れた。一緒に舞台上にいた仲間が肩をたたいてくれた。でも違うんだ。泣いたのは舞台が成功したからじゃない。
彼女が綺麗だったから。涙が美しかったから。そこにあったあらゆる祝祭と喜びと切なさが全て咲歩の形をとっていて、その瞳が僕だけを見ていたから。女神のように。だから。
僕には咲歩ちゃんが必要だ。
そして、僕は彼女を失った。
「え、あ、え? 何て言ったの?」
董也は聞き返した。紅葉した公園の木々が風に揺れ、足元の乾燥した落ち葉はかさかさと音を立てていた。
「だから、別れようって」
「え? ……何で? 急に? 僕、何かした? 最近、会えなかったから? でも、この前、来てくれてたよね、何かあった?」
所属していた大学の演劇集団の舞台で、初めてちゃんとした役が思わぬ経緯でやってきて、その稽古と後片付けでしばらく会えてなかった。
(でも連絡はしてたし、本番も見に来てくれて、良かったよって一言メッセージくれたのに。一言だけだったけど、凄く嬉しかったのに)
「……最近じゃなくて、ずっと思ってたから」
(嘘だ。そんな素振り感じなかった。それとも振られる時ってそんなもんなの? え? ……分からない、どういう事?)
「咲歩ちゃん、待って、意味わからない。僕はそんな……」
「ごめんなさい。もう、決めちゃったの。ごめん」
そう言って咲歩は頭を下げた。董也は怒りと悲しみと困惑で混乱した。でも、その後も何日かかけてやりとりした結果、どうにもならない事だけがわかった。
◇ ◇ ◇
咲歩が見に来てくれた舞台は、役者として一番最初の大事な芝居になった。元々演劇を成り行きで始めて、裏方なら面白そうと思って参加していたのに、リーダーの先輩の思いつきで、急に役者をやる羽目になった。シリアスな脚本の中で主役の考えを変える重要な役だった。
三日しかない舞台で、咲歩が見に来たのは確かバイトか何かの関係で、最終日だった。
初めは来てくれたと思って、恥ずかしさもあってヘンにテンション上がってやりにくかった。彼女は最前列から三列目くらい、やや右寄り、舞台上からも見える場所にいた。黒くて長い髪を垂らし黒い服を着ていて、暗い芝居小屋に紛れ込むようにそっと座っていた。
狭い小屋、黒い壁、スポットライトにきらめく埃、熱、汗の匂い、パイプ椅子、咲歩。
やがておかしな感覚になった。今までになく役に入れ込んで、まるでソイツ自身になったようだった。僕がセリフを言っているのではなく、ソイツが喋っている。でも頭の片隅が酷く冴えていて、自分の動きが外から見るようによくわかっていた。それに、人の感情が見える気がした。舞台上から客席から、見えないものが流れてくる。
終演後の挨拶で大きな拍手をもらった。満場の拍手ってこういうものかと思った。客席も明るくしての再挨拶で、狭い小屋の中で涙を流して手を叩いてくれている沢山の人を見た。
思ったんだ。この拍手は僕のものじゃない。この物語が見てくれた人の心を動かしたからだ。見てくれた人がこの物語を受け止めてくれたからだ。そして何より、今、見てくれた人の心の中にあった物語が、新たな物語を受け止めて涙を流させたのだ。
物語が、受け止められて完結する瞬間に、受け止めた人の中で新しい物語として始まる瞬間に、僕はいた。
僕は自然と客席に向かって拍手をした。そうしたらもっと大きな拍手が返ってきた。それを受けて丁寧に長いお辞儀をした。そして顔を上げた時にこわごわと咲歩ちゃんを見た。彼女も手を叩いてくれていた。大きな瞳からは涙が溢れていて、その涙を拭おうともせずに咲歩は僕を真っ直ぐに見ていた。
その時、不意に涙が溢れた。一緒に舞台上にいた仲間が肩をたたいてくれた。でも違うんだ。泣いたのは舞台が成功したからじゃない。
彼女が綺麗だったから。涙が美しかったから。そこにあったあらゆる祝祭と喜びと切なさが全て咲歩の形をとっていて、その瞳が僕だけを見ていたから。女神のように。だから。
僕には咲歩ちゃんが必要だ。
そして、僕は彼女を失った。
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