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35.沢にて
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雪道を歩く場合は、小川や地面の凹凸が雪で隠れてしまうため普段とは違った用心が必要になる。
壁に囲まれた街の中ではあまり感じないだろうが、へき地の村や集落なんかではそれぞれで特化した対策がとられるほどだ。大鹿や夜狼にソリを引かせたり、専用の靴枠が開発されていたりと、随所に人々の工夫がみられたりする。
凍った雪の上に、さらに柔らかい雪が積もっていた。最近多く雪が降ったのだろう。時折ツルハシの柄が地面に着かず、一番深いところでは腰まで埋まってしまうほどだった。
人や獣が歩いた道も難儀だが、ほぼ未踏の道なき道もなかなか骨が折れる。
スキットルの酒をちみちみやりながら、ゆっくり歩くこと一刻ほど。足場が森の土から大小さまざまな粒径の石に変わり、水の音も聞こえてきた。
雪のせいか、少しくぐもった水の音だ。気づけば近くからは氷の下で水が流れる音もする。
さらに慎重にツルハシを突き刺しつつ、進む。
水を飲みに来ているのか、生き物の足跡を時々見かけた。特徴的な二と点と一の足跡。これは恐らく野兎だろう。夏は茶色の毛皮だが、ここいらの種は冬に見事な白銀色の毛皮に変わる。
秋はその肉の美味さゆえに狩られ、冬は毛皮目当てに狩られる少々かわいそうなヤツなのだが、変わりに春夏は禁猟を定められているおかげで、今日まで絶えることなく在る。
「やっぱり、仕事のできる領主だねえ」
適度に守られている、自然が豊かな、美しい森。
ノースブルグ辺境伯本人の顔が脳裏に浮かんでいるが、禁猟令が出されたのはずっと前からだ。以前の領主に関する悪口もほぼ聞いたことがないし、優秀な家柄なのだろう。
ひとり納得しながらそれらしい植物を探していると、水音に混じり、不規則に石英が跳ねたような澄んだ音が聞こえてくる。
王都の貴族の家なんかでパーティの警護をしたとき耳にした、乾杯のグラスの重なる音に近いが、それほど
陳腐なものではない。
音の終わりがない、どこまでも透明感のある音色だ。
どこか、泣きたくなるような。
「!……こいつは、見事だね」
傾斜のある沢道を登り、大岩を避けながらひときわ大きい音の元へ辿り着く。雪の重さで倒れた大木を越えると、途端に視界が広がり息を呑んだ。
雪の白さで、影さえ薄空色に染まった色素の薄い世界。濡れた岩の黒さが唯一の重い色になっている。そのコントラストの対比に、思わず目を細めた。
高低差のある沢の滝が凍り、幾重にも連なる氷柱の壁が一面に出来上がっている。
キンと澄んだ清浄な空気になんと似合う光景だろう。
僅かな日の光を溜め込んで、それ自体が光を放っているようだった。
たっぷりと数呼吸分眺めていると、耳が先ほどの音を拾い上げる。
キン……キン、と、幾重もの石英が奏でる五月雨のような音。
見れば滝の下、滝つぼにあたる箇所からそれらは鳴っていた。
滝の水が水面にはねたまま凍ったわけではない。氷から直に、淡く青みがかった草が生えている。銀糸でできたような葉脈に、流氷の深い部分から削り出してきたような葉の色。それらの葉先に、つららの先端から滴り落ちた雫が跳ねて、あの澄んだ音が鳴っているようだった。薄く、硬そうな見た目をしているのに、しなやかさも持っているらしい。
「あれか。綺麗だけど、不思議な草だね」
麻袋を足元に置き、アイテムボックスから薬草図鑑を取り出す。
モノクロで書かれているそれと、見つけたそれらとの整合性を確かめる。
「水弦草の亜種、氷草。……新しい雪で包むようにして、保管。長期保管には氷の魔術かそれに準ずるものが必要、か。多く生えている場合には、根本のひげ根ごと採取すると薬効の高い抽出液がとれる。と」
なるほど。なかなか無茶なことが書いてある。
「そもそも、あそこまでどうやって行こうかね……」
さすが、Aランク難易度の依頼なだけはある。滝つぼ周りは凍っているとはいえ、氷草の生えている氷は大人の人間が乗るには心もとない薄さしかない。
難しいがこの草からは、秋から春先にかけて流行るしつこい熱病にも効く上級特効薬ができるのだ。薬が無くとも、一応は治るものではあるが、一週間ほど高熱が続き体力を奪うため、赤子や老人、持病持ちからはしばしば死人もでる。悪いことに感染力も強い。
もちろん、町医者などには似た薬効の薬もあるにはあるが気休め程度で、この草を煎じたものには効果が全く及ばない。さらに草特有の雑味が少なく、赤子も口に出来るほどの良薬となる。
ギルドの依頼にあった中で、これが一番需要が高い。
しばらく辺りを観察して、岸辺や滝の裏から足が届きそうな場所をいくつか見つけた。多少足先や背中が濡れるだろうが、生えている氷ごと割って、引き寄せるほかないようだ。
アイテムボックスの中の靴下や下履きなど、着替えの数を確認する。
外套の上にさらに油紙を羽織って、ツルハシの柄をぎゅっと握りしめた。
壁に囲まれた街の中ではあまり感じないだろうが、へき地の村や集落なんかではそれぞれで特化した対策がとられるほどだ。大鹿や夜狼にソリを引かせたり、専用の靴枠が開発されていたりと、随所に人々の工夫がみられたりする。
凍った雪の上に、さらに柔らかい雪が積もっていた。最近多く雪が降ったのだろう。時折ツルハシの柄が地面に着かず、一番深いところでは腰まで埋まってしまうほどだった。
人や獣が歩いた道も難儀だが、ほぼ未踏の道なき道もなかなか骨が折れる。
スキットルの酒をちみちみやりながら、ゆっくり歩くこと一刻ほど。足場が森の土から大小さまざまな粒径の石に変わり、水の音も聞こえてきた。
雪のせいか、少しくぐもった水の音だ。気づけば近くからは氷の下で水が流れる音もする。
さらに慎重にツルハシを突き刺しつつ、進む。
水を飲みに来ているのか、生き物の足跡を時々見かけた。特徴的な二と点と一の足跡。これは恐らく野兎だろう。夏は茶色の毛皮だが、ここいらの種は冬に見事な白銀色の毛皮に変わる。
秋はその肉の美味さゆえに狩られ、冬は毛皮目当てに狩られる少々かわいそうなヤツなのだが、変わりに春夏は禁猟を定められているおかげで、今日まで絶えることなく在る。
「やっぱり、仕事のできる領主だねえ」
適度に守られている、自然が豊かな、美しい森。
ノースブルグ辺境伯本人の顔が脳裏に浮かんでいるが、禁猟令が出されたのはずっと前からだ。以前の領主に関する悪口もほぼ聞いたことがないし、優秀な家柄なのだろう。
ひとり納得しながらそれらしい植物を探していると、水音に混じり、不規則に石英が跳ねたような澄んだ音が聞こえてくる。
王都の貴族の家なんかでパーティの警護をしたとき耳にした、乾杯のグラスの重なる音に近いが、それほど
陳腐なものではない。
音の終わりがない、どこまでも透明感のある音色だ。
どこか、泣きたくなるような。
「!……こいつは、見事だね」
傾斜のある沢道を登り、大岩を避けながらひときわ大きい音の元へ辿り着く。雪の重さで倒れた大木を越えると、途端に視界が広がり息を呑んだ。
雪の白さで、影さえ薄空色に染まった色素の薄い世界。濡れた岩の黒さが唯一の重い色になっている。そのコントラストの対比に、思わず目を細めた。
高低差のある沢の滝が凍り、幾重にも連なる氷柱の壁が一面に出来上がっている。
キンと澄んだ清浄な空気になんと似合う光景だろう。
僅かな日の光を溜め込んで、それ自体が光を放っているようだった。
たっぷりと数呼吸分眺めていると、耳が先ほどの音を拾い上げる。
キン……キン、と、幾重もの石英が奏でる五月雨のような音。
見れば滝の下、滝つぼにあたる箇所からそれらは鳴っていた。
滝の水が水面にはねたまま凍ったわけではない。氷から直に、淡く青みがかった草が生えている。銀糸でできたような葉脈に、流氷の深い部分から削り出してきたような葉の色。それらの葉先に、つららの先端から滴り落ちた雫が跳ねて、あの澄んだ音が鳴っているようだった。薄く、硬そうな見た目をしているのに、しなやかさも持っているらしい。
「あれか。綺麗だけど、不思議な草だね」
麻袋を足元に置き、アイテムボックスから薬草図鑑を取り出す。
モノクロで書かれているそれと、見つけたそれらとの整合性を確かめる。
「水弦草の亜種、氷草。……新しい雪で包むようにして、保管。長期保管には氷の魔術かそれに準ずるものが必要、か。多く生えている場合には、根本のひげ根ごと採取すると薬効の高い抽出液がとれる。と」
なるほど。なかなか無茶なことが書いてある。
「そもそも、あそこまでどうやって行こうかね……」
さすが、Aランク難易度の依頼なだけはある。滝つぼ周りは凍っているとはいえ、氷草の生えている氷は大人の人間が乗るには心もとない薄さしかない。
難しいがこの草からは、秋から春先にかけて流行るしつこい熱病にも効く上級特効薬ができるのだ。薬が無くとも、一応は治るものではあるが、一週間ほど高熱が続き体力を奪うため、赤子や老人、持病持ちからはしばしば死人もでる。悪いことに感染力も強い。
もちろん、町医者などには似た薬効の薬もあるにはあるが気休め程度で、この草を煎じたものには効果が全く及ばない。さらに草特有の雑味が少なく、赤子も口に出来るほどの良薬となる。
ギルドの依頼にあった中で、これが一番需要が高い。
しばらく辺りを観察して、岸辺や滝の裏から足が届きそうな場所をいくつか見つけた。多少足先や背中が濡れるだろうが、生えている氷ごと割って、引き寄せるほかないようだ。
アイテムボックスの中の靴下や下履きなど、着替えの数を確認する。
外套の上にさらに油紙を羽織って、ツルハシの柄をぎゅっと握りしめた。
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