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29.祖
しおりを挟む雪が触れて濡れていた薪は、燃えるとき温度差で爆ぜて大きく音を立てる。
それなのに、すべての音が消えたかのような錯覚がして、肌が粟立った。
少しでも指を緩めれば、言葉よりも速く飛ぶほど狩弓を引き絞る。その構えを解かないまま、アタシは誰もいないはずの村の奥をひたと見据えた。
(なんかいるね。……大物だ)
今まで凪いでいた雪と風が、不自然に渦をまき集まっていく。帽子からはみ出た髪が、渦に持っていかれる向きで靡いた。
懐のアミュレットがじんじんと熱を持ちはじめる。
きし、と狩弓がさらにしなった。
渦の中で、段々と存在感が増していく。
人でも魔獣の類でもなさそうだが、正体はなんだろうか。
不思議とあまり敵意を抱けない、けれど警戒しないままでもいられない。そんな初めての気配に固唾をのんで身構え続ける。
寒さ由来ではなく、ぞわぞわと心臓を撫でられるような悪寒に震えた。うなじがひりつくような緊張感に体の動かし方を忘れてしまいそうになる。
この感情の正体が「畏れ」だと認識しはじめたとき。
びゅう、とひと際強い風が吹いて、瞬き程度の刹那だが、アタシはついに目を閉じた。
「……ああ、戻ってきたのか? 人の子よ」
耳に届いた歌うような声に、ハッと目を開く。
そこには、木々と雪に歓迎されるような空気を纏った、高貴な生き物が君臨していた。
久しく見ていない太陽の色を集めた、金色の瞳。
慌てて狩弓を地面に置き、膝をつけて頭を下げる。
両手の手のひらを空に向ける形で前に突き出して、無抵抗の意思表示をした。
「森の貴人、神の愛し子。貴方様の気配を認識できず、武器を向けてしまったことをお許しください」
柳耳に色素の薄い髪。エルフだ。
それも金の目を持った、古の種の。
アミュレットがエルフの祖の魔力に共鳴して、星が瞬くように、そして脈打つように光る。
ギルドに置いてあった文献と、ティアナがぼやいていた内容でしか知らないが、普通のエルフよりはるかに気位が高く力を持った存在だと聞いている。
この世界が始まるときから存在する原種の生命。
百年そこらで生まれ死んでいく人間など、アタシらで言う虫のような存在でしかないだろう。
分からなかったとはいえ、武器を向けてしまったのは失態だ。
低く低く低頭し、これ以上機嫌を損ねないようにいのるしかない。対峙してわかるその強大さ。軽く膝が笑うように震えていた。
「……この地の者では無かったか……同胞の気配がしたのだが。ふむ……顔をあげよ」
つい、と顎先を指で掬われるような感覚がした。それには逆らわず、相手の口元に視線を留める範囲で顔を上げる。
魔力が籠った瞳は、直接見ると骨抜きにされるとティアナが言っていたからだ。
「吾は怒ってはおらぬ。そう怖がらずとも良い」
二、三歩先の距離で、子供にするように膝を折ってくれている。纏う空気も柔らかい。というか、実際に頬を暖かい風が撫ぜた。
不可解な現象に、困惑が顔に出たのだろう。
目の前のハイエルフは僅かに口角をあげると、事も無げに「春の祝福を分けてあげよう」と言った。
相当高度な魔法を、無詠唱で興している。
その技術の高さに寒気がした。もう、種族の違う生き物という垣根を越えて、神様に近い何かにしか思えない。
身じろぎせずに静止していると、機嫌良さそうに彼は口を開いた。
「お前はどうしてここに来たんだい。近頃、この村の人間は居なくなっただろう」
「……墓参りに、来ました。この村は冷夏により猛った熊に襲われ滅びていますので」
事実をそっと声に載せる。
ほとんど表情を変えないが、僅かに空気が変わるのを肌で感じる。恐らく、彼の高すぎる魔力がその場に作用するのだろう。
どうやら目の前のハイエルフはこの村と親交があったようだ。
「……なるほど。そうだったか」
静かに目を閉じて、想いを馳せているのか。
まるで絵画のようなその姿に、アタシは息を潜めた。
一体どんなやり取りがこの村と彼との間にあったのだろう。
思った以上に心を置いているその様子を不思議に思いつつも、なにも声をかけられないまま、その顔をじっと見つめていた。
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